真夜中のキャロットケーキと「普通」の正体:自分流で愛を生きる夜明け前
昨夜は23時過ぎに目が覚めました。 昨日から無性にケーキが食べたかったため、起きてすぐに一階の自室から二階へと上がりました。私が起き出して動き始めると、愛犬のノアはいつもその優れた感覚で察知し、目を覚まして待っています。
家族が静かに眠る二階。足音を忍ばせてドアを開け、音が漏れないようにリビングルームの扉をしっかりと閉めてから、真夜中のケーキ作りがスタートしました。
少し自分なりのアレンジを加えたキャロットパウンドケーキの生地を、予熱しておいたオーブンへ。焼き上がるまでの約1時間、ふと天気予報を見ると、この後1時間ほどだけ雨がやむという予報が出ていました。今日と明日も雨模様の続く中、この小さな晴れ間は恵みです。急いでノアを連れ出し、ささやかな夜の散歩を終えて無事に帰宅しました。小さな奇跡のような時間に、心から感謝しました。
「痕跡を残さない」という私なりの流儀
現在、オーブンからは甘く香ばしい匂いが漂い始めています。 私が夜中などに料理やケーキ作りをする際、絶対に守っている一つのルールがあります。それは「決して痕跡を残さないこと」です。
周囲を綺麗に片付け、妻が昨晩眠りについた時に記憶している台所の状態と、全く同じ状態に戻してすべてを終える。それが、私なりの「自分流」のやり方です。
世間ではよく、「そんなに気を遣わずに、普通にやればいいのに」と言う人がいます。しかし、ふと立ち止まって考えてしまうのです。 その「普通」とは、一体何なのでしょうか。
- 誰かが決めた「平均値」のことでしょうか。
- 多数派が採用している「常識」のことでしょうか。
定義は非常に曖昧です。よく考えてみれば、人の数だけそれぞれの「普通」が存在します。世間の曖昧な「普通」の枠組みに、無理に自分を押し込めて生きる必要などどこにもないのです。
自由と愛が同居する「自分流」の生き方
自分の「普通」に合わせて生きる。周りに迷惑をかけず、法的な問題もないのであれば、堂々と自分のスタイルを貫けばよいのです。 私の「自分流」は、決して自分勝手な振る舞いではありません。家族が気持ちよく朝を迎えられるように台所を磨き上げること、雨の合間を縫って愛犬と歩くこと。それは、私なりの静かな愛の表現でもあるのです。
聖書に、このような力強い言葉があります。
「こういうわけで、あなたがたは、食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」(コリントの信徒への手紙一 10:31)
神様は、私たちを金型で抜いたような「普通」のロボットとしてではなく、それぞれに全く違う個性と流儀を持つ、かけがえのない存在として創造されました。
大切なのは、世間の「普通」に合わせることではありません。自分が選んだ「自分流」の生き方が、家族を愛し、隣人を愛し、そして神様の栄光を現すものへと真っ直ぐに向かっているかどうかです。誰かと比較する必要はありません。
私は今日も、このままの私で生きることにしました。無理に人に合わせるのではなく、自分に与えられた流儀で、主の栄光のため、愛する家族のため、そして教会の兄弟姉妹のために、今日という命を精一杯に生きていきます。
オーブンのタイマーが、もうすぐ焼き上がりを知らせてくれます。 あなたもどうか、あなただけの美しい「自分流」を大切に、今日というキャンバスを自由に彩ってください。
今日も、共に前進です。
