語られない36キロの軌跡と、食卓を満たす静かな恵み
昼下がり、近くの八百屋とパン屋へ足を運びました。 家族にはそれぞれ、愛すべき“いつもの好み”があります。
- 妻には、変わらず大好きなブドウパンを。
- 娘には、嬉しそうに選ぶチョコ系のパンを。
- そして私は、やっぱり餡子ぱん。
- ノアには?今日もリンゴです。ノアの好物は、いつだってリンゴ。
こうして一人ひとりの好きなものを思い浮かべながら買い物をする時間は、ささやかですが、とても幸せなひとときです。
娘は来週から始まる在宅実習に向けて、さまざまな準備に追われています。妻はそんな娘をサポートするため、実習に必要なものをダイソーへ買い出しに出かけていきました。
私はといえば、明日のための準備をしながら、静かに自分の時間を過ごしています。
語らないという、穏やかな愛の形
長距離を走った日は、一日中、体の奥底から空腹感が続きます。 あれこれと食べ物を口にしている私を見て、妻がふと笑って言いました。 「ノアと一緒だね」
妻は、私が今朝すでに36キロもの距離を走り抜いてきたことを知りません。私からは日頃言わないので、どこを何キロ走ったのか、彼女は知る由もないのです。
そして私も、あえてそれを口にはしません。 「別に問題にならないことは、あえて言わない」 それが私の主義であり、それで良いのだと深く納得しています。
私たちは、自分の努力や達成したことを、つい誰かに認めてもらいたくなるものです。しかし、すべてを言葉にして説明しなくても、自分自身が確かにその道を走り抜いたという事実は、決して消えることはありません。
他者の評価に依存せず、自分の内に静かに収めておく努力の結晶。それを持つことは、心の深い部分に揺るぎない根を張るような、確かな平安をもたらしてくれます。
サンティアゴの記憶と、満ち足りた食卓
お昼には、野菜をたっぷりと入れた焼きそばを作りました。 妻と娘は「これだけでお腹がいっぱいになる」と言いますが、私にとって焼きそばは、あくまで「前菜」です。
かつて歩んだ「サンティアゴ・デ・コンポステーラ祈りの旅」での光景を思い出します。あの巡礼の地のレストランでは、自分はランチの際、まず前菜としてパスタ(スペインでは前菜のメニューになっています。)を食べ、その後にメインの肉料理をいただくのが習わしでした。
その時と同じ感覚で、私は焼きそばを平らげた後に、メインとしてご飯をいただきます。食べる量も、好みの味も、歩幅も違う私たちですが、食卓を囲む時、そこには共通する一つの大きな恵みが降り注いでいます。
それは、「お腹いっぱい食べられる」という圧倒的な祝福です。
「私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。」(マタイの福音書 6:11)
ただ美味しいご飯を食べ、お腹が満たされていく。この何気ない日常のひとときは、決して人間の力だけで勝ち取ったものではなく、天から与えられた限りない恵みです。
恵みに感謝し、静かに羽を休める
今日は土曜日です。 張り詰めた糸を少しゆるめ、無理に頑張ることはせず、心と体を静かに休ませながら明日に備える日です。 語られない36キロの努力も、家族それぞれの歩みも、すべてを優しく包み込むような豊かな食卓の恵みに心から感謝しながら、この静かな午後を深く味わいたいと思います。
今日は、ゆっくり前進です。














