恵みの雷雨と記憶が宿る20キロ:重い足を引きずりながら、それでも走り続ける
昨夜の23時。娘をアルバイト先まで迎えに行き、家へと帰りついた時のことです。 すでに静かに休んでいた愛犬のノアは、娘の帰宅によって無理やりに起こされてしまいました。時刻は23時半。せめて散歩へ連れ出そうと、1階から「ノアを出してちょうだい!」と娘に声をかけましたが、ノアは言うことを聞きません。ノアは「こんなに暑いのに!」と、外へ出るのを渋っていたのでしょう。
仕方なく私が2階へ上がると、ノアはすぐに出てきてくれました。二人で夜の静寂の中を歩き、無事に帰宅。涼しい部屋の中にノアを落ち着かせ、私はゴミ出しへ向かう。こうして一日の大切な仕事を終え、二度寝の眠りにつきました。
身体の重さと、恵みの「サイン」
再び目が覚めたのは、午前3時を過ぎた頃でした。 蓄積された疲労が全身にのしかかり、身体が鉛のように重く感じられます。「今日のランニングは休もうか」。そんな思いが頭をよぎった矢先でした。突然、外で雷が鳴り響き、雨が激しく降り出したのです。
普通であれば、雨と雷は「休むための口実」になるかもしれません。しかし私には、それが天から落とされた「走りなさいというサイン」に思えてなりませんでした。
身支度を整え、スタートを切ったのは4時40分。外はすっかり明るくなっていました。
今週の目標である「100キロ完走」を達成するため、今日は20キロを走ると決めていました。しかし、足取りはいつもと違い、どうしようもなく重く、しんどさがつきまといます。それでも私は、一歩、また一歩と足を前へ運び続けました。
祈りの軌跡としての道
走りながら、ある病院の前を通りました。今、入院して闘病されている教会の姉妹のために、深い祈りを捧げながらその横を走り抜けました。
この病院は、私にとって数え切れないほどの記憶が刻まれた場所です。 以前、他の教会員が入院した際にも、この建物の周りを歩き回りながら祈り続けたことがありました。また、面会が許されていた時期には、毎週のように通い、後に天へと召されていった兄弟と多くの言葉を交わし、人生と信仰を語り合った場所でもあります。
通り過ぎる風景の中に、かつての祈り、涙、そして天へ帰った兄弟姉妹の笑顔が重なります。
- 足の重さは、私たちが背負う現実の重さ。
- 雷と雨の音は、魂を奮い立たせる恵みの合図。
聖書に、このような言葉があります。 「こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか。」(ヘブライ人への手紙 12:1)
天に召された兄弟姉妹たちという見えない「証人の群れ」が、今も教会と残された家族のために祈っている。その確かなぬくもりが、重い足を再び前へと押し出してくれました。
試練に打ち勝つ、たった一つの秘訣
無事に20キロを完走し、今週の目標であった100キロの道を走り終えました。
身体は重く、決して楽ではない朝のランニングでしたが、走り終えた今、心にあるのは「走って良かった」という深い感謝と確信だけです。あそこで休まなかったことに、一切の後悔はありません。人生には、足が前に出なくなるような重い日があり、予期せぬ嵐が吹き荒れる日があります。
しかし、厳しい試練に打ち勝つ秘訣は、実にシンプルです。
「走り続けること。挑戦し続けること」
立ち止まりたくなる時こそ、雨の音を前進のサインとして受け取り、見えない証人たちの声に励まされながら、今日という道をひたむきに走り抜いていきましょう。
今日も、共に前進です。
