🌿【四旬節の黙想】膝をつく愛 ――
汚れを受け止める「器」として
1. 聖書の場面:主が弟子たちの足を洗う
「夕食の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいで拭き始められた。」 (ヨハネによる福音書
13章4〜5節)
十字架を翌日に控えた夜、主イエスがなさったことは、最も卑しい僕の仕事でした。当時のパレスチナの埃っぽい道を歩き、汚れきった弟子たちの足を、主は一つひとつ丁寧に洗われました。それは、口先だけの教訓ではなく、神の独り子が「人間の汚れ」をそのまま引き受け、清めようとされる、究極の謙卑の姿でした。
2. キリスト者への教訓:プライドを脱ぎ捨て、隣人の「痛み」に触れる
私たちは時に、自分の正しさや「牧師としての権威」という上着を脱ぐことができず、高い場所から人を教えようとしてしまいます。しかし主は、「上着を脱ぎ、腰に手ぬぐいをまとわれ」ました。相手の汚れや痛みが一番溜まっている場所——すなわち「足」に、自ら膝をついて触れること。その低い姿勢の中にこそ、福音の真実が宿ります。
3. 現代人へのメッセージ:支配ではなく「仕え合う」コミュニティ
2026年、私たちの社会は依然として「どちらが上か」「どちらが有能か」を競い合う序列の中にあります。しかし、主イエスが示された新しい掟は**「互いに愛し合いなさい」**という、上下のない円形の関係でした。
複雑な世界でシンプルに生きる道は、支配しようとする手を下ろし、仕えるために手を差し出すことです。何が正しいかを 「思考し続ける」こと、決して他人を論破するためではなく、どうすればこの不条理な世界で、傷ついた隣人の足を洗うことができるかを探るための知恵であるはずです。


