🌿 朝の光と、風を切る「思考」の軌跡 ―― 秩序という名の愛について
1. 朝の光と、揺れ動く春の空気
4月1日、新しい年度の幕が上がりました。 今朝の仙台には、冬の名残をわずかに含んだ冷たい風が吹いています。しかし、その風を切って差し込む光には、確かに春の体温が宿っています。500キロという長い祈りの道のりを終えた翌朝も、迷わずランニングシューズを履きました。今日で4日連続のランニング。 月の始まりを「走ること」から始める――それは私にとって、自分の内側のリズムを整え、新しい季節に響く神様の呼びかけに応えるための、小さな儀式のようなものです。走り出すと、道端には冬を越えた落ち葉が薄く積もり、シューズが起こす風にふわりと揺れました。
街は今日から施行される「新規定」の空気に包まれ、どこか新年度特有の緊張感が漂っています。
2. 「青切符」の向こう側にある不条理
今日から自転車の交通違反に「青切符」が導入されるなど、私たちの生活には新しい規定が次々と加わります。本来、規定や法律は人を守り、安全を確保するために存在します。
しかし時に、それらは懸命に生きる人々を締め付け、不自由さを強いる「重荷」に感じられることもあります。世界は常に合理的でも、公平でもありません。 むしろ、不条理が平然と横行し、善意が報われない場面があまりにも多い。では、そんな世界で私たちはどう生きればよいのでしょう。走りながら私は思いました。
不条理を嘆くのではなく、不条理さえも「味方」に変えてしまう知恵と力が必要なのだ、と。
3. 「思考」という、神様から託されたタラント
神様は人間に、他の被造物にはない特別なタラント――「思考する力」を与えてくださいました。問い続け、考え続け、最善を探し続けるその力が、文化を築き、社会を形づくってきました。しかし人間は、その素晴らしい力を時に欲や争いのために使ってしまいます。
その結果、世界は混沌とし、神様が本来定められた「美しい秩序」を見失ってしまいました。聖書は語ります。
「神は混乱の神ではなく、平和の神だからです。」 (コリントの手紙一 14章33節)
神様の秩序とは、私たちを縛る檻ではありません。 私たちが真に自由に、安全に生きるための“愛の枠組み”です。だからこそ、 自分の思考を神様の御心へと調律し、 混乱の中でも「平和のリズム」を取り戻すこと。 それが、迷わずに走るための唯一の地図なのです。
4. 祈り、走り、思考し続ける4月
新しい年度、新しい規定。 何が変わっても、私のやるべきことは変わりません。
生き続けること。 走り続けること。 祈り続けること。 そして、思考し続けること。
思考を止めた瞬間、人は不条理に飲み込まれます。 しかし、神様から頂いた知恵の火を絶やさず、一歩一歩を吟味しながら進むなら、 私たちはどんな嵐の中でも「聖なる秩序」の中に留まることができます。
すべては、神様の栄光のために。 今日という一日の、何気ない足音さえもが、主を賛美するリズムとなることを願って。
今日も、前進です。