2005年8月16日

 


2005816

こうして、この世に生まれた

 


十何時間にも及ぶ戦いの末、最後は切開寸前までいったが、神様は自然にこの子が生まれることを許してくださった。娘がこの世に生まれた時、そのそばにいられたことは、とても幸せで、喜びであり、一生の思い出になるだろう。

 

時々、生まれた時の映像を見る。私たちに与えられた新しい命。それは、私たちの命がこの子によって続いていくということだ。だから大事に、精一杯に育ててあげたい。二人の命が加わった、新しい命なのだから。その時、私は泣いた。そして、生まれたばかりの娘を抱きしめてあげた。

 

その日、私は仕事のために桐生から静岡へ戻らねばならなかった。しかし、地震の影響で新幹線は沼津までしか動いていない。仕方なく沼津で夜行列車を待ち、静岡に戻ったのは朝の4時ごろだった。それでも、何度も娘の映像を見ながら帰ってきたので、少しも疲れは感じなかった。

 

次の日の朝、祈祷会で皆に報告すると、本当に喜んでくれた。感謝。共に喜び、悲しみ、笑い、泣いてくれる共同体があることが、嬉しかった。

そういえば、生まれた時に娘の足にピンク色のペンで親の名前を書くよう言われ、私がカタカナで自分の姓を書いた。すると、しばらくしてその名前は消え、看護師さんが妻の姓を書いているのを見つけた。私が韓国人だと、彼女は知らなかったのだろう。一人で笑ってしまった。

 


あと二週間

今頃、二人は安らかに眠っているだろうか。

でも、あちらの家はとても寒いので、二人で抱き合って寝ているかもしれない。日中はスキーウェアまで着ているとか……。彼女たちが来るまで、あと二週間。先週電話で話して以来、声を聞いていないので、明日は電話をしよう。

 


二人は元気にいるだろうか。娘は風邪を引いていないか。ご飯はちゃんと食べているか。よく遊び、よく寝ているか。お風呂には毎日入っているか。トイレは少し上達しただろうか。髪は伸びただろうな。肌の痒みは大丈夫か。歯磨きはちゃんとしているか。少しは大きくなったかもしれない。

 

早く二人に会いたい。一人の生活にも少し慣れたが、やはり会いたい。

 


日記を書くにあたって

 

今日から、新しい書庫を設けることにした。題して「娘の成長日記」。いわば、父親の育児日記のようなものだ。

これまでの25ヶ月の出来事や、最近子育ての大切さを改めて自覚し、本などを読みながら感じたこと、そして失敗や悩みなどを綴っていきたい。

 

私はどんな父親なのだろうか。そんなことを考えながら、書いていこうと思う。

目指すのは、私も妻も、子どもの感情に寄り添える親になることだ。アメリカの心理学教授、ジョン・ゴットマン氏が提唱する「感情コーチング」という考え方を、参考にしていきたい。

 

もちろん、その前に忘れてはならないことがある。それは、この子が健康に、そして神様の御心に適う人生を歩めるよう、手伝う役目を忠実に果たしていくこと。それこそが、私たちに与えられた使命なのだ。親の思い通りではなく、ただ神様の御心にかなう子に育ってほしい。そう願いながら、このページを記していく。

 

誕生の日を振り返って

2005816日、この世界に新しい命が誕生した。

世間にとっては、世界の人口が一人増えた、ただそれだけの日かもしれない。しかし、私たち家族にとっては、一つの歴史が生まれた日だった。「この新しい命に、新しい歴史を託す」、そう祈った。母の胎内で10ヶ月を過ごし、この日、皆の前に姿を現したのだ。

 

自分が父親になる。正直、まだ心の準備ができていなかった。この子の父親としてどう向き合い、どう育て、どう話しかけるか。何の準備もできていないまま、娘は私たちの間にやって来た。

この子のために私が唯一準備できたのは、「平和」を意味するその名前だけだった。

 

「僕が君のお父さんだよ」と、生まれてすぐ、看護師さんに抱かされた時に心から話しかけたことを覚えている。

「これからよろしく。どんな時も君を守る。でも、本当に君を守ってくれる大切な方は、別にいるんだよ。神様が、君の人生を最後まで守ってくださる。私たちは、君がある程度大きくなるまでしか、守ってあげられないからね。最後の最後まで君と共に歩んでくださるのは、イエス様だよ。」

 

私たちは、そのように娘に聞かせている。

あの日から25ヶ月が過ぎた。誕生日は二度、韓国と、ここドイツで迎えた。娘の成長ぶりは早く、そして、目に入れても痛くないほど可愛い。心から愛している。離れている今が、つらい。この時が早く過ぎ去り、お互いが成長する機会となりますようにと、祈るばかりだ。

 


本当のメッセンジャー

 

今日も日本に電話をした。一日のお互いの報告と、娘の声を聞くために。

妻はなかなか自分のメールを確認できないでいるので、私が代わりに開いて知らせてやっている。本当のメッセンジャーだ。最近は、何年も会っていない友人たちからの便りも届いている。妻が忘れないよう、こちらで確認しているのだ。

 

明日は近所の小児科へ、予防接種を受けに行くという。病院に電話をしたら、予備の薬が一つあるので来てもいいと言われたらしい。それを聞いて私は言った。「ちゃんと使用期限を確認するんだよ。10年前のものかもしれないからね」と。冗談だが。

 

今日、娘はお風呂にも入り、髪も洗ったそうだ。今夜は何時に寝るのだろう。

一つ心配なのは、義姉の家の1階の部屋が、シベリアのように寒いことだ。暖房はついているがあまり効果がないのを、私も知っている。それに比べて、こちらはぽかぽかと暖かい。この温もりを、二人のところへ運んであげたいものだ。

 


2008116日(水)

体罰の効果

 1990年、アメリカの大学生を対象に、子どもの頃に親から体罰を受けたか、という調査が行われた。93%の学生が「お尻を叩かれたことがある」と答え、そのうち約1割は「あざができるほど叩かれた」という。

体罰は今も多くの国で用いられているが、世界的な育児の基準とは言えない。スウェーデンでは、体罰を用いる親は約11%に過ぎず、この低さが同国の低い犯罪率に繋がっていると考える人も多い。

 

体罰は何一つ良い効果をもたらさない。多くの専門家が言うように、逆効果にしかならないのだ。

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