深緑の坂道と、土曜日のごみ袋 ―― 忙しさの中に隠された「感謝」の質量
夜の23時過ぎ、ノアちゃんと散歩に出ようと、事務室から玄関へ続く扉を開けました。
いつもなら、その音に気づいて階段をとことこと降りてくるのですが、昨夜は反応がありません。 静けさに少し驚きながら、そっと階段を上がってみると、小屋の中で気持ちよさそうに眠っていました。起こさないように、しばらくその寝姿を写真に収めていました。
すると、物音ではなく“匂い”で気づいたようで、ふっと目を覚まし、ゆっくりと起き上がって階段を降りてきました。
そしていつものように、散歩へと出かけました。
年を重ねても、眠っているノアちゃんの姿は本当に可愛いものですね。 その静かな寝息まで、愛おしく感じられました。
ノアちゃんとの穏やかな散歩を終えた後、待ち受けていたのは「ゴミ出し」でした。手帳を開いて考えてみれば、私の日常には「何もない曜日」など一日たりとも存在しません。しかし、この「土曜日のゴミ出し」には、どこか特別な意味があるように感じます。両手に提げた重いゴミ袋を集積所に置いた瞬間、「ああ、これで今週も無事に頑張り抜いたのだ」という静かで確かな達成感が、胸の奥を満たしていくのです。
ふと、ひとつの問いが頭をよぎりました。 「やることがあるのが幸せなのか? それとも、やることがないのが幸せなのか?」思索しながら1時過ぎに二度寝。
太陽が照らす坂道と、104キロの足跡
それから午前4時45分。まだ目覚めきらない重い身体を奮い立たせ、スタートの第一歩を路面へと踏み出しました。
外はすでにすっかりと明るく、照りつける太陽の光が、今日は気温が30度まで上がるという厳しい真夏日になることを容赦なく告げています。
今日は久々に、青葉山の緑に包まれた仙台城跡を抜け、東北大学のキャンパス、そして尚絅学院中高のコースを巡る道のりを選びました。全行程の約3分の1が坂道という過酷なルートは、全身の筋肉と心肺に強烈な負荷をかける、非常に良いトレーニングとなりました。
途中、先日熊が目撃されたという川内周辺も通り過ぎましたが、「すっかり明るくなれば、熊も隠れるだろう……知らんけど」と心のなかでふと呟きながら、ただひたすらに光の中を駆け抜けました。結果は、28キロの完走。これで今週の朝のランニングは、トータルで104キロを積み上げることができました。限界を超えてよく走ってくれた自分の両足に、静かに労いの言葉をかけます。
「何もない曜日」は存在しないという幸福
帰宅し、冷たいシャワーで汗を洗い流し、SAVASで枯渇した身体にたっぷりと栄養を流し込みます。しかし、休む間もありません。すぐに洗濯機を回し、溜まっていたメールの返信をこなし、これから向かう静岡への旅立ちに向けて、やるべきことを一つひとつ確実に終わらせていきます。
すべてを「良いこと」として受け留める
私たちの社会は、休む間もなく動き続けることを美徳とする一方で、何もしない自由な時間を理想の幸福として追い求めたりもします。正直なところ、どちらが本当の幸せなのかはよく分かりません。しかし、それは結局のところ「それぞれの解釈で受け留めれば良い」のだという結論に至りました。
やることが山積みにされている日も、ぽっかりと予定が空いた日も、どちらも「良いこと」にしてしまえばいいのです。聖書に「すべての事について、感謝しなさい」という力強い言葉があるように、大切なのは、与えられた状況のなかに自ら光を見出す心のあり方です。やることがあるということは、誰かに必要とされ、大切な使命を任され、動けるだけの健康な身体が与えられているという証です。今日私が駆け上がった坂道の苦しさも、旅立つ前の慌ただしい準備も、そして土曜日のゴミ出しも。すべては、生きているからこそ味わえる「感謝の質量」なのです。
感謝と共に、新しい風の吹く場所へ
今日、あなたの手元にはいくつの「やるべきこと」があるでしょうか。もしそれに追われて少し息苦しさを感じているなら、どうか立ち止まり、その忙しさが「生きている証」であることに優しく目を向けてみてください。
- 坂道の負荷を歓迎する: 困難(坂道)は、私たちの人生の筋力を鍛え、より高い景色を見せてくれる最高のトレーニングであると解釈する。
- 日常のルーティンを祝う: ゴミ出しや洗濯といった名もなき家事に、「今週も愛する者のために生き抜いた」という誇りを見出す。
- どんな日も「感謝」で染める: やることがあってもなくても、まずは今日という一日が与えられた奇跡に「ありがとう」と微笑む。




