冷たい風と食卓の温度——世界を温める「愛」という太陽
この三日間、毎日30キロを超える朝のランニングを続けてきました。さすがに今日の体には、ずっしりとした深い疲労が刻み込まれています。
外に出ると空気はすでに冷え切っていますが、ふと雲間から太陽が顔を出すと、その光は驚くほど優しく、確かな温もりをもって私の体を包み込んでくれました。「気温が低くても、太陽の光さえあればこんなにも温かい」。その当たり前のような自然の摂理に、今日は深く心が動かされました。
夕暮れのキッチンと、当たり前ではない幸せ
これから少し残りの仕事を片付け、夕食の準備に取り掛かろうと思います。今日の献立は、コトコトと煮込むロールキャベツと、鯖缶とピーマンの炒め物の二品です。
野菜を刻み、キッチンに立ちながら、ふと社会で戦う人々の姿が頭をよぎりました。 学校や仕事で疲れ果てて帰宅したとき、そこに温かくて美味しい料理が待っていること。それは決して当たり前のことではなく、この上ない恵みであり、幸せなのだと。なぜなら、一日中一生懸命に働いて帰宅し、重い体を引きずりながら、そこからさらに一人で夕食の準備や家事をこなしている方々が、この世界にはたくさんいるからです。
厳しい世界を照らす「太陽」の正体
この世界は時として、身を切るような冷たい風が吹く厳しい場所です。理不尽な出来事や、孤独に心が凍えそうになる夜もあります。しかし、たとえ外の気温がどれほど低く、厳しい嵐が吹き荒れていようとも、雲間から射す太陽の光が私たちを温めてくれるように、私たちは「愛する人」と共にいるならば、何度でも心の温度を取り戻し、大丈夫だと前を向くことができます。
新共同訳聖書には、食卓と愛について語ったこのような美しい言葉があります。
「野菜の皿を食べて愛し合うのは/肥えた牛を食べて憎み合うのにまさる。」(箴言 15:17)
テーブルの上に並ぶのが、どれほど手軽な一皿であったとしても。あるいは、疲れ果てて買ってきたお惣菜であったとしても。そこに互いを思いやる愛があり、一緒に食卓を囲む温かな眼差しがあるならば、そこは世界で一番豊かな場所になります。愛こそが、私たちの凍えるような日常を照らし、理不尽な冷たさを溶かしてくれる「太陽」なのです。
今日、あなたが帰る場所に、あるいはあなた自身の心の中に、小さな愛の光が灯りますように。 今日も一日を懸命に生き抜いたあなたの歩みが慰められ、今晩の食卓に、柔らかな太陽のような温もりが満ち溢れることを心から祈っています。
