【「あ〜疲れた!」の声と食卓の温度】複雑な時代を生きる私たちの、愛しき単純さ
玄関のドアが開き、「あ〜疲れた!」という娘の大きな声が響き渡ります。
一日の重荷をどっさりと降ろしたその叫びのあとに、彼女が期待しているものは何でしょうか。それは言うまでもなく、温かい夕食であり、甘いデザートです。
子どもであれ大人であれ、あるいは年を重ねたお年寄りであれ、人間の根源的な願いというものは、案外このようなものなのかもしれません。
600キロの労いと、買ってきた夕食
今夜の我が家の食卓は、いつもと少し違います。 私自身の「月間600キロの朝ラン達成」というささやかな記念日。今日はあえて台所に立って何かを作るのではなく、できあがった美味しいものを買ってくることにしました。
- サクサクのキャベツメンチカツ
- スパイスの香るビーフカレー
- 食欲をそそる韓国風唐揚げ
そしてデザートには、美味しい二種類のチョコレート。 さらに妻も、娘からの「ミッション」をしっかりと受けて、お菓子を買って帰ってきました。テーブルの上に並んだ、買ってきたばかりのおかずと甘いものたち。それらを見つめながら、私は人間の持つ不思議な性質について思いを巡らせていました。
複雑なのは人間か、それとも時代か
人間は、時に「複雑で分かりづらい存在だ」と言われます。 心の奥底で何を考えているのか分からない、と悩むこともあります。しかし、お腹が空けば不機嫌になり、美味しいものを食べればふっと笑顔になり、疲れて帰れば甘いものを求める。その姿は、驚くほど単純で、愛おしいほど分かりやすいものです。
私たちが「分かりにくい」と恐れるべき本当の正体は、人間ではなく、この私たちが生きている「時代」のほうです。
- 終わりの見えない戦争の影
- 突然日常を奪う事故や事件
- 足元を揺るがす自然災害
世界はどこへ向かっているのか、誰にも分かりません。 昔の歴史書にあるような、目に見える激しい動乱の形ではないかもしれません。しかし、私たちの気づかない深い地底のところで、時代は静かに、しかし確実に形を変え続けています。その捉えどころのない激しい変化こそが、私たちの心を不安にさせるのです。
単純な日常という、最強の錨
先の見えないこの複雑な世界にあって、私たちはどう生きるべきでしょうか。
世界情勢を自分の力で変えることは難しくとも、疲れて帰ってきた家族の「あ〜疲れた!」という叫びを受け止め、好物を並べた食卓を用意することはできます。
過酷な月間600キロの道のりを走り抜いた自分の身体を、あえて「買ってきたお惣菜とチョコレート」で優しく労うことはできます。
聖書に、「今日、我らの日用の糧を与えたまえ」という祈りがあります。 明日がどうなるか分からない世界の中で、私たちに必要なのは、遠い未来の保証ではなく、「今日を生き抜くための、温かい食事と安心できる場所」なのだと、この祈りは教えてくれます。複雑で巨大な不安に立ち向かうための武器は、案外、食卓を囲むという「単純な愛」の中にあるのです。9月も、残すところあと1日となりました。 時代がどれほど移り変わろうとも、走り、祈り、愛する人のために食事を並べる。その尊く単純な営みを、これからも誠実に続けていきたいと思います。