2026年3月10日火曜日

恵みの内に葬儀を終えて

 


人生には、自分の計画をはるかに超えた「神様の時間割」が差し込まれる瞬間があります。 この数日間、私はまさにその怒涛のような、しかし圧倒的な恵みに満ちた奔流の中にいました。


 

娘のために弟が仁川国際空港でクリスピークリームドーナツを買ってくれました。それも6個入り四箱も。それをもって韓国→成田→上野→仙台→長町→教会へ



午後六時三十分、長町駅からの再始動

家族の用件で韓国へ渡っていた私に届いたのは、一通の緊急連絡でした。 三年間、共に食卓を囲み、深い信仰の交わりを重ねてきた知人の召天。八十九歳。 「最後はキリスト教式で」という故人の強い願いを受け、私は急遽、日本への帰路につきました。

土曜日の午後六時五十分ごろ、長町駅に降り立ち、荷物を置く間もなくご自宅へと駆けつけました。そこにはすでに葬儀社の方々、そして静かに横たわる故人の姿。まず祈りを捧げ、具体的な段取りを打ち合わせ、そのまま教会へ。

日曜日の主日礼拝、週報作成、教会学校、婦人会の例会……。山積するタスクを前にしても、不思議と心は静かでした。なぜなら、この慌ただしさのすべてを神様がコントロールされているという、確かな手応えがあったからです。

 

二十三時の癒やし:深夜のドライブ

当然のように徹夜を覚悟した土曜の夜。 時計の針が二十三時を回る頃、私は仙台市内でアルバイトを終える娘を迎えに行きました。 車内での何気ない会話。看護実習の苦労や、将来の夢、日々の出来事……。 仕事に追われる深夜、娘と過ごすこの短い時間が、私にとっては何よりの「癒やし」となりました。

「お父さん、頑張ってね」 その一言を背中に受けて、再びデスクに向かい、前夜式のプログラムを印刷し終えた時、主の日の朝が明けました。 疲れる暇さえ与えられない。それは、神様に必要とされているという、最高の「特権」でもありました。

「葬儀専門牧師」としての悦び

今回の前夜式と葬儀には、多くの未信者の方々が参列されました。 しかし、そこで私を力づけてくれたのは、教会の兄弟姉妹の姿でした。私の報告を聞き、多くのメンバーが駆けつけ、式場に響き渡る大きな声で讃美歌を歌ってくれたのです。

その歌声を聞きながら、私は確信しました。 **「八年前、私がこの仙台に遣わされたのは、決して偶然ではなかった」**と。 もし私が専門的な分野の牧会を担う環境にいたならば、私は迷わず「葬儀専門の牧師」になっていたでしょう。それほどまでに、ご遺族に寄り添い、最期の瞬間に福音の希望を灯す働きは、私の魂を震わせます。

「素晴らしい式をありがとう」というご遺族の言葉。 すべての栄光を主にお返ししながら、私は牧師としての至福を噛み締めていました。昨日の葬儀、火葬場の別れを終えて帰る途中、買い物をして教会に戻ると十六時半ごろになりました。


 


祈りの距離、命の鼓動

慌ただしい日々の中でも、私が決して止めないものがあります。それは「走ること」です。 昨日は、故人との三年間の交わりの思い出を胸に、名取の海へと続く道を二十六キロ完走しました。

私にとって、走る距離は「祈る距離」であり、走る時間は「祈る時間」です。

週百キロというルーティンは、私を主と、そして愛する人々へと繋ぐ大切な回路です。 走りながら、故人の笑顔を思い出し、厳しい状況にある教会員一人ひとりの名を呼び、家族の健康を祈ります。

日常という名の祭壇

今朝はノアちゃんの散歩を終えて五時頃から仕事に取り掛かりました。まずは家族のための食事作りから一日が始まりました。 白菜のスープと鶏むね肉の料理。看護実習に向かう娘、仕事へ向かう妻。そして元気に尻尾を振るノア。 留守の間に少し寂しくなっていた食卓を、再び温かな愛で満たす。これもまた、神様から託された大切な奉仕です。

命がある限り、精一杯に生きる。 主のために、家族のために、教会のために。 そして、私を必要としてくれるすべての人々のために。

新しいシューズを履き、今日も私は走り出します。 神様の備えてくださった、この輝かしい一日の中へ。

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