今週113キロの「祈りの軌跡」と、台所という名の聖所
走り終えた身体にシャワーの水が落ちていくとき、ただ汗を流しているのではなく、心のざわめきや余計な思考までも洗い流しているように感じる瞬間があります。
そしてそのまま、間を置かずに台所へ向かい、包丁を握る。 白菜を刻み、鶏むね肉をそっと鍋に落とし、準備しておいた野菜たちが色を添えていく。
その光景は、 「ランナー」から「夫・父」、そして「牧者」へと静かに姿を変えていく、ひとりの人間の礼拝そのものです。
走ることは自分のため。 料理をすることは誰かのため。 その二つが矛盾するどころか、むしろ互いを深め合っているのだと、最近よく思います。
自分以外の誰かのために動く喜び
「自分のことばかりではなく、誰かのために生きる」。 それは、主イエスが示された生き方そのものです。洗濯機が回る音、スープの煮える香り、まな板の上で響く包丁のリズム。
それらはどれも、目には見えない愛の形。 そしてその愛を“提供できる”という事実が、私自身のエネルギー源になっているのだと気づかされます。家族のために動くことは、義務ではなく、祈りの延長線。
台所は、私にとって小さな聖所なのかもしれません。
聖土曜日への備え──走ることを止めて「待つ」
明日は、走らないと決めました。 これは単なる休息ではなく、霊的な決断です。
4月5日のイースター。 復活の光が世界に差し込むその日を迎えるためには、 今日という沈黙、そして明日の「聖土曜日」の静けさが欠かせません。
身体の安息
113キロを支えてくれた筋肉に、深い休息という報酬を。
魂の調律
走ることで研ぎ澄まされてきた思考を、あえて止める。 その静けさの中で、復活の主が語りかける“細き声”に耳を澄ませる。 この贅沢な時間が、日曜日の説教壇での言葉に新しい息吹を与えてくれるはずです。
白菜と鶏むね肉のスープという「回復食」
疲れた胃腸に優しく、心まで温めてくれる一杯。 家族もまた、私が走って持ち帰ってきた 「爽やかな朝の空気」と「温かい料理」に、何よりの愛を感じてくれていることでしょう。料理は、愛の翻訳。
祈りは、愛の源泉。 走ることは、その愛を循環させるためのポンプのようなものです。
新しい命のスタートラインへ
日曜日のイースター礼拝が、 仙台長町教会の皆さまにとって、 そして伴走を続ける私自身にとって、 最高の「新しい命のスタートライン」となりますように。
今日は、ゆっくり休んで。 そして、前進です。
0 件のコメント:
コメントを投稿