デジタル書庫 ―― 祈りの旅路

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2026年5月2日土曜日

静けさが教えてくれること

 


🌬️ 静けさが教えてくれること――みやぎ霊園で立ち止まった言葉

強風の中で執り行われた納骨式

今日のみやぎ霊園は、強い風が吹き荒れていました。 その中で、恵みのうちに納骨式が執り行われました。風は強くても、 墓地そのものは驚くほど静かです。

騒ぐ声は聞こえません。 自己主張する人もいません。 憎む人も、傷つける言葉もありません。ただ、静けさだけがそこにありました。

 

なぜ人は叫ぶのか

墓地の静けさの中に立っていると、 ふと、こんな問いが胸に浮かびました。

「人は、なぜあれほど叫ぶのだろうか?」

怒り、主張、争い、嫉妬、 日常の中には、 心をざわつかせる声があふれています。

けれど、 過ぎ去ってしまえば、 その多くは驚くほど空しい。

みやぎ霊園に眠る人々の静けさは、 そのことを無言のまま教えてくれているようでした。

 

普遍的な真理――“口数少なく生きるという知恵

聖書にはこうあります。

「静かにしていることを学びなさい。」(テサロニケ4:11

静けさは弱さではありません。 むしろ、 静けさは強さであり、知恵であり、愛のかたちです。声を荒げるより、 言葉を積み重ねるより、 静かに、誠実に、 目の前の人を大切にすること。それが、 人生を豊かにする道なのだと 霊園の風がそっと教えてくれました。

 

結び――静けさの中で今日を歩む

強風の中での納骨式。 その後に訪れた、深い静けさ。

人生の終わりの場所に立つと、 「本当に大切なもの」が 驚くほどシンプルに見えてきます。叫ばなくていい。争わなくていい。 静かに、誠実に、今日という一日を歩めばいい。


旅立つ知らせが届く

 


🌱 旅立ちの春に訪れた知らせ――喜びを分かち合うという恵み

朝に届いた「合格」の知らせ

今朝、娘の就職先から合格の連絡が届きました。 胸の奥から自然と「感謝」という言葉がこぼれました。これで来年の3月には、 娘は確実に仙台を離れることになります。 残るは国家試験のみ。 その道のりを思うと、 今日のこの知らせは、 まるで春の光が差し込むような一歩でした。妻と娘は、二人で合格祝いのランチに行くと言います。 仙台の店まで送ることにしました。 私は納骨式の準備があるため一緒には行けませんが、 同じ喜びの中に立っていることを思うと、 それだけで心が満たされました。

 


喜びの裏にある、静かな別れの予感

合格の知らせは嬉しいものです。 しかし同時に、 「来年には仙台を離れる」という現実も そっと心に触れてきます。親としての喜びと、 旅立ちを見送る寂しさ。(この際、私たちも関東地域に行こうか?ここに9年もいたし、前も9年だったので、と妻に話す。) その二つが同時に胸に宿るのは、 きっと多くの家庭が経験することなのでしょう。人生には、 嬉しさと寂しさが同じ器に入って届く瞬間があります。 今日の知らせは、まさにそのような時間でした。

 


普遍的な真理――“共に喜ぶという愛のかたち

聖書にはこうあります。

「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。」(ローマ12:15

家族の喜びを共に喜ぶこと。 それは、 愛のもっともシンプルで、 もっとも深いかたちです。私はランチには同行できません。 けれど、 同じ喜びの空気を吸い、 同じ感謝の思いを抱いている。 それだけで十分なのだと感じました。

 


今日も、共に歩む

娘の合格。 妻と娘の笑顔。 そして、私は納骨式の準備へ向かう。

それぞれが違う場所にいても、 同じ家族として、 同じ喜びを分かち合っている。

人生は、 こうした小さな共にの積み重ねで 静かに形づくられていくのだと思います。

今日も、共に前進です。

ドイツからアメリカ軍5000人を撤退させる?

 


🌍 アメリカ軍がヨーロッパから撤退するということ――世界の柱が動くとき

「軍の移動」ではなく、「大黒柱が抜ける」という出来事

最近、アメリカがドイツから5000人の兵力を撤退させるというニュースが流れています。 イタリアやスペインからの撤退も話題になっていますが、 日本ではその意味が十分に理解されていないことが多いように感じます。

ヨーロッパからのアメリカ軍撤退とは、 単なる引っ越しではありません。

第二次世界大戦後、欧州の平和を支えてきた大黒柱が動く。 その衝撃は、想像以上に大きいのです。

■ 1. 安全保障のリスク――「抑止力の空白」が生まれる

最も深刻なのは、ロシアに対する抑止力の低下です。

  • バルト三国(エストニア・ラトビア・リトアニア)
  • ポーランド

これらの国々にとって、米軍の駐留は 「ロシアが攻めてきたら、アメリカも巻き込まれる」という トリップワイヤー(仕掛け線)の役割を果たしてきました。

米軍がいなくなるということは、 ロシアが軍事的挑発やサイバー攻撃を仕掛けやすくなるということです。さらに、 欧州はアメリカの「核の傘」に守られてきました。 その信頼が揺らぐと、 「ヨーロッパは自分たちで核武装すべきか?」 という議論が再燃する可能性があります。

■ 2. 経済的リスク――“おんぶにだっこのツケが回る

アメリカ軍が担ってきた役割を自国で補うには、 莫大な防衛費が必要になります。

  • 国防費の急増
  • 福祉・教育・インフラ予算の圧迫
  • 米軍基地に依存してきた地域経済の衰退(特にドイツ)

「平和はタダではない」という現実が、 ヨーロッパに重くのしかかります。

 ■ 3. 地政学的リスク――“外敵がいなくなると、内側が割れる

アメリカという共通の守り手がいなくなると、 EU内部の温度差が一気に表面化します。

  • ロシアを脅威と見る東欧
  • 対話や経済関係を重視する西欧(ドイツ・フランス)

この溝が深まれば、 EUNATOの結束が揺らぎ、 ヨーロッパ全体が不安定化する可能性があります。

 

■ 4. 国ごとのリスク――それぞれの痛点

国によって抱えるリスクは異なります。

  • バルト三国:地理的に脆弱。数日で制圧される可能性が指摘されている。
  • ポーランド:歴史的な対露不信。唯一の盾を失う。
  • ドイツ:欧州の兵站拠点としての地位が揺らぐ。軍事力不足が露呈。
  • フランス:欧州主導のチャンスだが、負担増で国内の反発が強まる。

 

結論――欧州は「自分の足で立つ」準備ができているのか

アメリカ軍の撤退は、 ヨーロッパに対して 「もう自分たちで立ちなさい」 と迫る荒療治のようなものです。それが欧州の自立を促す契機になる可能性もあります。 しかし、準備が整う前に柱が抜かれれば、 大陸全体が不安定化の渦に巻き込まれる危険もあります。

いま、 「平和を望むなら、戦争に備えよ」 という古い格言が、 かつてない重みを持ち始めています。世界は静かに、大きく動いています。 その変化を見逃さず、 私たちもまた「世界の構造」を理解しながら歩む必要があるのだと思います。

しかし、こうして世界の安全保障について考えていると、 ふと気づかされることがあります。私たちにとって本当に切実なのは、 世界の平和よりも、まずは家庭の平和ではないか。小さな群れである家庭さえ平和に保つことが難しいのに、 世界が平和にならないのは、ある意味で当然なのかもしれません。

だからこそ、 今日も自分の足元―― 家族、隣人、そして自分自身の心に 小さな平和をつくり出すことを大切にしたいと思います。

平和には、 時に小さな犠牲や譲り合いが必要になることもあります。 それでも、 その一歩が確かに未来を変えていくと信じて。

今日も平和に過ごしましょう。 そして、そのための一歩を共に担って歩むことです。

向かい風の中で見つけた一歩

 


🌬️ 向かい風の中で見つけた一歩――止まらないという力

雨上がりの朝、強風のランニング

雨が上がった今朝、5時ごろにランニングへ出かけました。 空気は澄んでいましたが、強い風が吹きつけ、 向かい風の中では前に進むのがやっとでした。

それでも、脚を止めない限り、 どれほどゆっくりでも前に進むことができます。 だから私は止まらず、ただ前へ、前へと走り続けました。

市内を駆け抜け、 最後は田んぼ道を走って帰宅。 気温が上がり、汗が噴き出すような暑さの中、 31キロを完走しました。

少し疲れを感じながらも、 「今日の納骨式が午後で良かった」と 静かに思える朝でした。 午前中に少し体を休める時間が与えられているからです。

 


向かい風の人生で、私たちはどう歩くのか

向かい風のランニングは、 人生そのもののようでした。

前に進めないように感じる日。 思い通りにならない状況。 心が折れそうになる瞬間。

それでも、 止まらない限り、私たちは前に進んでいる。

スピードは問題ではありません。 歩幅の大きさも関係ありません。 ただ「止まらない」という選択が、 人生を確実に前へと運んでくれます。

 


普遍的な真理――弱さの中で働く力

聖書はこう語ります。

「わたしの力は、弱さのうちに完全に現れる。」(コリント12:9

向かい風の中で進む一歩は、 追い風の中で走る十歩よりも、 深い意味を持つことがあります。弱さを感じるときこそ、 主の力が働く余白が生まれる。 そのことを、 今朝の風が静かに教えてくれました。

 


結び ―― 今日も、共に生きる

雨上がりの朝、 強風の中で走りながら、 私は今日という一日の始まりを受け取りました。納骨式に向かう前の静かな時間。 ノアとの散歩。 新しい一日を迎える祈り。

どれもが、 「今日も共に生きる」という 小さくて大きな恵みにつながっています。

今日も、共に前進です。



🌧️ 雨の夜を越えて

 


🌧️ 雨の夜を越えて――“共に生きるという力

雨の一日が教えてくれたこと

昨日は一日中、雨でした。 妻と娘が帰ってくる時間帯は特に激しく、 自然と「送り迎えの一日」になりました。妻はいつものように、 「送ってもらえるだけで十分」と遠慮します。 それでも私は、 「今日は迎えに行くよ」と自分から声をかけました。

娘はいつものセリフです。 「パパ、可能であれば迎えに来てほしい荷物が多くて」 その遠慮がちなお願いが、 私にとってはむしろ嬉しいものでした。

迎えに行く道すがら、 授業を終えて帰る学生たちの姿が目に入りました。 彼女たちはこれから日本の医療現場を支える大切な存在。 しかし、その働き手が不足しているという現実も胸に残りました。

 


家族が無事に帰ってくるという奇跡

「おにぎり一個しか食べてないからお腹すいた!」 娘の叫びに、「二人がいない間に、

1時間以上かけて仕込んでおいたポークシチュー(我が家はいつも豚肉で作るシチュー)があるから大丈夫だ」と、心の中で答えました。

こうして、 それぞれが一日の仕事や学びを終えて帰ってくる。 その当たり前のような出来事が、 実はどれほど大きな恵みなのか。

雨の夜、 私はそのことを深く思わされました。 そして、さすがに私も疲れました。

 


夜の休息と、静かな再スタート

18時ごろ、寝床に入り体を休めました。 20時に一度目が覚め、 「このまま眠らないと明日が持たない」と思いながら、 ベッドから出ずに二度寝。

完全に目が覚めたのは111分。 そこから新しい一日が始まりました。

部屋の掃除、 雨が止んだのでノアとの散歩、 ゴミ出し、 祈り、 わかめスープを飲みながら仕事。静かな深夜の時間が、 心をゆっくり整えてくれました。そしてふと、 「この雨で山の火事は少し収まっただろうか」 そんな思いが胸をよぎりました。

 


■ “共に生きるということ

昨日の送り迎え、 家族の会話、 深夜の静けさ、 ノアとの散歩。そのすべてが、 「共に生きる」という言葉に結びついていきます。誰かと共に生きることは、 時に疲れ、 時に喜び、 時に支え、 時に支えられること。それは決して派手ではないけれど、 人生を温め続ける静かな力です。

 


結び

今日もまた、新しい一日が始まりました。 雨の夜を越えて、 家族と共に、 ノアと共に、 そして主の導きの中で。

今日も、共に前進です。

2026年5月1日金曜日

心にまとう“服装”

 


👟 心にまとう服装”――世界を歩くための準備

服装が変われば、歩ける世界も変わる

人間には、服装によってさまざまな環境に適応できる力があります。

海辺を歩くなら、スーツではなく軽い服装と素足が一番。 雪道を歩くなら、ブーツと動きやすい服装が必要です。 登山には登山靴、ランニングには汗を素早く逃がすウェアが欠かせません。環境に合った服装を選ぶことで、私たちはその世界を安全に、自由に歩けるようになる。これは、誰もが知っている当たり前のことです。

 


では、心はどうだろう

厳しい世界を生きるためには、 身体だけでなく 心にも服装が必要です。

人生には、 ・冷たい風が吹く日 ・足元が不安定な道 ・急な坂道 ・思いがけない嵐 が必ず訪れます。そんな時、心が薄着のままだと、 すぐに傷つき、凍え、立ち止まってしまいます。だからこそ、 心にも環境に合った素材が必要なのです。

 


心を守るための素材

この世界を歩くために欠かせない心の素材―― それは、次のようなものです。

  • 忍耐
  • 勇気
  • 配慮
  • 赦し
  • 受容力
  • 受援力(助けを受け取る力)

これらは、どれも一朝一夕で身につくものではありません。 しかし、身につければ身につけるほど、 人生のどんな道でも歩けるようになります。

まるで、 雪道にはブーツ、 山には登山靴、 海には素足―― そのように、心にも「その時に必要な装備」があるのです。

 


普遍的な真理――心の服装は、信仰によって整えられる

聖書は、私たちにこう語ります。

「主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません。」(ローマ13:14

つまり、 信仰そのものが、心の服装になるということです。

忍耐も、愛も、赦しも、 私たちの力だけでは長続きしません。

しかし、信仰によって心が整えられるとき、 それらは自然と身についていきます。

信仰は、 心を守る防寒具であり、 人生の荒波を越える救命具であり、 暗闇を照らすヘッドライトのようなものです。

 


結び ―― 今日、あなたはどんな心の服装を選びますか

人生の道は、日によって表情を変えます。 晴れの日もあれば、嵐の日もある。 砂浜のように柔らかい日もあれば、 岩場のように険しい日もあります。

だからこそ、 その日の心に合った服装を選ぶことが大切です。

忍耐が必要な日もあれば、 勇気が必要な日もある。 赦しが必要な日もあれば、 助けを受け取る柔らかさが必要な日もある。

どうか今日、 あなたの心が必要としている素材を、 そっと身にまとってください。

そして、どんな道でも歩けるように、 信仰という大切な装備を忘れずに。

今日も、共に傘をさして歩むことです。

5月スタート

 


🌧️ 雨の朝に気づく、家族を支えるということ

雨音で始まった5月の朝

51日、朝430分。 窓の外は雨。静かな雨音が、今日という一日のリズムを刻んでいました。5時ごろ、ノアの朝ごはんを用意しました。 この時間帯に食べさせることがあるのですが、 雨の朝にノアが食事をとる姿は、どこか安心を与えてくれます。

祈り、部屋の掃除を終え、 自分の朝食を整えました。 フルグラにプレーンヨーグルト、バナナ、リンゴ、プルーン。 その上にハチミツをひとさじ。 いつもの朝のルーティンが、心を静かに整えてくれます。

 


家族を支えるという「運動」

妻は6時過ぎにバイトへ。 今日は昼過ぎからの仕事もあるため、車で送る。 帰りは歩き。 そしてまた歩いて帰ってくる―― これが良い運動になるので、家族は積極的に応援し、 できる限りのサポートをしたいと思っています。

家族の健康は、家族全体の健康につながります。 家庭の中で一人が病気になると、 家族は二つの道のどちらかを歩むことになります。

皆で支え合い、共に乗り越える道 苦しみだけを抱え、暗い日々に沈んでいく道

しかし、これには「時間」という要素が深く関わっています。

短期間の試練なら、 家族が一つになって支え合ったことに喜びを見いだせます。 けれど、状況が変わらないまま数十年という長いトンネルを歩むと、 希望を失い、ハッピーエンディングで終わることは稀です。

だからこそ、 支える側にも、支えられる側にも、忍耐が必要なのです。

 


愛には忍耐が必要であり、それを支えるのは信仰と希望

家族の笑顔を願うことは、誰にとっても自然な思いです。 しかし、現実はその願いと一致しないことも多い。この「夢と現実のギャップ」をどう埋めるのか。

その答えは、 信仰 希望 にあります。

なぜなら、人間の生まれつきの性質は、 愛や忍耐ではなく、 憎しみ、妬み、自己中心性に傾きやすいからです。

だからこそ、 私たちは信仰を求め、 希望を求め、 愛を求め続けるのです。

 


家族を支えるという「信仰のかたち」

雨の朝に始まった今日の歩み。 家族を支え、家族に支えられながら生きるということは、 決して当たり前ではなく、 信仰と希望によって支えられた尊い営みです。

ノアの朝ごはん、 妻の送り、 家族の健康を願う祈り。

その一つひとつが、 今日の「愛の実践」になっていきます。

どうか、あなたの一日にも、 静かな恵みがそっと寄り添いますように。

今日も、共に前進です。

2026年4月30日木曜日

満月の下で終える四月

 


🌕 満月の下で終える四月――小さな相棒と歩いた道のり

四月最後の夜、満月の散歩

先ほど、ノアと四月最後の散歩に出かけました。 夜空には大きな満月が浮かび、街の灯りをやわらかく照らしていました。

帰宅して階段を上っていくノアの後ろ姿を見つめながら、 「今月も無事に歩み終えることができた」 その事実が胸にじんわりと広がっていきました。

特別な出来事があったわけではありません。 けれど、こうして毎日を積み重ね、 ノアと共に季節を歩き、月の満ち欠けを眺め、 一日を終えることができる―― それ自体が、どれほど大きな恵みなのかを思わされます。

 


小さな日常の積み重ねが、心を整えてくれる

四月は、走り、働き、祈り、そして家族と過ごす時間が 静かに折り重なった一か月でした。ノアが階段を上る姿は、 「今日もここまで来られた」という 小さな証しのように見えました。日常の中にある変わらないものは、 時に私たちの心を支える大切な柱になります。

 


五月へ向かう前に

満月の光に照らされながら、 四月の終わりにふと立ち止まる時間が与えられたことに感謝しています。明日から始まる新しい月も、 ノアと共に、家族と共に、 そして主の導きの中で、 また一歩ずつ歩んでいきたいと思います。


第4回:ジャズの即興と聖霊の自由

 


4回:ジャズの即興と聖霊の自由

―― 型を越えて新しくされる喜び

1. 「フロー」に身を委ねるとき

私たちは日々、さまざまなリズムの中を生きています。 仕事や家庭、予定に追われる中で、ふと「自分が動いている」というよりも、 「何かに運ばれている」ような感覚に包まれる瞬間があるかもしれません。

この状態は、心理学では「フロー」と呼ばれます。 意識的なコントロールを手放し、ただリズムそのものと一体化する。 それは、音楽の世界、特にジャズの即興演奏(インプロヴィゼーション)と深く重なります。

前回は、バッハの緻密な秩序が脳に安心をもたらすことを見てきました。 しかし、人生はいつも楽譜通りには進みません。 予期せぬ出来事、計画外の展開、思いがけない出会い。 そんなとき私たちを支えるのは、型を越えて生きる「自由」です。

2. ジャズがもたらす「自己解放」

ジャズの即興演奏中、演奏者の脳では興味深い変化が起きています。 最新の脳科学によると、即興中は「自己検閲」をつかさどる脳の領域が静まり、 代わりに創造性や自己表現を担う部分が活性化するのだそうです。

つまり、ジャズを奏でるとき、演奏者は「間違えてはいけない」というブレーキを外し、 心の奥にある真実を、音として自由に解き放っているのです。

この「自己検閲からの解放」は、私たちの日常にも深く関係しています。 私たちは多くの「正しさ」や「こうあるべき」に縛られ、 知らず知らずのうちに、魂の自由を失ってしまうことがあります。

ジャズの自由なリズムと予測不能な旋律は、 「間違えてもいい、そこから新しいメロディを紡げばいい」 という根源的な安心感を与えてくれます。

3. 聖霊は「思いのままに吹く風」

聖書の中で、イエスはこう語られました。 「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。 聖霊によって生まれた者も皆、それと同じである」(ヨハネ3:8

聖霊は、私たちが作った「正しさの枠」や「日々のルーティン」の中に閉じ込められる方ではありません。 むしろ、今この瞬間に新しい出会いと創造的な愛へと私たちを導く風です。ジャズのセッションでは、ある奏者の予想外の音に、他の奏者が応答し、 それがやがて美しいハーモニーへと昇華していきます。 同じように、聖霊は私たちの人生に起こる「不協和音」や「失敗」さえも用いて、 新しい物語を紡いでくださるのです。

私たちが「自分の正しさ」という楽譜を手放すとき、 人生は神様との唯一無二の即興演奏へと変わっていきます。

4. 型を越えて、神と奏でる人生へ

日々の生活には、時間やルール、責任がつきものです。 でも、それは私たちを縛るためではなく、 自由な即興を支える「コード進行」のようなものかもしれません。

しっかりとした土台があるからこそ、 その上で聖霊の風に乗り、自由に生きることができるのです。もし今、あなたが「型にはまって苦しい」と感じているなら、 あるいは「失敗を恐れて動けない」と感じているなら、 少しだけジャズの調べに耳を傾けてみてください。そして、心の中でこう祈ってみてください。 「主よ、今の私のこの状況を使って、あなたと共に新しい曲を奏でさせてください」と。神様という最高の共演者は、 あなたのどんな「間違い」も、どんな「不協和音」も、 必ず美しいハーモニーへと導いてくださいます。

第3回:バッハの数式と宇宙の秩序



3回:バッハの数式と宇宙の秩序―― 脳を癒やす「響きの建築学」

1. 音楽に宿る「秩序」の力

私たちの暮らしは、日々さまざまなリズムに包まれています。 心臓の鼓動、呼吸のリズム、歩くときの足音──それらはすべて、私たちの存在を支える「音のパターン」です。

このような規則的なリズムに身を委ねるとき、心は静まり、思考は澄み、深い集中状態へと導かれます。 そして、この「厳格な規律が生み出す自由」を、音楽の中で最も美しく体現したのが、ヨハン・セバスチャン・バッハです。

バッハの楽譜を開くと、そこにはまるで建築図面のような、あるいは宇宙の運行を記した数式のような、精緻な秩序が広がっています。

2. バッハがもたらす「脳の安息」

現代社会に生きる私たちの脳は、常に「予測不能な不安」にさらされています。 絶え間なく流れる情報、変化する予定、見えない未来── 脳はこうした「先の見えなさ」をストレスとして受け取り、緊張状態を生み出します。

しかし、バッハの音楽、特に「フーガ」や「対位法」のような構造的な楽曲に触れると、 脳はその緻密な音のパターンを読み取り、「次はこう来るはずだ」と予測を始めます。 そして、バッハはその期待を裏切ることなく、美しい調和へと導いてくれるのです。

この「予測と的中」の繰り返しが、脳に安心感を与え、 まるで乱れた糸を丁寧にほどいていくように、心と身体を整えてくれます。

3. 神が創られた「響きの宇宙」

バッハは、すべての楽譜の最後に「S.D.G.Soli Deo Gloria=ただ神にのみ栄光)」と記しました。 彼にとって作曲とは、神が創られた宇宙の秩序を音として写し取る行為だったのです。聖書にはこうあります。 「主は知恵によって地の基を据え、英知によって天を定めた」(箴言3:19

私たちが星の運行や雪の結晶、音楽の構造に美しさを感じるのは、 それらが神の知恵によって設計された「響きの建築物」だからです。

バッハの音楽が私たちの魂を揺さぶるのは、 それが私たちの存在の奥深くに刻まれた「神のリズム」と共鳴しているからなのです。

4. 混沌の中にある秩序を信じて

人生には、予測不能な出来事や、心をかき乱すような不協和音が響くときがあります。 けれど、バッハの音楽はこう語りかけてくれます。

「混沌の中にも、神の秩序はある」

もし今、あなたの心が不安や混乱でいっぱいなら、 バッハの「平均律クラヴィーア曲集」や、オルガンの静かな調べに耳を傾けてみてください。 その響きは、あなたの内にある「命の息のリズム」を呼び覚まし、 再び静かで力強い歩みへと導いてくれるはずです。

神様は、私たち一人ひとりの人生という楽譜に、 必ず「解決の和音」を書き込んでおられます。今日もまた、神の調律に耳を澄ませながら、 この一日を歩んでまいりましょう。