【灯をともす:四旬節の旅路】第31日目---暗闇の中の叫び ―― 「わが神、わが神、なぜ」
1. 聖書の場面:真昼に訪れた暗闇と、絶望の叫び
「三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。 『エリ、エリ、レマ、サバクタニ。』 これは、『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか』という意味である。」
(マタイ 27:46)
午後三時、真昼であるはずの時間に全地が暗闇に包まれました。 その闇の中で、十字架の上から主イエスの魂を引き裂くような叫びが響きました。
これは単なる肉体の痛みの声ではありません。 父なる神から完全に引き離されるという、私たちが本来受けるべき「神の不在」という絶望を、主が身代わりに引き受けられた瞬間の叫びでした。
「神の子」である方が、最も神から遠い場所――私たちの罪のどん底にまで降りて来られたのです。
2. キリスト者への教訓:「なぜ」という問いは、神への叫びであっていい
私たちは苦しみの中で、「信仰があるなら弱音を吐いてはいけない」「不平を言ってはならない」と、自分の心を押し殺してしまうことがあります。
しかし、主イエスご自身が十字架の上で「なぜ」と叫ばれました。
この叫びは詩編22編の引用でもあります。 つまり、絶望の淵にあっても主は「わが神」と呼びかけ、沈黙する神にしがみついておられたのです。
私たちが人生の暗闇で 「なぜ私だけが」 「神様、どこにおられるのですか」 と叫ぶとき、その声は不信仰ではありません。
むしろ、主イエスが通られた、神との最も深い対話の入り口なのです。
3. 現代人へのメッセージ:孤独の底で出会う「共感者」
2026年の今、多くの人が「誰にも理解されていない」と感じています。 世界に満ちる憎しみ、病の再発、努力が報われない虚しさ。 そのような現実の中で、私たちは宇宙に一人取り残されたような孤独を覚えることがあります。
しかし、思い出してください。 あなたの「なぜ」という問いには、すでに先客がいます。
主イエスは、あなたが今感じている孤独の底に、先回りして降りて来られました。 あなたが「神に見捨てられた」と感じるその場所こそ、 主が「あなたを一人にしないために」身代わりとなって捨てられた場所です。
「なぜ」という問いの先には、 あなたを黙って抱きしめる主の臨在が必ずあります。
黙想のひととき
今日、あなたが心の奥にしまい込んでいる「神への問い」は何でしょうか。 「なぜ、世界はこうなのですか」 「なぜ、私の道はこんなに険しいのですか」。
その問いを隠さず、そのまま主に差し出してみましょう。 沈黙の向こうに、微かな光が差し込み、あなたの魂を癒し始めます。
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