デジタル書庫 ―― 祈りの旅路

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2026年7月11日土曜日

ちゃんと服を着ていますか?

 


恵みの雨が織りなす「命の服」:生きていることの美しさ

午前中の集いを無事に終え、今は静かな午後の時間を過ごしています。 窓の外は雨。かなりの湿気を帯びた空気が、今日という一日をすっぽりと包み込んでいます。天気予報によれば、明日も一日中雨が続くとのこと。 「何か問題でも?」 いいえ、まったく問題ありません。むしろ、もう少し降ってほしいとさえ思っているくらいです。(仙台だけとのことですが・・)

 


広瀬川がまとう「生きた服」

今朝の散歩のことです。いつものように広瀬川沿いを歩きながら、豊かに流れる水面を見つめていました。「これぐらいの水量が、ずっとキープできればいいのに」と、心の中で願わずにはいられませんでした。

川に水が流れている。それは、ごく当たり前の風景です。 しかし、雨が降らず厳しい暑さが続くと、川の水は蒸発し、ひからびた川底がむき出しになってしまいます。それは決して、美しい風景とは呼べません。

川にとって、豊かな水は「服」なのだと気づかされます。 それもただの服ではありません。絶えず流れ、動き、生きている「命の服」です。その躍動する服をまとっているからこそ、川はあんなにも美しく、私たちの心を惹きつけるのです。

 


生きているという前提

ひるがえって、私たち人間の姿を考えてみます。 公の場で人が衣服を身につけずにいる姿を見て、美しいと感じる人はめったにいません。私たちは服を着た姿で他者と接し、語り合い、その交わりの中で時に「美しい」と感じ合います。

ここで重要なのは、服そのものの価値ではありません。

  • 生きている人が着る服:その人の呼吸や動きに合わせ、服そのものが生きているように躍動します。
  • 死者が着る服:いくら高価で美しい服であっても、命の通わないそれは単なる「喪服」にしか見えません。

生命の息吹があるからこそ、まとうものすべてが輝きを放つ。「生きていることは美しい」。これこそが、私たちが日々を歩む上での最も根本的な大前提なのです。

 


命を養う、静かな午後の営み

そんな「生きていることの美しさ」を心で噛み締めながら、午後は明日のための準備を進めました。 その合間には、二人にとても評判の良いレモンケーキをオーブンで焼き上げました。部屋中に広がる甘酸っぱい香りは、間違いなく命を喜ばせる匂いです。さらに、夕食用には焼きめしを作りました。

  • 明日の備えをする
  • 喜んでくれる顔を思い浮かべながらケーキを焼く
  • 温かい夕食の食卓をととのえる

こうしたささやかな日常の営みの一つ一つが、私たちがこの世界で「生きた服」をまとい、躍動している何よりの証です。

これで、今日の私の仕事は無事に終了です。 流れる川の水のように、与えられた今日という命の時間を生き切ることができたことに、ただ深く感謝するばかりです。

雨の湿気も、川のせせらぎも、すべては私たちが生きているからこそ感じられる恵みです。どうかあなたの一日も、その命の美しさに気づける時間でありますように。

今日も、共に前進です。

現代人のために箴言6章を紐解く

 


現代を生きる私たちへ──箴言6章が語る揺るがない知恵

「わが子よ、父の戒めを守れ。母の教えをおろそかにするな。」 箴言6章は、この親の呼びかけから始まります。 古代の知恵の書でありながら、そこに流れる精神は、今を生きる私たちにも驚くほどリアルに響きます。 心に結びつけ、首に巻きつけるように──つまり、日常の中でいつも思い起こすべき大切な教えとして語られているのです。

軽率な約束への警告──保証人になることの慎重さ(15節)

他人の負債を安易に背負うことは、自分の人生を危険にさらす行為だと箴言は語ります。 「優しさ」や「義理」だけで判断してしまうと、思わぬ重荷を背負うことになる。 現代でも、契約・約束・人間関係の中で、同じことが言えます。

深く考え、責任を持てる範囲で約束すること。 これは、信頼を守るための大切な知恵です。

怠け心への警告──蟻から学ぶ勤勉さ(611節)

蟻は、誰に命令されるわけでもなく、未来のために働き続けます。 箴言はその姿を見て、「怠け者よ、蟻のところへ行け」と語ります。怠りは、ゆっくりと忍び寄り、気づけば人生の土台を蝕んでいくもの。 計画性を失い、努力を避けると、未来の可能性が閉ざされてしまう。

今日の小さな積み重ねが、明日の大きな実りをつくる。 このシンプルな真理を、蟻は静かに教えてくれます。

不誠実な行いの危険──社会を壊す行動(1219節)

嘘を広める者、争いを起こす者、他人を陥れる者── これらは主が忌み嫌う行為として挙げられています。不誠実は、個人の心だけでなく、家庭、職場、社会全体を壊していく力を持っています。 だからこそ、箴言は強い言葉で警告します。

誠実さは、どんな時代でも人を守る盾となる。 その価値は、今の社会でも変わりません。

誘惑への警告──心と家庭を守る知恵(2035節)

特に不倫や不道徳な誘惑について、箴言は非常に強い語調で警告します。 それは単なる道徳の話ではなく、 心の平安、家庭の信頼、社会の秩序を守るための深い知恵だからです。

誘惑は甘く、静かに近づきます。 しかしその代償は大きく、人生の根幹を揺るがすことがある。

自分の心を守ることは、愛する人を守ることにつながる。

🌿 現代人が受け取るべき4つの教訓

  • 慎重に約束すること 軽率な判断は、長期的な負担となる。信頼は「深く考える姿勢」から生まれる。
  • 勤勉さの価値 怠りは未来を奪う。小さな努力を続ける人は、必ず実りを得る。
  • 誠実に生きること 嘘や争いを避け、正直で建設的な行動を選ぶことが、人生を豊かにする。
  • 誘惑から心を守ること 自己管理は心の平安を守り、家庭の幸せを支える力となる。

 

変わらない知恵を今日の歩みに

箴言6章は、古代の言葉でありながら、 現代の私たちが直面する課題に驚くほどフィットする知恵を語っています。心に刻み、日々の選択に活かすことで、 あなたの人生はより確かな土台の上に築かれていくでしょう。

今日の歩みが、知恵によって守られ、豊かになりますように。

夏の集い

 


夏の雲と響く声:たった一人のために注ぐ、誠実という名の祈り

午前5時、大年寺山公園へと歩き出しました。 見上げた空には、すでに力強い夏の雲が広がりつつあり、「今日も暑くなるよ」と、雲たちが無言のうちに語りかけてくるようでした。歩き始めると、途中で一度も止まることなく、最後まで歩き続けます。これはサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路でも貫いてきた、私自身の変わらない歩みのスタイルです。 目的地を見据え、一定の呼吸でただ前へと進む。その身体感覚は、日々の生活の中にも深く根付いています。

 


削ぎ落とす時間と、惜しみなく注ぐ時間

私の日常の用事は、この歩き方とよく似ています。 お店での買い出しはいつも10分以内で済ませます。その日買うべきものはすでに頭の中にあり、商品の配置も把握しているため、迷うことなく余計な時間は一切使いません。

しかし、そのようにして研ぎ澄まし、生み出した時間の中で、唯一、惜しみなく膨大な時間を注ぎ込むものがあります。 それは、毎日決まった場所に立ち、2時間かけて聖書を20章分「音読」するひとときです。

長く続けてきたこの習慣ですが、声を張り上げて読むという行為には、私たちの心身を豊かにする確かな力があります。 脳科学の研究でも、音読は脳の司令塔である「前頭前野」を強く活性化させることが報告されています。目で文字を追い(視覚)、口を動かして発声し(運動覚)、その自分の声を耳で聞く(聴覚)。複数の感覚器官を同時に働かせることで、記憶への定着が深まり、集中力が増すのです。 ただ黙読して情報を通り過ぎるのではなく、自らの声帯を震わせて空間に言葉を響かせる行為は、心と身体に絶対にプラスのエネルギーをもたらしてくれます。

 


1人の子どもと、7人の大人

日常の雑事を極限まで効率化するのは、こうした「永遠に連なるもの」に、持てるすべての時間と真心を注ぎ込むためなのです。

今日は、教会学校の夏の集いが行われます。 参加する小学生の子どもは「1人」。対して、迎える大人は「7人」です。 礼拝を守った後、みんなでカレーライスを作って一緒に食べ、工作をして過ごします。

「子どもが1人しかいないなんて、教会学校の衰退ではないか」 世間の基準や、数字の効率だけで物事を見るならば、そのように思い悩む人もいるかもしれません。 しかし、私たちはそのことで思い悩む必要はどこにもないのです。時代の変化を静かに受け止めながら、私たちが問われているのは、「今、目の前に与えられているその子どもに対して、正しく福音を宣べ伝えているか」ということだけです。

 


誠実さの物差し

一人の子どものために、七人の大人が最善を尽くしてカレーを作り、共に笑い、祈る。 それは決して無駄なことではなく、一人の魂がどれほど神様の目に高価で尊いかを示す、美しい愛の縮図です。

  • 誰かに見せるための働きではないか
  • 数字や見栄にとらわれていないか
  • 今、目の前にあることに最善を尽くしたか

私たちの歩みを測る物差しは、世間の評価ではなく、いつもこの「真実と誠実」の中にあります。たった一度きりの、今日という日。 振り返って悔いを残すことのないよう、与えられた命と時間を精一杯に生き切ること。その静かで誠実な積み重ねこそが、私たちの足元を照らす確かな光となります。

今日も、共に前進です。

2026年7月10日金曜日

賢く夏を過ごす

 


灼ける夏の中で、命を守りながら楽しむという選択

1. 夏のイメージが変わってしまった今

今日も暑いですね。 これから本格的な夏が始まろうとしていますが、近年、夏という季節に対するイメージが少しずつ変わってきたと感じます。

昔の夏といえば——

  • 夏休み
  • 海やプール
  • 花火大会
  • スイカ、そうめん、かき氷
  • 家族旅行やキャンプ

わくわくする言葉ばかりが並びました。 「夏=楽しい季節」というイメージが、大半を占めていたように思います。

しかし今は、 熱中症による死者の増加という現実が、夏のイメージに影を落としています。 気候変動によって気温は上がり、私たちのライフスタイルそのものが、夏に合わせて変わらざるを得なくなりました。

それでも—— 夏は、奪われてしまった季節ではありません。 「命を守りながら楽しむ夏」へと、意味を変えていく時期に来ているのだと思います。

2. 「我慢して楽しむ夏」から、「守りながら味わう夏」へ

今年の真夏をどう過ごすかを考えるとき、 大切なのは「根性」ではなく、「知恵」です。

無理をしないことは、弱さではなく賢さ

  • 炎天下での長時間の外出を避ける
  • 日中ではなく、朝夕の涼しい時間帯に動く
  • エアコンを「贅沢」ではなく「命を守る道具」として使う

こうした選択は、 決して「軟弱」ではなく、 命を大切にする知恵ある生き方です。

屋内でも「夏を楽しむ工夫」を持つ

  • 家の中でスイカを切って、ゆっくり味わう
  • 涼しい部屋で、家族とアイスを分け合う
  • 窓から見える空の色や、夕暮れの光を意識して眺める

外に出なくても、 夏の光や空気を感じることはできます。 「出かけない夏」ではなく、 「家の中で季節を味わう夏」へと、視点を変えることができます。

3. 今年の真夏の過ごし方の提案

スマホで読む読者にもイメージしやすいように、 具体的な「真夏の過ごし方」をいくつか挙げてみます。

朝の涼しい時間を、心と体のために使う

  • 早朝の短い散歩
  • 軽いストレッチや体操
  • 静かな祈りや黙想の時間

日が高くなる前のひとときは、 心と体を整えるための恵みの時間です。

日中は「命を守る時間」と割り切る

  • エアコンを適切に使う
  • こまめな水分・塩分補給
  • 無理な外出を避ける

「頑張る時間」ではなく、 「守る時間」として日中を位置づけることが、今年の夏の鍵になります。

夕方以降を「小さな楽しみの時間」にする

  • 夕暮れの空を眺める
  • 短い散歩や買い物に出る
  • 家族で簡単な夏メニューを囲む(そうめん、冷やし中華など)

一日の終わりに、 「今日もよく守り抜いた」という小さな達成感を味わうことができます。

4. 気候変動の時代に生きる、私たちの新しい知恵

気候変動によって、 私たちのライフスタイルは確かに変わりました。

しかしそれは、 「夏が失われた」という意味ではありません。

  • 命を守ることを最優先にする
  • 無理をせず、知恵をもって季節を受け止める
  • 小さな楽しみを丁寧に拾い集める

この三つを大切にするとき、 夏は再び「恵みの季節」として、私たちの前に立ち現れてくるのだと思います。



5. 夏を恐れるのではなく、知恵をもって受け止める

今年の真夏は、 「我慢して乗り切る夏」ではなく、 「命を守りながら、ささやかな喜びを味わう夏」として過ごしてみませんか。

  • 無理をしない
  • 守りながら楽しむ
  • 小さな光を見逃さない

その積み重ねが、 気候変動の時代を生きる私たちの、新しい夏のスタイルになっていくはずです。

今日、娘は別の街で実習です。 金曜日ということもあって、朝、車から降りて駅へ向かう姿はどこか軽やかでした。 今日は友だちと夕食を共にするとのこと。 その楽しみが、きっと一日の励みになっているのでしょう。これから妻は仕事へ向かいます。 もちろん、車で送り届けます。 家族それぞれが自分の場所で今日を生きる——その歩みが守られるように祈っています。そしてノア。 今日からのおやつは、きゅうりを中心にすることにしました。 好物のリンゴは、毎週ノアのために届けてくださる教会員の方からの分だけで我慢してもらうことに。 昨日の治療代は 7,310円。 ノアもきっと、この事情を理解してくれることでしょう。

今日も、共に前進です。

心を守る知恵

 


誘惑の甘さと誠実の力──箴言5章が語る「心を守る知恵」

「わが子よ、わたしの知恵に耳を傾けよ。」(箴言5章)

箴言5章は、父が子に語りかけるような優しい口調で始まります。 しかしその内容は、現代を生きる私たちにとっても非常に鋭く、深い警告を含んでいます。

この章が扱うテーマは「誘惑」と「誠実」。 古代の知恵でありながら、SNS・広告・瞬間的な快楽が溢れる現代社会に、驚くほどそのまま当てはまります。

🌿 1. 誘惑は甘く始まり、苦く終わる

箴言はこう語ります。「他国の女の唇は蜜のようだが、最後には苦い。」

誘惑はいつも甘い顔をして近づいてきます。 魅力的で、楽しくて、手軽で、心をくすぐる。 しかしその先には、必ず「苦さ」が待っています。

現代の誘惑も同じです。

  • SNSでの軽い関係
  • 一瞬の快楽
  • 自分を満たすための衝動
  • 「誰にもバレない」という錯覚

どれも最初は甘い。 でもその甘さは長く続きません。

箴言は、 「甘さの裏にある苦さを見抜く力」 こそが知恵だと教えています。

🌑 2. 不誠実の代償は、想像以上に大きい

箴言5章は、不道徳な行為の結末を非常にリアルに描きます。

  • 名誉を失い
  • 財産を奪われ
  • 健康を損ない
  • 最後には深い後悔に沈む

誘惑は「一瞬の楽しさ」をくれるかもしれません。 しかしその代償は、人生の大切なものを奪っていきます。現代でも同じです。

  • 信頼を失う
  • 家族を傷つける
  • 心が荒れる
  • 自分を嫌いになる

誘惑は「人生を台無しにする力」を持っています。 だからこそ、知恵が必要なのです。

💛 3. 誠実な愛は、人生を支える力になる

箴言はこう語ります。「あなたの泉を他人と分け合うな。」

これは、 結婚関係を大切にしなさい という意味です。

誠実な愛は、派手ではありません。 しかし、長い年月を支え、心を守り、人生を豊かにします。

  • 信頼
  • 安心
  • 尊敬
  • 共に歩む喜び

これらは、誘惑では決して手に入らないものです。

誠実さは、人生の土台です。

👁 4. 神の前で生きるという視点

箴言は最後にこう語ります。「人の道は主の目の前にある。」

私たちの行動は、すべて神に見られています。 誰も見ていないように思える瞬間でも、 神は私たちの心を知っておられます。

だからこそ、 誠実に生きることは、神への応答でもある。

誘惑に負けることは、 神の前での誠実さを失うことにつながります。

 

🌱 誘惑の時代に、誠実を選ぶ勇気

現代社会は、誘惑に満ちています。

  • SNSの軽い関係
  • 一瞬の快楽
  • 自己中心的な価値観
  • 「バレなければいい」という風潮

しかし、箴言5章はこう教えます。

誘惑は甘く始まり、苦く終わる

誠実は地味に始まり、豊かに実る

心を守ることが、人生を守ることになる

誘惑に流されず、誠実な生き方を選ぶこと。 それが、真の幸福への道です。

知恵は、心を守る盾になる

箴言5章は、 「誘惑の時代を生きるための知恵」を私たちに与えてくれます。

  • 甘さの裏にある苦さを見抜く力
  • 誠実を選び続ける力
  • 神の前で正しく生きる力

知恵は、心を守る盾です。 今日も、その盾を手にして歩んでいきたいものです。

 

朝ラン27キロ完走

 


流れ落ちる汗と揺るがぬ基準――不条理な世界で「今日」を生き抜く

夜の静寂がまだ深く街を覆う午前1時。愛犬ノアとの散歩を済ませ、少し仕事をしてから二度寝の床につきました。再び目を覚ましたのは午前3時半。身支度を整え、午前4時ごろ、まだ薄暗い街へとランニングに走り出しました。

今日は仙台の市内を駆け抜け、最後は広瀬川沿いを辿って家路につく、27キロの道のり。全身からとめどなく吹き出す汗を感じながら、私はふと、この汗と一緒に心の奥底に沈殿している不純物までもが、溶けて流れてくれればいいのにと願っていました。

 


移ろいゆく世界と、「良い人」という幻

私たちは日々、誰かの期待に応えようと、無意識のうちに「良い人」であろうとしてしまいます。しかし、走りながら私の心にあったのは、「この世が認める『良い人』になることは目指さない」という静かな決意でした。

なぜなら、この世界が求める基準は、空の天気のようにころころと変わるからです。 昨日はもてはやし、褒め称えたかと思えば、今日は掌を返して文句を言う。人々の判断基準は、その日の気分や状況次第でいとも簡単に揺れ動きます。そんな移ろいゆくものに合わせてすべての人にとっての「良い人」になろうとすれば、私たちは自分自身の心をすり減らし、見失ってしまうでしょう。この世界は、もともと不条理にできているのです。 それがこの世の真の姿であり、正体です。その仕組みがわかっていれば、理不尽な目に遭っても文句を言う気にはなりません。最初から「そういうものだ」と知っていれば、過度な期待をして裏切られ、深く傷つくことから自分を守ることができます。

 


たったひとつの、変わらない基準

世間の評価という砂上の楼閣ではなく、私が目指しているのは「主なる神様が喜ばれる人になること」、ただそれだけです。

人間の気分はうつろいますが、神様の基準はいつも同じです。決して変わることはありません。 コロコロと変わる世間の顔色をうかがうよりも、永遠に変わらないただひとつの基準に合わせて生きるほうが、人生ははるかにたやすく、自由になります。

もちろん、不条理だと分かった上で、私たちもまたこの世の一員として生きていくのです。 私は、この巨大な世界そのものを変えようなどとは想像もしていません。私が心に留めているのは、自分の手が届き、影響が及ぶ小さな範囲のことだけです。少しでも報われる群れの中での変化、そこにある平和と喜び、共に生きる共同体。その小さな居場所を慈しみながら生きれば、それで十分なのです。

 


選んだ道を、喜びをもって

27キロを走り終えた後は、金曜日の朝の慌ただしい日常が待っていました。 妻は早朝のバイトなのでシャワーの後、洗濯機を回し、娘を駅まで送り、掃除をこなしながら過ごす時間。傍から見ればただの忙しい朝かもしれませんが、これもまた、他ならぬ自分自身が選び取った道です。だからこそ、義務感からではなく、深い感謝と喜びをもって、目の前の一つの家事に向き合うことができます。「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」 (マタイによる福音書 634節)

明日はどうなるのか。 それは、明日に任せます。私という存在は、過去でも未来でもなく、「今日生きること」だけが許されている存在なのです。

複雑な世界の中で、変わらない光を見上げること。 そして、与えられた今日という一日だけに集中し、目の前の命を精一杯に生き切ること。

今日も、共に前進です。

2026年7月9日木曜日

公平な時間

 


命の砂時計と、痛みを養分にして拓かれる道

自分にとって今日の一日が終わりを告げようとするこの時間、私たちは目に見えない「時」という大河のほとりに立っていることに、ふと気づかされます。時は必ず流れます。誰かのために、その歩みを止めて待ってくれることは決してありません。

 


平等に降り注ぐ、24時間という奇跡

時間は、この世界で最も公平なものです。 子どもにも、お年寄りにも。富める者にも、貧しき者にも。そして、健康な人にも、病の中にある人にも。いかなる差別もなく、毎日新しい「24時間」というまっさらな器が与えられます。しかし、誰にでも等しく与えられるこの24時間を、どのように使うかによって、私たちの人生の風景は大きく変わっていきます。 しばしば胸に突き刺さる、ある言葉があります。

「私たちが無駄に過ごした今日の24時間は、死の告知を受けた人が、切に生きたがっていた明日である」人が人生の終わりに悔いるのは、与えられた24時間という「長さ」のせいではありません。その与えられた時間を、どう用いたかという「中身」に対してなのです。

 


食卓で分かち合う「今」という恵み

先ほど、家族3人で夕食の食卓を囲みました。 今日一日を無事に終えられたことに安堵しながら、娘の実習での出来事や、これからの進路のこと、そして何より「今、こうして共に在ることへの感謝」を語り合いました。

厳しい環境での実習を乗り越えてきた娘の口から、「訪問看護師も良いかもしれない」という言葉がこぼれました。現場の空気を肌で感じ、戸惑いながらも、それが彼女にとって「とても良い経験」になっていることが伝わってきました。

もちろん、医療やケアの現場へ踏み込んでいくこれからの道には、心温まる良い経験だけでなく、言葉を失うようなつらい経験も待っていることでしょう。理不尽な現実に直面し、自分の無力さに涙を流す日もあるはずです。

 


悲しみも痛みも、未来のための肥料となる

しかし、人生とは、そうした数えきれない「いろいろな経験」をくぐり抜けた先にこそ、たどり着ける場所があるのです。

「わたしたちの生涯の日を正しく数えるように教えてください。知恵ある心を得ることができますように。」 (詩編 9012節)

神様が与えてくださる時間は有限であり、その一日一日は「知恵」を得るための学び舎です。 光に満ちた喜びの経験も、泥にまみれるようなつらい経験も、そのすべてが、いつか彼女自身の心を深く耕し、誰かの痛みに寄り添うための「豊かな肥料」になる。私はそう信じています。今はただ、彼女がその見えない肥料の力を信じ、立ち止まらずに歩み続けることを、親として静かに祈るばかりです。

過ぎ去った時間を嘆くのではなく、明日という日に怯えるのでもなく。 ただ、神様から託された「今この瞬間の24時間」に深く感謝し、精一杯に生きていく。

今日も、共に前進です。

動物病院

 


漬け込まれた時間と、静かなる忍耐が教えるもの

台所に立つと、甘辛いタレの香りがふわりと漂ってきます。今夜の食卓を飾るプルコギが、ボウルの中で静かに下味を吸い込んでいる時間。あとは火を入れるだけ、というこの夕暮れの余白は、家族の無事を待つ祈りにも似た静謐さを連れてきます。

 


13歳の背中が語るもの

今日はノアの病院でした。左耳がふくらんでしまう耳血腫。垂れ耳の犬には避けて通れないことの多い症状で、以前にも同じ処置を受けたことがあります。血を抜き、薬を処方される間、ノアはいつものようにじっと大人しく耐えていました。病院のスタッフの方々からも褒められるほどの穏やかさ。

彼は本当に我慢強い子です。それだけは、共に歩んできた私が誰よりも認めています。 真夏の容赦ない日差しの中も、険しい山の起伏も、20キロから30キロという距離を黙々と歩き、走ってきた日々。その過酷な環境を共に乗り越えてきた記憶の蓄積が、13歳になった今の彼に、静かで揺るぎない生命力と尊厳を与えているのでしょう。

いつか来る介護の日。その心の準備は、もちろんしています。しかし、先の見えない不安に心を奪われるのではなく、「その時」が来たら向き合えばいい。今はただ、神様から与えられた命に深く感謝し、今日という一日を精一杯に生きる。ノアも、私たちも、命の歩み方は同じなのだと教えられます。

 


現実の荒れ野へ踏み出す覚悟

そろそろ、娘から連絡が入る頃合いです。 今日、彼女は実習で一人暮らしの男性のお宅へと向かいました。スタッフの方々が「女の実習生か?」と危惧するほど、家の中の環境に困難が予想される現場でした。

「一番最悪の環境を想像して行きなさい」今朝、家を出る彼女に私はそう告げました。一見すると厳しい言葉に聞こえるかもしれませんが、これは現実の重さに押しつぶされないよう、彼女の心に持たせた見えない盾です。彼女自身もすべてを覚悟の上で、自分の足でその扉を開けに行きました。人間社会の複雑さや痛みのただ中へと踏み込んでいく彼女もまた、今、人生の険しい山道を歩く訓練の途上にあります。

 


希望は、忍耐の土壌から芽吹く

老いた愛犬の無言の忍耐と、若い娘の静かな覚悟。 ふたつの異なる命の姿が、ひとつの真理を映し出しています。「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」 (ローマの信徒への手紙 53-4節)

私たちはつい、痛みや困難のない滑らかな道こそが幸せなのだと思いがちです。しかし、真夏の山道を歩き抜いた犬の足腰が強いように、最悪を想定して踏み出した若き心が鍛えられていくように、人生の「練達」は、避けて通りたい現実の中でこそ培われていきます。ボウルの中でじっくりと時間をかけて味を深めていくプルコギの肉のように、私たちもまた、日々の葛藤や痛みに浸されることで、人間としての深い味わいと、誰かの痛みに寄り添える温かさを吸収していくのかもしれません。

 


今を生きる祈り

あとは、帰りを待って肉を焼くだけです。 先のことを思い煩うのではなく、今日、自分の持ち場で戦っている愛する者たちが、無事にこの扉を開けて帰ってくることを祈る。ただ、それだけです。人生には、どうしても避けられない痛みや、直面しなければならない現実があります。しかし、覚悟を決めて「今」を生き切る時、そこに必ず神様の守りと光が差し込みます。今日も無事に一日が終わろうとしています。与えられた命の温かさを抱きしめて。 今日も、共に前進です。