新年を迎える準備

 


「清算」を超えて「神の人」として歩む

2025年も残すところあと3日となりました。 街の中を歩くと、新年の準備に追われる街の喧騒な姿が目に入ります。駐車場を埋め尽くす車、山積みされた正月飾り。そこには、「古いものを脱ぎ捨て、心機一転して新しい年を迎えたい」という、時代を超えた人々の切実な願いが溢れていました。

 

歴史が刻んできた「リセット」の風景

昔の人々にとって大晦日は「命がけの清算」の日でした。 200年前の江戸時代、大晦日は借金を全て返し終える「決算の日」であり、それを果たせなければ晴れて新年を迎えることはできないという、厳しい審判の日でもありました。さらに遡れば、古代の人々は川の冷たい水に身を投じる「禊(みそぎ)」を行い、半年の穢れを流し去ろうとしました。人々はいつの時代も、**「どうすれば、過去の自分をリセットして新しくなれるか」**を問い続けてきたのです。

 ⚠️ 2026年、私たちが「避けるべき」現代の罠

しかし、カレンダーを新しくし、家を掃除しても、私たちの内側にある不安や渇きはそう簡単には消えてくれません。パウロがテモテに贈った**「しかし、神の人よ、あなたはこれらのことを避けなさい」**(テモテ一 6:11)という言葉は、2026年を迎える私たちへの鋭い警告です。

現代を生きる私たちが、今、意識的に「避けるべき(逃げ出すべき)」ものは何でしょうか。

  • 「情報の波」と「デマ」の執着: テレビやSNSから流れてくる絶え間ないノイズ、誰かを中傷する言葉や根拠のないデマ。これらに心を占領されると、私たちの精神は腐敗し、真理を見失ってしまいます。
  • 「利得の道」としての成功: 金銭を愛し、所有することだけを「再生」の証だと勘違いする罠。経済不安が叫ばれる今こそ、お金を主人にするのではなく、善を行うための「道具」として正しく位置づける勇気が必要です。
  • 「高慢」と「孤独な議論」: 自分が正しいと証明するために他者を攻撃する心。それは「神の家族」という共同体を壊す、最も避けなければならない毒です。
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2026年、私たちが「追い求めるべき」愛の姿

避けるべきものから身をかわし、私たちが全力で「追い求めるべき」方向は、どこにあるのでしょうか。

  • 「満ち足りる心」という自立: 外側の環境や預金残高に左右されない、主が共におられることによる平安。これが私たちの2026年の「エネルギー源」です。
  • 「執り成しの祈り」という連帯: 一人の力では、この複雑な世界の戦いには勝てません。共に祈り、共に弱さを分かち合う「群れ」の中にこそ、本当の再生があります。
  • 「異邦人」としての誇り: この世の価値観に染まりきらず、天に国籍を持つ者として、柔和に、しかし忍耐強く歩み続けること。

 

🏃‍♂️ 最後に:走りとおすために

使徒パウロがそうであったように、私たちの人生は一本の長いマラソンコースです。 私が昨日走った30kmの道のりでも、冷たい風に心が折れそうになる瞬間がありました。しかし、向かうべき「ゴール」を思い描き、正しい「霊的な食事(御言葉)」を摂っていれば、足は自然と前に進みます。

歴史の中で人々が願い続けた「再生」は、自分の努力による清算ではなく、神様からの一方的な呼びかけ――**「しかし、神の人よ」**という愛の言葉の中に既に完成しています。

2026年。この新しい名前、新しい国籍を胸に、主と共に、そして兄弟姉妹と共に、軽やかに走り出そうではありませんか。皆さんの歩みの上に、主の豊かな守りと新しい光がありますようにお祈りしています。

 

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