霧深き不透明な時代に立つ――崩れゆく正義と、決して揺るがない一つの光
先ほど、激しい大雨の中を車で走り、仙台のバイト先から娘を迎えに行ってきました。 ワイパーを最大にしても前が見えづらく、視界は白く滲み、道路の境界線さえ判別しにくいほどでした。その「見えない」感覚は、まるで今の社会そのものを象徴しているように思えました。
どれほど注意深く目を凝らしても、先の状況が読めず、足元さえ不確かに感じる―― そんな不透明さの中を、私たちは毎日歩いています。
大雨の中、娘を迎えに行く途中、 一台の車が信号無視をして目の前を横切っていきました。 視界が悪い中での危険な行為に、思わず息を呑みました。
「どうしてこんな状況で、こんな判断ができるのだろう」 「自分さえ良ければいいという思いが、ここまで人を盲目にするのか」
その瞬間、ニュースで見聞きする出来事と、 目の前の現実が一本の線でつながりました。
- スポーツ界の八百長
- 学問の不正
- 芸術の盗作
- 宗教の場でさえ起こる権力争い
- そして、日常の道路で起こる身勝手な行為
「正義」は、社会の大きな領域だけで崩れているのではなく、 私たちのすぐ足元――日常の小さな場面でも静かに崩れ始めているのだと気づかされました。不信感は、ニュースの中だけにあるのではなく、
私たちの生活の中に、確かに存在しています。そしてその不信の霧は、 私たちの魂から静かに、しかし確実に希望を奪っていきます。
しかし、この「人間への失望」を前にして祈りの中で思いを巡らせると、 ひとつの真理が静かに浮かび上がってきます。私たちは、どれほど無意識のうちに “人間の作り上げた正しさ”に寄りかかって生きていたのか。
聖書はこう語ります。
「主の御もとに避難する方は、人に信頼するよりもよい。 主の御もとに避難する方は、君侯に信頼するよりもよい。」(詩編118:8-9)
人間の組織や権威は、どれほど立派に見えても必ず腐敗の危うさを抱えています。 だからこそ、正義が崩れゆくこの時代は、 私たちに「真実なもの」を見極める目を呼び覚ます、痛みを伴う呼び声なのかもしれません。
世のすべてから正義が消え失せたように見えても、 決して変わることのない義と真実は、ただ一つ――
主なる神の内にのみ存在します。
深い霧の中で、足元の正義が見えなくなり、 誰を信じていいのか分からなくなる時代。
それでも、私たちは立ち止まるわけにはいきません。人間の不完全さに絶望するのではなく、 だからこそ、揺るがない永遠の光へと心のコンパスを合わせ直すこと。偽りや思惑が渦巻く社会のただ中で、 せめて自分自身だけは、神の前に透明で誠実な一歩を踏み出すこと。その小さな祈りと歩みこそが、 この不透明な時代を切り裂くひとすじの光となるはずです。崩れゆく世界の中で、永遠に変わらぬ主の真実を仰ぎ見て。
今日も、共に前進です。これから自分は寝ますが・・・

