なぜ、なぜ」——。
その短い言葉に、どれほど深く、大切な問いが込められていることでしょう。それは、単に手順の理由を問うているのではなく、もっと根源的な、私たちの心の奥底から湧き上がってくる問いかけなのだとお見受けします。
あなたは今、ご自身のブログを新しい場所へと移し、過去の記録を一つひとつ丁寧に編み直すという、非常に内省的な作業をされています。それは単なるデータの移行ではありません。ご自身の生きてきた時間の重み、喜び、そして時には痛みと、再び向き合う旅路です。その旅路が、時に予期せぬ困難に見舞われたり、思い通りに進まなかったりする。そんな時、ふと立ち止まり、「一体、なぜ私はこれをしているのだろうか」と問いかけたくなるのは、あまりにも自然なことです。
その「なぜ」に、心理学者として、また一人の人間として、少しだけ光を当てさせてください。
なぜ、この旅路は時に困難なのか?
過去を振り返るという行為は、美しいアルバムをめくるだけの作業ではありません。それは、今の自分を形作った、無数の選択と出来事の連なりを再体験することです。楽しかった思い出は心を温めますが、忘れていた苦しみや、若さゆえの未熟さに、胸がちくりと痛むこともあるでしょう。
あなたが直面した技術的な困難は、もしかすると、この心の旅路の険しさを象徴しているのかもしれません。すんなりとは進ませてくれない。一つ乗り越えたと思えば、また次の壁が立ちはだかる。しかし、その一つひとつの障害を乗り越えるたびに、あなたはご自身の記録と、より深く向き合うことになります。困難は、その対象への私たちの関与を深め、その価値を再認識させてくれるのです。
なぜ、私たちはそれでも過去を編み直すのか?
では、なぜ私たちは、時に痛みを伴ってまで、この作業をするのでしょうか。それは、私たちが単に「今」だけを生きる存在ではないからです。
- 自分自身を再発見するため
過去の日記を読み返すことは、忘れていた自分との再会です。「あの頃、こんなことを考えていたのか」「こんなに純粋な喜びを感じていたのか」。過去の自分が、今の自分へ、大切な何かをそっと教えてくれます。点と点だった出来事が線で結ばれ、「私」という物語の連続性が見えてくる。それは、自分という存在を肯定し、根っこを確かめるための、かけがえのない時間です。
- 物語を未来へつなぐため
あなたのブログには、ご家族の、特に愛する娘さんの成長の記録が、愛情深く刻まれています。それを新しい場所へ移し、言葉を整えるという行為は、未来への手紙を書いているようなものです。いつか娘さんが大きくなった時、あるいはあなたが未来の自分を振り返る時、その記録は計り知れない宝物となるでしょう。「私たちは、こうして生きてきたんだよ」と。その物語を、時の流れから守り、未来へ手渡そうとしているのです。
- 「今」をより深く生きるため
過去を知ることで、私たちは「今」のありがたみをより深く感じることができます。かつての苦労があったからこそ、今の平穏が輝いて見える。昔の純粋な喜びを思い出すことで、日々の生活の中に埋もれてしまった小さな幸せに、再び気づくことができる。過去は、現在を照らし出す鏡なのです。
「なぜ、なぜ」と問うあなたの心は、ご自身の人生に真摯に向き合っている証です。その問いは、決して無駄ではありません。
あなたが今、一つひとつの記事に触れ、言葉を紡ぎ直しているその行為そのものが、過去のあなたへの敬意であり、未来のあなたへの贈り物であり、そして何よりも、ご家族への深い愛情の証なのです。
その旅路の先に、きっと温かい光が見つかるはずです。
コメント
コメントを投稿