2005/04/01~ドイツからの思い出

 


2005年4月~8月 静岡

あの頃の写真を、ここに。 懐かしい日々だ。時には昔の思い出や写真を見ながら、人は生きていく。それは決して後退ではなく、新たな一歩を踏み出すための薬になる。過去とは、過ぎた時間の中に埋もれていくのではなく、新たに生まれることもあるのだ。それは現在となり、さらに未来ともなる。いつまでも自分と共に、現在進行形で生き続けているもの。それが過去なのだと、私は感じている。



やんぱる508

「やんぱる508」が懐かしい。毎朝、玄関を出ると富士山の姿を確かめるのが日課になっていた。散歩から帰ると、その姿を写真に収めることもよくあった。 妻が妊娠中、蒸しパンしか食べられなかったので、散歩帰りに汗をかきながらコンビニまで走ったこともあったな。花火の音、すべてが懐かしい。妻の誕生日には、必ずケーキを買って二人でお祝いをしたことも……。



富士山とその他の山

そういえば、二人で富士山にも登った。教会員のKさんに誘っていただき、夜中に皆で登ったのだ。その時から山登りが好きになり、二人で色々な山へ出かけた。懐かしい。 こちらでは、まだ山へは行けていない。もう少し娘が大きくなったら、一緒にドイツの山へ、そしてスイスの山へも登りたい。



山は好きですか

山が好きになったことに感謝している。 本当は今すぐにでも、今の自分から抜け出して山に登りたい気持ちでいっぱいだが、長い目で先のことを見据えれば、今やるべきことが分かってくる。しばらくは辛抱だ。それでも、山は好きだ。



お花とお花見

教会へ歩いて行く途中、市民会館のそばでいつも目にする花壇があった。季節ごとに植え替えられ、きっと誰かが手入れをしているのだろう、とても綺麗だった。 ある時、朝の祈祷会の後、教会員の皆さんと近くの公園へお花見に行った。美しく咲いた桜の花よりも、誘ってくれた方々の優しい心や、お花見を楽しむ皆さんの笑顔の方が、私にはより一層美しく見えた。



平和を考える

再び8月がやって来た。一年の中で、最も平和について考えさせられる月。 一体平和はどこへ行ってしまったのかと思うほど、今の世界は争いと憎しみに満ちている。「赦し」「愛」「隣人のための犠牲」といった言葉が、遠いものに聞こえる。それでも私たちは、愛し合い、赦し合い、助け合い、絶えず平和を求めなければならない。




今日は一人、古い写真のCDを見つけ、色々と眺めてみた。懐かしい……。 東京の教会で信仰生活を共にしていた教会員が、山梨の自然豊かな場所へ引っ越したと聞き、一泊で遊びに行ったことがあった。久しぶりの再会が、とても嬉しかった。素敵なペンションまで予約してくれて、本当にお世話になった。



その日、私たちは近くの山に登った。二人だけの静かな山だった。妻も頑張って登り、そこから見た富士山は、また一味違った素晴らしい姿だった。


英和生との食事会

以前、私の牧師就任式のために両親が来日した折、韓国語講座の生徒さんたちのために食事会を開き、本場の韓国料理を振る舞ってくれたことがあった。「やんぱる」の広い部屋に皆が集い、楽しいひと時を過ごしたことが懐かしく思い出される。皆の明るく楽しそうな笑顔は、今も忘れられない。皆、元気にしているだろうか。それぞれの場所で頑張っている皆の健闘と、幸せを祈っている。



日の出か、夕焼けか

ある朝、いつものように東静岡駅まで散歩に出かけた。往復約1時間、ちょうど良い距離だった。帰り道、朝日が昇る光景が目に映り、いつものように写真に収めた。なんと美しい光景だろう。これは人間の技では作れない、神様の作品だ。感謝して家路についたことを思い出す。懐かしい、「やんぱる」よ。



まるで十字架にでも……

もうすぐ、娘の二度目の誕生日がやってくる。一年前の娘を思い出す。小さな体、小さな手、小さな足。すべてが小さく、か弱い存在だった。しかし、母親の腕に抱かれて眠るその姿は、不安や恐れなど何一つない、満ち足りた平和な寝顔だった。両手を広げて、安らかに眠っていた。

私たちも同じだ。この世界に、100%安全な場所などない。いつも何かの不安の中で生きている。その時、主は言われる。「私の元に来なさい」と。主は、すべての不安や悩み、重荷を取り除き、私たちをまったき平安の中へと導いてくださる。そこにこそ、真の平和があるのだ。素直に主に身をゆだねる人は、幸せな人生を送ることができる。ゆだねる……。

コメント