2005年11月27日(日) アドベント
今日からアドベントに入る。今年のクリスマスは、ちょうど12月25日だ。 昨夜は二人とも夕食を食べずに寝てしまったので、今朝3時に起きるとお腹が空いていた。妻も5時には起き出し、娘がまだ夢の中にいる静かな朝に、二人で韓国式のサンドイッチを作って食べた。今度の土曜日には、韓国から両親がやって来る。久しぶりに我が家がにぎやかになりそうだ。
静岡で過ごす最後の日々。いずれ日本に帰ってくるとは思うが、それがいつになるかは分からない。だからこそ、一日一日を大切に、楽しく、よい想い出をたくさん作って行きたい。最近は富士山がことのほか美しい。毎朝、家を出る時には、横から見えるその姿を確かめるのが日課になった。
今日は日曜日、教会へ行く日だ。11月最後の主日でもあることに感謝し、今日一日も頑張ろう。
2005年12月17日(土) 親の愛
13日間、韓国から両親が来日した。これで3度目になる。今回は、娘と私の就任式のためだ。 お陰で私も、久しぶりにお袋の味を存分に味わうことができた。一つひとつが、韓国から持ってきた素材で作られた本場の韓国料理。妻も食べる度に「美味しい」と言ってくれる。何よりも親の愛がこもっているから、なおさらに美味しく感じられたのかもしれない。
娘と過ごしたこの13日間も、両親にとって幸せな時間だっただろう。 羽田まで車で送り、無事に静岡へ帰ってきた。今日、パソコンの画面越しに二人の顔を見て話をした。娘の顔も見せてあげると、「笑顔が見たい」と言っている。どうか健康でいてほしい。来年3月には韓国で会える。それまで互いに元気に過ごせるよう、神様に祈る。
2006年3月31日(金) 韓国にて
やっと韓国に着いた。3年間の静岡での生活を終え、家族で韓国へやって来た。
娘にとっては、新幹線、飛行機と、様々な乗り物に一度に乗る初めての経験でもあった。無事に仁川国際空港へ着いたことに感謝。それは月曜日の出来事だった。
昨日は、妻の半年間の滞在許可を得るため出入国管理局へ行ったが、戸籍謄本がなかったため、また後日ということになった。 午後からは、娘のポリオ接種のために小児科へ。話を聞くだけのつもりが、「今受けますか?」と促され、その場で受けることに。(さすが韓国、何でも速い!)こちらではB型肝炎の予防注射が義務なので、それも同時に受けられた。ただ、費用がかかったことには、少しもったいない気もした。二つ合わせて3万5千ウォン。日本では無料なのに!しかし、娘のことを思えば、もったいないなどとは言えないのが本音だ。
こうして、韓国での5日間は穏やかに過ぎていく。私だけが来月末、先にドイツへ発つことになった。だからこそ、妻と娘と過ごす毎日を大切に、素敵な思い出をたくさん作ろうとしている。今日は娘のお風呂道具を買いに行く予定だ。
2006年4月4日(火) 韓国での一週間を終えて
韓国に来て一週間が過ぎた。今日は雨。 娘も、やっとこちらの家族に慣れてきたようだ。ただ一つ、お風呂だけはまだ慣れない。今でもお風呂に入れようとすると泣き止まないのだ。これさえ乗り越えれば、もう言うことはないのだが……。
離乳食も少しずつ試している。卵、いちご、バナナ、ほうれん草、玉ねぎ。肉類はまだだが、これから挑戦していこうと思う。そういえば昨日、お風呂で使える赤ちゃん用の椅子を買って座らせてみたが、やはり駄目だった。環境の変化に、まだ慣れないのだろう。ゆっくり時間をかけて、娘が慣れるまで、私たちも愛と忍耐をもって見守りたい。
泣かない今日のお風呂
今日、お風呂の時間、娘は泣かなかった。感謝! 少し考えて、娘が座るのにちょうどいいくらいの小さな桶にお湯を張り、そっと座らせてみた。すると、泣かなかったのだ。娘が目の前のシャンプーに気を取られているうちに、妻がさっと体や頭を洗ってくれた。少し慌ただしいお風呂ではあったが、無事に泣かずに終えることができた。明日も今日のように、泣かないお風呂になるといいなと思う。
2006年4月6日(木) 一年ぶりの焼き肉屋
昨日は、知人に招かれて焼き肉屋へ行った。娘を入れて総勢8人。 美味しい焼き肉とおかずが、次々と運ばれてくる。肉は柔らかく、焼けたものを店の人が食べやすく切ってくれるので、とても美味しくいただけた。肉の厚みも味付けも日本とは違い、やはり焼き肉は本場で食べるのが一番だと感じた。娘はただ眺めるばかりで、よだれを垂らしている。いつか食べられる日が来るだろう。
その後、三人で散歩と買いものに出かけた。公園を歩くと、桜と木蓮の花が美しく咲き誇っていた。そこで一枚、妻と娘の写真を撮った。デパートは春のセール期間中で、大勢の人で賑わっている。その中を一回りし、帰路についた。行きは歩いたので、帰りはタクシーを使った。基本料金190円のところ、320円だった。
あひるの専門店
今日のお昼は、また別の知人に誘われ、あひる料理の専門店へ。 コースで出てくるあひる料理は、まず焼き肉から始まった。サンチュに包んでにんにくを入れて食べる。「鳥肉のようだ」と妻は言っていた。二品目は薫製。これも美味しかった。三品目は、キムチ炒めのように味付けされた肉と皮。そして最後は、骨付きの肉が入った鍋が、木の実などと一緒に出てきた。私は少し遠慮したが、妻はスープだけ口にしていた。締めには美味しいおかゆと冷麺、かき氷まで。今もお腹がいっぱいで、夜ご飯は、おそらく抜きになるだろう。今朝、体重を計ったら3キロも増えていた。このままではお相撲さんになってしまいそうだ。とはいえ、毎日歩いたり走ったり、体の管理はしっかり心がけているので、大丈夫だろう。
2006年4月7日(金) 黄砂!
今日は外出できないせいか、娘は家の中で何度も叫び声を上げている。やはり一日に一度は外に出してあげないと(子犬ではないが)良くないらしい。しかし、今日と明日は黄砂が吹くとの予報なので、外出は控えた。私は図書館や郵便局へ出かけたが、妻と娘は家の中だ。
昨日から、夕食後に讃美歌を歌っている。すると娘が叫び声を出すのだ。それが「止めろ!」(あまりに音程が合わないせいか)という意味なのか、「もっと歌って」ということなのか分からず、とにかく興奮して夜寝つけなくなってしまった。妻は止めた方がいいと言ったが、先ほどまた歌ってみた。すると、やはり娘は叫び出す。私にどうするのかと問いながらも、歌い続けた。その時、妻が「何か匂う!」と言った。娘に近づきお尻のあたりを嗅いでみると、どうやらおむつの中にしたらしい。娘は、おむつが汚れても泣かないので分かりにくい。その叫びは「お父さん、讃美歌もいいけど、おむつを替えてちょうだい!」という合図だったのだ。いつも娘のおむつの第一発見者は妻で、今日もやはり妻が気づいてくれた。明日は、せめて地下の商店街にでも行けたらと思う。
2006年4月9日(日) 黄砂Ⅱ
今日は日曜日、教会へ行く日だ。 日本にいた頃とは違い、日曜の朝をこんなにゆっくり過ごせるのが不思議に感じる。静岡にいた頃は、日曜の朝はいつも忙しかった。8時に家を出て駐車場に車を止め、教会の玄関を開ける。礼拝堂の電気をつけ、マイクを点検し、教師会の椅子を並べ、高校生が礼拝する二階の部屋の準備をする。それが私の役目だった。しかし今は、礼拝が11時からなので随分とゆっくりできる。家を10時半に出て、車で5分の距離だ。これも神様が与えてくださった良い休息だと思い、感謝してこの時間を大事に過ごしている。
今日も天気は曇りで、すっきりしない一日だった。周りの車は砂をかぶり、汚れているものばかりだ。今日も家族が守られたことに感謝。明日はまた、娘の予防注射がある。今、隣で娘が母親のおっぱいを飲んでいる。平和な子どものように。
2006年4月10日(月) 受難週(月曜日)
朝から雨が降っていた。聖書を読み、4時になると近くの教会(長老派)へ向かった。父が牧会している教会は少し離れているので、朝の祈祷会だけは、この近所の教会に出席している。
まだ誰もいない礼拝堂で、静かに一人で祈るのは不思議な感じがした。しばらくすると、人々が礼拝堂に入ってくる音が聞こえ始め、5時になると牧師が講壇に立ち、皆で受難週の讃美歌を歌った。講壇の正面には大きなスクリーンが下りてきて、そこに歌詞が映し出される。そして、主イエスが受難週の月曜日に何をされたか、宮清めの場面が映画のように映された。
その後、聖書朗読と短いメッセージがあり、それぞれが祈って、各自帰途につく。今日は受難週ということもあり、100人以上の教会員が集まっていた。中には子どもを連れた親の姿も。改めて、韓国の教会は祈る教会なのだと教えられた朝の祈祷会だった。
2006年4月11日(火) 受難週(火曜日)
今日は受難週の火曜日。主イエスの十字架の死が迫り、ユダが行動を開始する日。 しかし「裏切る」というよりは「引き渡す」という言葉の方が、原語に近い訳かもしれない。それはユダ以前に、神が私たちの救いのために、独り子イエス・キリストを十字架に引き渡すことを決めておられたからだ。それは、私たちに対する愛のゆえだった。
この受難週に主の痛みを身をもって覚えたのは、娘だけだったかもしれない。というのも、今日、予防注射で痛みを感じて泣いたからだ……。
今日の天気は予報に反して暑い一日になった。半袖で娘を抱っこ紐に乗せ、バスで病院へ。こちらでは父親が抱っこ紐で子どもを連れて歩くのが一般的なので、私も昨日からそうしている。5月1日にもう一度予防注射があるが、その時私はもうドイツにいるため、私の母が連れて行ってくれることになるだろう。とにかく今日は暑い。夏を感じさせる一日だ。
2006年4月12日(水) 受難週(水曜日)
今日は受難週、水曜日。主イエスの葬りを準備するため、マリアがナルドの香油を注ぐ出来事が起こる日。 ご自身の死が近づくのを感じながらも、人々の悩み、苦しみ、痛みを避けることなく、病を癒し、問題を解決し、願いをかなえられた。これもまた、彼らを愛したゆえだった。
今日は晴れ。近くの山へ行こうと思う。静岡の山よりは低いが、家から近い。帰りは図書館に寄り、こちらの図書館の様子を妻と娘にも見せてやりたい。
2006年4月13日(木) 受難週(木曜日)
今日は洗足木曜日。主イエスが逮捕される前に、愛する弟子たちの足を自ら洗われた日だ。私たちが人々に仕える者となるために。 しかし私たちは、仕えるより仕えられることを好んでしまう。もし世界中の人々が、皆、仕えようとする心を持って生きるなら、どんなに素晴らしいだろう。そういう世界に住みたい。それを今、ここから、私から実践しようと思う。
今日は散歩の帰りにバスに乗った。人もまばらなバスで大声でしゃべるおばあさん、信号待ちで携帯電話を使う運転手。日本ではあまり見られない光景に、私たちは思わず笑ってしまった。娘は今日も、声を出しながら色々なことに興味を示して歩いていた。
明日は妻の滞在許可申請のために、出入国管理局へ行く。いよいよ妻が外国人登録証明書を手にする時が近づいてきた。
2006年4月14日(金) 受難週(金曜日)
今日は聖金曜日。主イエス・キリストの十字架の死を通して、私たちの罪が赦され、救いへの道が開かれた日。 本当は断食でもして、キリストの十字架の死を静かに思い起こしたかったが、それも叶わなかった。反省。
今日は再び出入国管理局へ。外国人登録証は3週間後に出るらしい。その頃には私はもういないので、私の両親と来ることになる。今日も揺れるバス、スピードを出すバスに乗って行ってきた。日本のバスのようにおとなしくはない。乗客が乗り降りするためにきちんと停車し、待ってくれるということがないのだ。乗ればすぐに出発し、降りる客がいれば、のんびりとは待ってくれない。とにかくせわしない。短気で、運転が荒っぽい。これが韓国の人の大まかな気性なのだろう。
妻と娘は、こうした少し過激な社会で半年間を過ごすことになる。少し心配だが、神様に委ねて私は行く。よく食べ、よく寝て、よく笑い、声を出し、喜んでいる娘が好きだ。可愛い娘がすくすくと育つ姿を、半年も見られないのは辛い。
愛する妻へ
今日、出入国管理局に提出した書類の中に、ビザ申請理由書というものがあった。その内容を簡単に要約すると、こうだ。 「神様以外に、この世界で一番愛する妻が我が祖国、大韓民国で文化や生活を直接体で学ぶことを願い、また愛する我が娘が家族の多い我が家で、たくさんの愛を受けながら育てられることを強く願うため、今回の在留ビザを申請します。」
妻にはまだ、この内容を伝えていない。いつかこれを見る時が来るだろうか。
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