予定通りにいかない休日の恵み:コマ時間に深呼吸し、窓のほこりを払う
明日からのランニング再開に備え、今日という一日は「完全な休息」にあてようと心に決めていました。たった1日だけの、貴重なランニングの休み。しかし、私たちの日常というものは、なかなか思い描いた通りには進んでくれないものです。
結局、妻を仙台まで車で送り、その帰路でスーパーに寄り、夕食の買い出しをして帰ってきました。 昨日は妻がとても美味しい料理を作ってくれたので、今日からは再び(昨日も一品作りましたが・・)私が台所に立って料理をすることにしています。「今日はあなたが作って」と誰かが決めたわけではありませんが、この自然な心の交代が、我が家の温かいリズムになっています。一方、娘は友人たちの車で外へ遊びに・・・
「何もしないこと」への罪悪感と、休む知恵
今日、家族はそれぞれの場所で、それぞれの「使命」を果たして生きています。
私たちはつい、汗を流して働くことや、目に見える成果を上げることだけが「使命」だと考えがちです。しかし、休むこと、遊ぶこともまた、決して疎かにしてはならない重要な使命です。それは、次に向かうべき使命を果たすための大切な準備期間であり、休息そのものが、神様から与えられた人間の営みの一部だからです。
とはいえ、いざ「何にもしない時間」が与えられると、ふと罪悪感に苛まれてしまうのが人間の悲しい性(さが)です。まとまった時間、ずっと横になって休むことが現実的に難しい日もあります。
だからこそ、私たちには知恵が必要です。
- コマ時間の休息:
車の運転の合間、お湯が沸くのを待つ数分間。その短い時間に深く息を吸い込み、心を静める知恵。
- 完璧な休日を手放すこと:
「休めなかった」と嘆くのではなく、動いている時間の中にある小さな喜びを見つけ出すこと。
日常という名の、静かな礼拝
教会員への手紙を書き、ポストへ投函し、妻を送り、買い物をし、掃除をし、台所で料理の支度をする。 思い描いていた「一日中何もしない休息」とは程遠いかもしれません。しかし、この一連のせわしない時間を通し、私の心は不思議と穏やかな喜びに包まれています。これこそが、他でもない「恵みの時間」なのだと気づかされます。
聖書には、私たちの日常のすべてを包み込む、このような言葉があります。
「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。」(コロサイの信徒への手紙 3:23)
手紙の切手を貼る指先にも、車のハンドルを握る手にも、野菜を刻む包丁の音にも。その一つひとつの背後に、主への祈りと愛が込められているならば、どんな些細な日常の動きも、神様への美しい礼拝となります。
生きるということ
さて、この後は教会の外側の窓に向かい、たまったほこりを取る掃除を行います。 窓の汚れを一枚一枚丁寧に拭き取れば、心のほこりも奇麗に取れた気がするのです。働くこと。休むこと。誰かのために食事を作ること。そして、窓を磨くこと。
そのすべてをひっくるめて、「生きる」ということです。
もし今日、あなたが思い通りの休息を取れず、慌ただしさの中にいるのだとしても、どうかコマ時間を見つけて、一度深く深呼吸をしてみてください。あなたのその日常の営みは、確実に誰かを温め、世界に光を通すための大切な「使命」となっています。
今日も、共に前進です。