2026年3月18日水曜日

【灯をともす:四旬節の旅路】第29日目

 


【灯をともす:四旬節の旅路】第29日目:癒やしと赦しの交わり ― 十字架上の強盗への約束


 


1. 聖書の場面:絶望の淵で交わされた「約束」

「イエスは言われた。『はっきり言っておくが、あなたは今日、わたしと一緒にパラダイスにいる。』」 (ルカによる福音書 2343節)

息絶え絶えの主イエスの両隣には、二人の犯罪者が十字架にかけられていました。一人は主をあざけりましたが、もう一人は自らの罪を認め、「イエス様、あなたの御国においでになるときは、わたしを思い出してください」と、最後の一息で願いを託しました。

主の答えは、驚くべきものでした。「明日」でも「いつか」でもなく、「今日」。 何一つ良い行いを積み上げる時間が残されていない死刑囚に対し、主はその信仰(信頼)だけを見て、永遠の命の門を全開にされたのです。


 


2. キリスト者への教訓:計算を超えた「今」の救い

私たちは、信仰生活を長く続けていると、無意識のうちに「功績の計算」をしてしまうことがあります。「これだけ奉仕したから」「これだけ正しく歩んできたから」……。しかし、十字架上のこの対話は、救いが私たちの「実績」とは全く無関係であることを突きつけます。

救いとは、私たちがどれほど遠回りをしたとしても、絶望のどん底から主を仰ぎ見たその瞬間に完成するものです。**「今日」**という言葉には、過去のすべての罪を帳消しにし、今この瞬間から主との交わりを始めるという、圧倒的な神の恵みが凝縮されています。私たちは、「立派なクリスチャン」としてではなく、ただ「主に思い出していただく必要がある罪人」として、日々新しく主の前に立つ勇気を与えられています。


 


3. 現代人へのメッセージ:「手遅れ」という言葉を辞書から消す

「もう若くないから」「あんな失敗をしたから」「人生が詰んでしまった」。 2026年の競争社会を生きる私たちは、自分自身に「手遅れ」というレッテルを貼り、自らを裁くことに慣れすぎています。効率や成果を求める世界では、やり直しのきかない瞬間がいくつもあります。けれど、主イエスの福音に「手遅れ」はありません。 あなたがどのような過去を背負っていても、たとえ人生の最終コーナーに差し掛かっていたとしても、心を主に向けたその瞬間に、あなたの居場所は「パラダイス」へと移されます。神様が求めているのは、完璧な履歴書ではなく、「わたしを思い出してください」という、震えるような本音の叫びだけなのです。


 


黙想のひととき

今日、あなたが「もう手遅れだ」と諦めかけていることはありませんか? あるいは、自分の過去の失敗を、今も計算し直してため息をついていませんか。

25キロを走り終えて、疲労困憊で座り込むときのように、すべての「自分自身の力」を投げ出してみましょう。そして、十字架の主を見上げ、「私を思い出してください」とだけ祈ってみてください。その瞬間、あなたの心の中に、神の国の平安が「今日」訪れます。

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