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2026年5月17日日曜日

究極の焼うどんと「80歳」への約束

 


一日一日のステップに命を宿して ―― 究極の焼うどんと「80歳」への約束

穏やかな聖日の終わりに、台所から広がる温もり

午前中の礼拝と、そこに集う方々との心温まる交わりの時間を終え、午後は静かで穏やかな休息の時を過ごすことができました。心身がすっきりと満たされる、感謝に満ちた聖日のひと時です。

静寂が包む夕暮れ時(外はまだ明るいですが)、私は台所に立ちました。明日から再び始まる娘の学校と実習を支えるために、かぼちゃの料理と小松菜のおかずを作り置きしておきました。  そして今晩の夕食には、昨日作った「究極の焼きそば」に続き、今日は麺を変えて「究極の焼うどん」を腕を振るって作りました。湯気と共に広がる香ばしい醤油の香りが、我が家の食卓を優しく包み込んでいきます。


 


路上のステップが紡いできた、4年目の確信

明日からは、再び朝の路上へと踏み出すランニングが始まります。  これは私にとって、生活から決して欠かすことのできない、週4回のルーティンワークの一つです。雨の日も曇りの日も、身体の重みを感じる日であっても、淡々と「続けること」が何より大事なのだと、日々のステップが教えてくれました。

振り返ってみれば、私が本格的にランニングを始めてから、今年で2年目になります。  走りながら、ふと未来の自分の姿に思いを馳せることがあります。人生が許されるならば、私は80歳になるまでこの脚で力強く走り続けたい、という密かな願いを持っています。そして、81歳になってからは、再びゆっくりとした「歩み」に変えて、与えられた日々を丁寧に過ごしていけたら、と。

もちろん、一寸先のことすら見通せない人間のこと、本当にそこまで生きられるか、走り続けられるか、先のことは誰にも分かりません。健康の衰えや、予期せぬ環境の変化に直面することもあるでしょう。  しかし、分からないからこそ、私たちは未来に過度な不安を抱く必要もないのだと気づかされるのです。


 


先を見据えつつ、ただ「今日」という路を刻む

80歳までの遠い道のりを一気に見通そうとすると、その距離の長さに足がすくんでしまうかもしれません。けれど、私たちが実際に走ることができるのは、いつだって「今、目の前にある一歩」だけです。

聖書は、未来を思い煩う私たちに、シンプルな生の焦点を指し示してくれています。

「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(マタイによる福音書 634節)

2年目のランニングも、明日作るお弁当のおかずも、すべては「今日」という一日のなかに与えられた尊いミッションです。  先のことは神様の御手に委ね、私たちはただ、手渡された一日一日を感謝をもって受け取り、精一杯に生き切る。その淡々とした誠実な繰り返しの先にこそ、80歳という遥かなゴールが自然と形作られていくのです。


 


不確かな明日を、確かな足取りで

あなたは今、まだ見ぬ未来の計画や、行く末の不透明さに心を痛め、焦りを感じてはいませんか?  「ずっとこのまま続けられるだろうか」と、途方のない距離に疲れてしまってはいないでしょうか。

遠い先のことの答え合わせは、今しなくていいのです。  大切なのは、明日という不確かな海にのまれることなく、今日という確かな大地を踏みしめることです。

  • 継続の力: 大きな飛躍を求めず、週4回のルーティンのように淡々と歩みを刻む。
  • 愛の仕込み: 明日を生きる大切な人のために、今できる小さな備え(おかず作り)を整える。
  • 今に生きる: 80歳になっても、歩みに変わる81歳になっても、その日その日の命を精一杯楽しむ。

 


新しい一週間のスタートラインへ

家族で囲んだ美味しい焼うどんの余韻と共に、夜が更けていきます。  明日になれば、また新しい朝が来て、それぞれの学校や仕事、そして私のランニングという日々の営みが始まります。先のことは分からなくても、明日を恐れる理由はどこにもありません。今日を精一杯に生きた私たちは、明日もまた、与えられた力で一歩を踏み出すことができるからです。    十分に休んだ身体で、明日からの新しい路を、それぞれのペースで踏み出していきましょう。

今日も、共に前進です。

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