閉ざされた扉を越える「癒しの武器」:絶望を退ける50キロの祈り
午前2時過ぎ。世界がまだ深く重い眠りの中にある静寂の時間に目を覚まし、愛犬ノアとの散歩へ出かけました。
夜の闇は静まり返り、響くのは自分たちの規則正しい足音だけです。その歩みを終えた後、静かな部屋で机に向かって一通の手紙をしたため、夜明け前のポストへと投函してきました。
面会制限という壁の前で
先日、教会員のお一人が入院されたという知らせを受けました。 今は、誰もが自由に病室へ足を運べる時代ではありません。最もそばで寄り添いたいと願う家族でさえ面会が制限され、ましてや家族以外の者が顔を合わせることは極めて困難です。病院の冷たい壁と厳格なルールが、病床にある方と外の世界との間に、見えない厚い隔たりを生み出しています。顔を見て、直接声をかけることができない。手を握って励ますことができない。
しかし、物理的な接触が断たれたからといって、私たちに「何もできない」わけでは決してありません。私たちには、どんな分厚い壁をもすり抜ける、とっておきの素晴らしい武器があります。それは「祈り」です。
この武器は、誰かを攻撃し、やっつけるためのものではありません。孤独と痛みの中にいる人の魂を温め、命を支えるための「癒しの武器」なのです。
50キロの距離を埋める足音
私は、県内でおおむね50キロの距離内であれば、どこへでも赴き、あるいは自分の足で歩き、その方が入院している病院のすぐ目の前まで行くことにしています。
たとえ病室の中には入れなくても、外の冷たい空気の中で、少しでも闘病されている兄弟姉妹の近くに立ちたい。その建物をじっと見上げながら祈りを捧げたい。そうした行動を取り続けることこそが、私にできる牧会という歩みの一つの形だと信じているからです。
同時に、言葉を紡ぎ、手紙を書くことも欠かせない大切な使命です。 今日投函した手紙にも、外の景色や日常のたくさんの写真を同封しました。おそらく、ご家族の手を介してご本人に届けられることになるでしょう。それを見た方が少しでも元気を取り戻し、心に希望の光を灯していただけるようにと、深い祈りを込めて封を閉じました。
最大の敵と、最強の味方
病の中にある人にとって、一番の敵はなんでしょうか。それは病魔そのもの以上に、心を蝕む「絶望」です。 そして反対に、一番の味方となってくれるのは「希望」です。
聖書は、暗闇の中で希望を見失いそうになる私たちに、力強くこう語りかけます。
「希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。」(ローマの信徒への手紙 12:12)
- 目に見えないからといって、つながりが消えるわけではない。
- 触れられないからといって、愛が届かないわけではない。
私たちがたゆまず祈り続けるとき、その祈りの温度は目に見えない温かな毛布となって、孤独なベッドの上にいる友を確かに包み込みます。絶望という冷たい暗闇を退け、希望という最強の味方を送り届けることができるのです。
無事に退院されるその日が来るまで、私の毎日の祈りは決して終わりません。 どんなに離れていても、壁に阻まれていても、魂は祈りを通して共にあります。
今日も、共に前進です。

