【灯をともす:四旬節の旅路】第10日:ピラトの前の主イエス ―― 権力と真理の対峙
1. 聖書の場面:二つの「国」の衝突
「ピラトが、『それでは、お前は王なのだな』と言うと、イエスはお答えになった。『わたしが王だとは、あなたが言っていることだ。わたしは真理について証しをするために生まれ、そのために世に来た。真理に属する者は皆、わたしの声を聞く。』」
(ヨハネによる福音書 18章37節)
ローマ総督ピラトの官邸。そこには、地上の圧倒的な権力を象徴するピラトと、無力な囚人として立つ主イエスが対峙していました。ピラトが問うたのは、軍事力や政治力といった「目に見える支配」についてでした。
しかし、主が語られたのは、この世の尺度では測れない「真理の国」についてでした。ピラトは思わず「真理とは何か」と自嘲気味に問い返しますが、主は沈黙をもって、ご自身こそが真理そのものであることを示されました。
2. 心の揺らぎ:世の「正解」と、神の「真実」
現代を生きる私たちは、常にピラトのような問いに晒されています。「どれだけ稼いだか」「どれだけ効率的か」「どちらが強いか」。数字や力による「世の正解」が、私たちの価値を決めようとしてきます。
誠実であろうとすれば損をし、真理を語れば孤立する。そんな時、私たちは「世渡りのうまさ」という権力の前に、自らの信仰を小さく見積もってしまいそうになります。「真理なんて言っていられない」という誘惑が、耳元で囁くのです。
3. 核心:真理こそが、私たちを自由にする
主イエスがピラトの前で堂々と立たれたのは、ご自分が「天の父なる神様」という究極の権威に支えられていることを知っておられたからです。地上の権力は移ろいやすく、いつか消え去りますが、神様の真理は永遠に変わりません。
「真理に属する者は皆、わたしの声を聞く」。 私たちがどれほど無力に見えても、主の御言葉という真理に根ざして生きる時、私たちはこの世のどんな圧力からも自由になれます。誰かに評価されるためではなく、神様の前に「正しくある」こと。その静かな確信こそが、クリスチャンの本当の強さなのです。
現代人へのメッセージ
2026年2月27日、金曜日。 今日、あなたが直面する「権力」や「理不尽な要求」は何でしょうか。
もし、世の中のスピードや価値観に圧倒されそうになったら、ピラトの前で静かに立たれた主の姿を思い出してください。主は、あなたの弱さも、あなたの沈黙も、すべてを真理の光の中で肯定してくださいます。
今日、損得ではなく「何が正しいか」を選び取ろうとするあなたの小さな一歩を、主は「真理に属する者の歩み」として祝福してくださいます。
今日も、精一杯に生きることです。主のために、人々のために。
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