滝のような汗と夜明けの祈り:痛みを抱え、30キロを走り抜く命の誓い
昨夜は23時過ぎに目が覚めました。深い夜の静寂の中で仕事に向かい、二通の手紙を書き終え、それぞれの教会員の家まで行って投函。そして午前3時ごろ、まだ暗闇に包まれた外の世界へとランニングのスタートを切りました。
扉を開けると、重くまとわりつくような湿気が立ち込めていました。走り出して間もなく、滝のように流れる汗が顔を覆います。その汗を何度も何度も拭いながら、私はひたすらに前へ、前へと歩みを進めました。
痛みと共に捧げる、暗闇の中の祈り
コースの途中で、今、教会員の姉妹が入院している病院の前を通りかかりました。 眠りについた街の中で、静かにそびえ立つその建物を仰ぎ見ながら、病床にある彼女の上に神様の豊かな癒やしと平安があるようにと、走りながら深く祈りをささげました。
その時、私の右のかかとには、昨日の朝から続く確かな痛みが居座っていました。 まとわりつく湿気、滝のように流れる汗、そして一歩踏み出すごとに響くかかとの痛み。それは、私たちが生きているこの現実が、決して無菌室のような心地よいだけの場所ではないことを生々しく教えてくれます。
病院のベッドで、痛みや孤独と闘いながら朝を待っている人がいる。そして外の世界でも、私たちはそれぞれに目に見えない重荷や、身体の痛み、心の湿気を抱えながら、息を切らして生きています。
生きるということは、この痛みから無傷で逃げ切ることではなく、痛みを引き受け、祈りを携えながら、それでも一歩前に足を踏み出すことなのだと、痛むかかとが静かに語りかけてくるようでした。
夜明けの光と、走り抜く信仰
汗と痛みに耐えながら走り続けていると、やがて重く暗かった空の向こうから、少しずつ夜が明け始めました。 光が差し込み、世界が新しい朝の輪郭を取り戻していくその静厳な景色を見つめながら、私の胸の奥に一つの熱い思いが込み上げてきました。「今日も、頑張って生きよう」。それは、与えられた命への、深く誠実な誓いでした。
聖書には、人生という道のりを走り抜くことについて、このような言葉が記されています。「わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。」(テモテへの手紙二 4:7)
私たちは時として、なぜこれほどの汗を流し、痛みをこらえてまで人生の道を走り続けなければならないのかと問うことがあります。しかし、その道の途中で捧げる誰かのための祈りや、苦しみの果てに迎える夜明けの光の中にこそ、神様が用意された確かな真理が隠されているのです。
- 痛みがあるからこそ、誰かを思いやる祈りは深くなる。
- 息苦しい夜を越えるからこそ、夜明けの光は美しく輝く。
かかとの痛みを覚えながらも、最後まで足を止めることなく、無事に30キロを完走しました。仕事と手紙、そして長いランニングを終えて一休みしている今、私の心は疲労と共に、確かな清々しさに満ちています。
今日、あなたが抱えている痛みやしんどさは、決してあなたを打ち倒すためのものではありません。それは、あなたが今、命の道を確かに走り続けているという「生きている証」です。
流れる汗を拭いながら、痛む足を引きずりながらでも構いません。明ける空を見上げ、今日という日を精一杯に生き抜いていきましょう。
先日から新しいシューズに履き替えて走っています。 足にしっかり馴染み、履き心地もとても良く感じています。半年間頑張ってもらいます。
今日も、共に前進です。
