恵みの雨が織りなす「命の服」:生きていることの美しさ
午前中の集いを無事に終え、今は静かな午後の時間を過ごしています。 窓の外は雨。かなりの湿気を帯びた空気が、今日という一日をすっぽりと包み込んでいます。天気予報によれば、明日も一日中雨が続くとのこと。
「何か問題でも?」 いいえ、まったく問題ありません。むしろ、もう少し降ってほしいとさえ思っているくらいです。(仙台だけとのことですが・・)
広瀬川がまとう「生きた服」
今朝の散歩のことです。いつものように広瀬川沿いを歩きながら、豊かに流れる水面を見つめていました。「これぐらいの水量が、ずっとキープできればいいのに」と、心の中で願わずにはいられませんでした。
川に水が流れている。それは、ごく当たり前の風景です。 しかし、雨が降らず厳しい暑さが続くと、川の水は蒸発し、ひからびた川底がむき出しになってしまいます。それは決して、美しい風景とは呼べません。
川にとって、豊かな水は「服」なのだと気づかされます。 それもただの服ではありません。絶えず流れ、動き、生きている「命の服」です。その躍動する服をまとっているからこそ、川はあんなにも美しく、私たちの心を惹きつけるのです。
生きているという前提
ひるがえって、私たち人間の姿を考えてみます。 公の場で人が衣服を身につけずにいる姿を見て、美しいと感じる人はめったにいません。私たちは服を着た姿で他者と接し、語り合い、その交わりの中で時に「美しい」と感じ合います。
ここで重要なのは、服そのものの価値ではありません。
- 生きている人が着る服:その人の呼吸や動きに合わせ、服そのものが生きているように躍動します。
- 死者が着る服:いくら高価で美しい服であっても、命の通わないそれは単なる「喪服」にしか見えません。
生命の息吹があるからこそ、まとうものすべてが輝きを放つ。「生きていることは美しい」。これこそが、私たちが日々を歩む上での最も根本的な大前提なのです。
命を養う、静かな午後の営み
そんな「生きていることの美しさ」を心で噛み締めながら、午後は明日のための準備を進めました。 その合間には、二人にとても評判の良いレモンケーキをオーブンで焼き上げました。部屋中に広がる甘酸っぱい香りは、間違いなく命を喜ばせる匂いです。さらに、夕食用には焼きめしを作りました。
- 明日の備えをする
- 喜んでくれる顔を思い浮かべながらケーキを焼く
- 温かい夕食の食卓をととのえる
こうしたささやかな日常の営みの一つ一つが、私たちがこの世界で「生きた服」をまとい、躍動している何よりの証です。
これで、今日の私の仕事は無事に終了です。 流れる川の水のように、与えられた今日という命の時間を生き切ることができたことに、ただ深く感謝するばかりです。
雨の湿気も、川のせせらぎも、すべては私たちが生きているからこそ感じられる恵みです。どうかあなたの一日も、その命の美しさに気づける時間でありますように。
今日も、共に前進です。


