大雨の夜に噛みしめる「無事」という奇跡:家族と駆け抜けた、長く豊かな一日
無事に帰宅。 妻が用意してくれた温かい夕食をいただき、ようやく肩の荷を下ろして深く息を吐き出す時、私の心を満たしていたのは、心地よい疲労感と静かな感謝でした。外を打ち付ける大雨の音を聞きながら、今日という「長く、長い一日」の道のりをゆっくりと振り返っています。
「行ってきます」の後に続く、脆くも尊い奇跡
今の時代、「無事」という言葉が持つ重みは計り知れません。 毎日のように報道される痛ましい事故や事件のニュースを目にするたび、朝の玄関で「行ってきます!」と元気に手を振って出かけた家族が、二度と帰らぬ人となってしまうという悲しい現実が、この世界のあちこちにあるのだと気付かされます。
だからこそ、朝に家を出て、夜に再び同じドアを開け、家族の顔を見て「ただいま」と言えること。それは決して「当たり前」のルーティンなどではなく、途方もない恵みであり、一日たりとも同じ保証のない「奇跡」そのものなのです。
家族三人、大雨の中で見つけた小さな発見
今日は、めったにない家族三人で外で過ごす一日でした。それは私にとって、まぎれもない恵みの時です。
サウナで汗を流し、ランチを共にし、スターバックスでコーヒーを味わう。そして、娘の運転免許更新のため、運転免許センターへ。 娘が2時間の講習を受けている間、外は激しい大雨でした。そのため、妻と私は近くの「ジャパンミート生鮮館」で買い物をしながら待つことにしました。初めて訪れたそのお店は、現金のみのロピアに対する強力な競合店になりそうな活気があり、何より「クレジットカードが使える」という嬉しい発見がありました。
大雨の雨宿りを兼ねて、スーパーマーケットで約90分もの長い時間を費やしたのも、私の人生で初めての経験です。そんなささやかな「初めて」の出来事も、家族と過ごす温かい時間の一部でした。
終わらない一日と、愛の疲労感
講習を終えた娘を迎えに行き、16時30分ごろには三人でわたしたちのホームへと向かいました。
しかし、一日はまだ終わりません。車の中で、娘から「17時50分から仙台で高校の同窓会があるから、そのお店まで送ってほしい」という新たな頼み事がありました。一度帰宅して外出の準備をする娘を待ち、再び車を出して同窓会の会場へ。そして、ようやくほんとうの休みの場所に帰り着いたのです。
本当に、長く、長い一日でした。 運転手を務め、あちこちを移動し、体力はすり減りました。しかし、この身体の奥底にある心地よい疲労感は、愛する家族のために時間と力を使えたという「豊かな証」でもあります。
聖書には、私たちの日常の歩みを包み込む、このような約束の言葉があります。
「主はあなたの出入りを守られる。今よりとこしえに至るまで。」(詩編 121:8)
私たちが家を出て、そして無事に帰る。その何気ない「出入り」の背後には、常に神様の完全な守りがあります。大雨の道中も、慌ただしい移動の時間も、すべては見えない御手の中で守られていたのです。
スーパーでの90分も、車中での娘との会話も、すべてが神様から与えられた「今日だけの贈り物」でした。
家族と一緒に過ごし、無事に帰宅できた今日という一日に、心からの感謝を捧げます。 身体は疲れていますが、心には温かい灯りがともっています。明日もまた、与えられた日常という奇跡を、丁寧に、そして誠実に歩んでいきたいと思います。
今日も、共に前進です。