闇を裂くヘッドライトと魂の汗:22.35キロの道程で願う「内なる浄化」
昨晩は、夜空に響き渡る花火の音を遠くに聞きながら、夜9時ごろにようやく静かな眠りにつくことができました。
そして再び目を覚ましたのは、午前1時46分。私にとっての確かな起床時間です。すっかり静寂を取り戻した夜更けの中で、ランニング前のルーティンワークを静かに終え、午前3時ごろ、まだ深い暗闇の底へと走り出しました。
祈りの足音と、新しい景色
今朝は、空気が重くまとわりつくような、非常に湿気の多い朝でした。暗い足元と前方の道を確かにするため、ヘッドライトをつけてのスタートです。
道中、現在過酷なリハビリに懸命に励んでおられる教会員の方が入院している、病院の前を走り抜けました。暗闇の中にひっそりと立つその建物を横目に、その痛みが和らぎ、一日も早く回復されますようにと深く祈りながら足を進めました。祈りながら走る時、その足音は孤独なものではなく、見えない絆を確かめる確かな響きへと変わります。
今日は少しルートを変え、初めて富沢のコーラスホテル前を走ってみました。そこから名取川のゆったりとした流れ沿いを駆け抜け、最後は広瀬橋を渡って帰路につくという道のりです。今日も歩みを止めることなく、22.35キロのハーフマラソンを完走することができました。
流れる汗と、洗い流せないもの
まとわりつく湿気と格闘しながら走り抜いた体は、おそらく今朝だけで3キロほどの大量の汗を流したことでしょう。ウェアから滴り落ちる重たい汗を拭いながら、私の胸の奥に、ふと一つの痛切な思いが湧き上がってきました。
走るたびに、これほど大量の汗を流すことができるのなら。 「その汗と一緒に、自分の心の中にある欲や妬み、憎しみといった悪い不純物もすべて、外へと流れ出てしまえばいいのに」と。
私たちは、懸命に体を動かせば、物理的な水分や老廃物を汗として体の外に押し出すことができます。しかし、私たちの心の内側に静かに降り積もる「不純物」は、どれほど長い距離を走り、どれほど激しい汗を流そうとも、自分の努力や意志の力だけで完全に洗い流すことはできないのです。
光に照らされる「心の貧しさ」
自分の内側に巣食う「欲、妬み、憎しみ」に気づき、それを自分の力ではどうすることもできないと嘆く心。しかし、実はその「嘆き」こそが、神様の前に差し出すべき最も誠実な祈りなのだと、聖書は教えてくれます。
「神よ、わたしの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください。」(詩編 51:12)
自分の努力では決して心を漂白できないという、その貧しさを受け入れること。 今朝、私が身につけていたヘッドライトの鋭い光が、暗闇の中の湿気を白く浮かび上がらせたように。神様の真実の光が私たちの心の奥底まで差し込み、その恵みによってのみ、私たちは内側から全く新しく清められるのです。
流した汗は、人間の弱さと限界を教えてくれます。 しかし同時に、自分の不純物を素直に認めて光の前に立つ時、私たちを丸ごと受け止め、清めてくださる大いなる愛がそこにあることも教えてくれるのです。
- 自分の心に影を見る時こそ、光を求める祈りが生まれます。
- 不格好に汗を流すその姿を、神様は愛おしく見つめておられます。
もし今日、自分の内側にある不純物にため息をつきたくなったとしても、どうかそのままの姿で、光を仰ぎ見てください。
今日も、共に前進です。