夜空に消える花火と、心に留まる光:流れる「時」を愛し抜く21.60キロの軌跡
今朝は5時を過ぎた頃、まだひんやりとした空気が漂う中でランニングをスタートしました。仙台の早朝はまだ涼しいです。まずは静かな長町周辺の通りを10キロほど走り込み、続いて水面が穏やかに光る広瀬川沿いのコースへと足を伸ばして11キロ。
今晩、夜空を彩る花火大会の会場となる場所を走り抜けました。数時間後には熱狂と喧騒に包まれるであろうその場所も、早朝はただ静まり返っています。無事に帰宅し、今日の走行距離は21.60キロ。心地よい疲労感と共に、ふと心に一つの感慨が浮かびました。
この辺りで行われる花火大会は、もしかするとこれが最後になるかもしれない、ということです。
消えゆく季節と、流れる時の大河
夜空に咲いては一瞬で消える夏の花火が終わると、季節は確実に秋の収穫の時へと移り変わっていきます。どんなに美しい花火も、いつかは必ず夜の闇に溶けて消えてしまうように、私たちの人生を流れる「時」もまた、決して立ち止まることはありません。
振り返れば、その尽きることのない時の流れの中には、本当に様々な瞬間があったはずです。 胸が引き裂かれるほど辛かった時、涙が止まらなかった悲しい時。息が詰まるほど苦しかった時。そして、心が躍るほど楽しかった時や、満面の笑みを浮かべた嬉しい時。
しかし、そのどれほど強烈な感情を伴う出来事であっても、すべては等しく「時」の大河に流され、やがては目の前から姿を消していきます。私たちは、この絶え間ない喪失と変化の連続の中で生きています。
記憶という「永遠の器」
すべてが消えゆく運命にあるのだとしたら、私たちの生きる意味はどこにあるのでしょうか。 それは、過ぎ去った出来事が、私たちの「心の中」、そして「記憶の中」にのみ確かな温もりとして生き続けるという事実に隠されています。
聖書に、時の流れと人間の心について語った深い洞察の言葉があります。
「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。」(コヘレトの言葉
3:11)
時は広瀬川の水のように絶えず流れ去りますが、神様は私たちの内側に、その流れる時を留めておける「記憶」という永遠の器を与えてくださいました。
すべてがやがて過去になっていくのなら。 辛いことや悲しいことにとらわれ続けるのではなく、良い思い出、楽しかった思い出、嬉しかった思い出を、その器に一つでも多く残していくことが何よりも大切ではないでしょうか。
人生を飾る「今」を生きる
人生というキャンバスを美しく飾るのは、他でもない「今の時」です。 いつか消えてしまうからと虚無になるのではなく、いつか消えてしまうからこそ、今、目の前にある時間を慈しみ、誰かと笑い合い、この瞬間を精一杯に生きるのです。
その真剣な日々の積み重ねだけが、やがて色褪せない豊かな記憶となって、私たちの魂を永遠に温め続けてくれます。
過ぎ去る夏を惜しむように打ち上がる花火の音を遠くに感じながら、私たちはまた、新しい秋の実りへと向かって歩みを進めます。 あなたの人生を飾る「今」という時間を、どうか大切に味わい尽くしてください。たとえ今日が平凡な一日に思えたとしても、その一瞬一瞬が、かけがえのない記憶の光となるのですから。
今日も、共に前進です。