凍てつく風を、命の熱へ

 


凍てつく風を、命の熱へ ―― 三十一キロの対話

深夜三時、孤独なアスファルトの上で

まだ街全体が深い眠りについている深夜三時過ぎ。 玄関を開けた瞬間に襲いかかる冷気は、まるで刃物のように鋭く、耳たぶが取れてしまいそうな感覚に襲われます。

暗闇の中に伸びる一本の道は、街灯の光を鈍く反射し、遠くの街の明かりへと続いています。この冷たい空気の中で、私は一人、走り出します。


 


自分という最も手強い敵との闘い

早朝のランニングは、気象条件との闘いである以上に、自分自身の心との闘いです。 「今日は寒いから」「昨日も走ったから」――。 足を止めさせようとする無数の言い訳を一つずつ解き伏せ、山田インターを越え、名取へと足を進めます。

氷点下の世界で吐き出す息は白く弾け、それでも体幹からは熱い汗が噴き出してきます。 名取インターを経て長町へ戻るまでの約三十一キロ。 その道のりで出会うのは、一面の霜を黄金色に染め上げる満月であり、川面で静かに羽を休める白鳥たちの姿です。

この「生」の感覚こそが、私にとっての祈りであり、自分を律する時間なのです。


 


命を「管理」するのではなく、「愛する」ということ

私たちは時に、健康であることを単なる「体調の良し悪し」や、数値の管理として捉えてしまいがちです。 しかし、信仰を持って生きる者にとって、健康とは**「神様から一時的にお預かりしている大切な命を、どう愛し、どう用いるか」**という誠実な姿勢そのものです。

  • 走ること: 自分の限界を知り、内なる主との対話を深める時間。
  • 食べること: 身体という宮を維持するための、日々の糧への感謝。
  • 休むこと: 自分の力を過信せず、主の安らぎに身を委ねる謙虚さ。
  • 祈ること: 自分の中心を、常に命の源へと繋ぎ直す作業。

これら四つのバランスを整えることは、特別なことではありません。 日々のささやかな工夫を通して、与えられた命という贈り物を丁寧に扱うことなのです。 六十歳という節目の年を迎え、四百キロの走破を目指す二月の歩みも、すべてはこの「命への敬意」から始まっています。


 


希望の光の中へ踏み出すあなたへ

あなたが今、どんなに冷たい風の中にいたとしても、あるいは自分という手強い壁に立ち止まっていたとしても、大丈夫です。あなたの命は、あなた自身の努力だけで支えられているのではありません。

暗闇の先に必ず朝日が昇るように、あなたの歩みを支え、見守ってくださる大きな御手があります。 三十一キロの道のりの先にある、あの澄み渡った朝の光を信じて、一歩、また一歩と進んでいきましょう。まずは深く、冷たい空気を吸い込み、あなたの内にある命の熱を感じてみてください。

今日から娘の実習が始まりました。 この期間だけは、彼女のために少し特別な料理を作ろうと決めています。 自分にできる精一杯の応援を、食卓を通してそっと届けながら、共に歩んでいきたいのです。



今日も、精一杯に生きることです。

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