満月の光に守られて —— 祈りとスープで編む二月の始まり
冴えわたる月と、朝の静寂
二月の幕開けは、空にぽっかりと浮かぶ大きな満月に見守られるような始まりでした。 今朝もまだ街が眠る頃、愛犬のノアと共に外へ出ると、研ぎ澄まされた冷気の向こうで月が青白く輝き、私たちの影を霜が降りた道に長く落としていました。資源ゴミを出し、静かな朝のルーティンを終えて帰宅する。
パチパチと音を立てるシリアルに牛乳を注ぎ、バナナの甘みと、淹れたてのコーヒーの香りが部屋に満ちる。そんな「いつもの風景」の中に身を置くとき、ふと、昨日までの慌ただしさが静かな感謝へと溶けていくのを感じます。
繋がれていく「今日」という恵み
一月は四百五十キロという長い道のりを走り抜けました。 昨日は主日。礼拝があり、三月の洗礼式に向けた準備会があり、そして長老会……。牧師として、あるいは一人の生活者として、背負うものの重さにふと立ち止まりそうになる瞬間もあります。けれど、二月のカレンダーをめくると同時に、新しい「祈り」が私の中に芽生え始めました。
来週には大切な投票日を控え、そして何より、娘の看護実習が始まります。一ヶ月という長丁場。親としてできることは、彼女の心と身体を支えるために、温かくて美味しい料理を作ること。
「頑張れ」と言葉にする代わりに、野菜を刻み、スープを煮込む。 そんな、言葉にならないエールを食卓に並べることもまた、私に与えられた大切な使命(ミッション)なのだと気づかされます。
「四百キロ」の先にある、変わらぬ対話
今日から、二月のランニングも始まりました。今月の目標は四百キロ完走。 一月よりも少し短い月ですが、寒さはより一層厳しさを増します。それでも走り続けるのは、それが私にとって主との「最も深い対話の時間」だからです。
「あなたの慈しみは朝ごとに新しく、あなたの真実はきわめて大きい。」(哀歌 3章23節より)
私たちは、大きな出来事だけで生きているわけではありません。 散歩をし、ゴミを出し、掃除をし、誰かのために料理を作る。そんなささやかな日常の繰り返しの中にこそ、神様の細やかな慈しみは宿っています。人生という長い実習の中にいる娘を応援するように、主もまた、走り続ける私の隣で、あるいは静かな牧師室の窓辺で、「あなたは一人ではない」とスープを温めるような優しさで語りかけてくださっています。
新しい一歩を踏み出すあなたへ
あなたは今、どんな「一ヶ月」の始まりに立っているでしょうか。 目の前の課題が山のように見えたり、体力の限界を感じたりしているかもしれません。けれど、特別なことを成し遂げようと力まなくていいのです。
まずは、今日あなたが口にするものを大切に味わうこと。 大切な誰かのために、小さなしあわせを準備すること。 その一つひとつの「丁寧さ」が、あなたを支える強い原動力になります。
満月の光は、暗闇の中でも足元を照らしてくれます。 新しい二月。主の平安が、あなたの歩みと共にありますように。
今日も、精一杯に生きることです。
コメント
コメントを投稿