夜明けの軌跡と祈りのフルマラソン:娘の誕生日に、限界の先で抱きしめた恵み
深い静寂に包まれた、午前1時47分。
目を覚まし、いつものルーティンワークを静かに終え、午前3時、まだ星が瞬く暗闇の中へとランニングに出発しました。
今日は、娘の誕生日です。アスファルトを踏みしめる私の足音は、彼女の命の誕生を祝う「誕生日記念マラソン」の静かな鼓動となりました。
急な坂道と、夜明けの光が交差する時
当初は、体力を考慮して25キロで抑えるつもりでした。なぜなら今日は、大切な主日の礼拝の日だからです。ここで無理をして体力を使い果たせば、後の司式の時にミスをしてしまうかもしれない(これまでの経験上)。そんな冷静な計算が、頭の片隅にはありました。
しかし、急な坂道を上りながら、ふと「今日はもう少し頑張って走ってみよう」という熱い思いが内側から湧き上がってきたのです。カギとなるのは、真夏の容赦ない暑さの中で、果たして自分の体力がどこまでもつかということでした。
荒くなる息に耳を澄ませながら走り続けるうちに、空の端から次第に夜が明け始めました。 暗闇が光に溶けていく美しい時間の中、私の足は仙台医療センターの前を通り過ぎ、さらに娘が学ぶ看護学校の前へと差し掛かりました。
祈りへと変わった42.42キロ
彼女の学び舎を走り抜けた時、私の心に一つの確かな決意が宿りました。 「やはり、今日はフルマラソンを走り抜こう」
それは単なる身体的な挑戦を超えた瞬間でした。これから医療の道へと進む娘の人生が、主の恵みによって力強く守られるようにとの、親としての全身全霊をかけた「祈り」の形だったのです。
早朝であったも、やはり真夏のフルマラソンは、冬のそれとは比較にならないほど過酷です。それを痛感したのは、最後の1キロの本当に長く、苦しい道のりでした。体力の限界が迫り、足が鉛のように重くなる中で、それでも最後まであきらめずに走り続けることができたのは、ひとえに神様の恵みと、愛する者を想う祈りの力でした。走り終えた瞬間、胸に込み上げてきたのは、圧倒的なまでの「大きな感謝」です。42.42キロ。
聖書は、私たちの人生の歩みをしばしば競走に例えます。
「こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか。」(ヘブライ人への手紙 12:1)
私たちが限界の先で踏み出す一歩は、決して無駄にはなりません。苦しい坂道も、息が切れて立ち止まりそうになる最後の1キロも、すべては神様の前に捧げられる、尊く美しい祈りの軌跡となるのです。
恵みの内を歩む、これからの道
一昨日からすでに始まっているお祝いの続きとして、今日は午後から家族3人で、ささやかで温かい誕生会を開きます。
私が今朝、限界の先まで走り抜いたように。娘もまた、これからの人生という長く尊い道のりを、主の豊かな恵みの内において、真っ直ぐに自分の足で進んでいけますように。
あなたの目の前にもし今、息の切れるような急な坂道があったとしても、決してあきらめないでください。あなたの流す汗は必ず祈りとなり、やがて美しい夜明けの光が、その進むべき道を明るく照らし出してくれます。
今日も、共に前進です。