2006年5月11日(木) ドイツ生活記①
こんにちは、皆さん。ドイツよりお便りします。お元気ですか? こちらに来て、二週間が経とうとしています。今の時間は午前10時40分。日本とは7時間の時差があります。町の様子も大体分かり、自分の生活範囲のことは、ひとまず把握できたように思います。
家から歩いて5分の距離にライン川が流れており、毎朝6時には川沿いを走るのが日課です。ドイツは自然が豊かで、緑に恵まれていると改めて感じます。今朝は可愛いうさぎが二匹、私を迎えてくれました。
私の住まいは4階建てで、色々な人が住んでいます。私は2階のベランダ付きの広い部屋を借りました。すぐ隣には学校があり、こちらは小学校から高校までが一緒になっているので、朝7時になると生徒たちが登校する様子が部屋の窓から見えます。
教会も歩いて5分ほどの距離で、近くて良いと思いました。先週は約80人ほどが礼拝に出ていました。特にこの前の礼拝では、二人の赤ちゃんの幼児洗礼式があり、初めてこちらの洗礼式を見ました。大家族が皆、礼拝堂の一番前の席に座り、洗礼が終わると、母親が神様と会衆の前で用意してきた告白文を読み上げます。二人目のお母さんは、涙ながらに読んでいました。少し感動的な一瞬で、会衆の中にも涙ぐんでいる人が何人かいました。
この教会の歴史はまだ分かりませんが、きっと古いのでしょう。午前9時55分になると教会の鐘が5分間鳴り響き、10時になると二階のパイプオルガンで前奏が始まります。前奏が終わると、皆座ったまま讃美歌を歌います。その日の讃美歌の番号は壁に掲げてあるので、司式はありません。使徒信条と主の祈り、そして祈祷の時には立ち上がりますが、讃美歌は座ったまま。礼拝は全部で約1時間です。こちらの牧師は30代くらいでしょうか、比較的若い方でした。
ボンにはベートーヴェンの生家があり、町の広場には彼の像が立っています。中心の繁華街まではバスで約20分。これから一人での生活なので、食事や洗濯など、何から何まで自分でやらなければなりませんが、健康が守られ、それが出来ることに感謝しています。この半年間、一人で頑張って乗り越えたいと思います。
先日、韓国から買ってきたドイツのレールパスがあるので、今度の土曜日は学校の先輩を訪ねてチュービンゲンへ、その次の土曜日はスイスのバーゼルへ、さらにその次はオーストリアのザルツブルクへ行く予定です。何しろ今月中に使わなければならない4回券なので、すべて日帰りになります。結構ハードな旅だと思いますが、頑張って行って来たいと思います。旅の様子も、またこちらでお伝えしますね。
こちらの夜はなかなか暗くならないので(夜9時でもまだ明るい)、初めは困りましたが、やっと気にせず眠れるようになりました。だんだん暑くなると思いますので、皆さんも体に気をつけてお過ごしください。それでは、また。
p.s. こちらに来て、まだご飯は一度も食べていません。パンとジャガイモ、果物などはよく食べていますが、どこまで頑張れるか試してみたいと思います。今のところ、特にお米が食べたいとは思わないので、我慢の限界まで行ってみようかと。でも、元気ですよ!
2006年5月15日(月) ドイツ生活記②(チュービンゲンの先輩を訪ねて)
朝5時半に家を出てバスに乗り、駅へ。ボンから6時8分発の特急でマインツまで、走る電車から眺めるライン川は、新鮮な朝を感じさせてくれました。マインツからマンハイムまではICE(高速鉄道)で移動しました。
マンハイム駅では、ミュンヘンでのサッカーの試合へ向かう応援団が、叫びながら応援歌を歌っていました。その影響で列車は満員になり、私もシュトゥットガルトまで立ちっぱなしで行くことになりました。そこからチュービンゲンまでは約1時間、今度は二階建てのローカル電車のようなもので、ゆっくり音楽を聴きながら外を眺めて行きました。
駅の出口を探していると、先輩が目に入りました。どうやら先輩も、同じ電車で来た知人を捜していたようで、合流して一緒に探すことに。その方もチュービンゲンは初めてだということで、思いがけず先輩の案内で町を観光することになりました。
天気が良かったので、町には大勢の人が出ていました。まず訪れたのは、この町で一番歴史が古いという教会です。チュービンゲンは宗教改革後にプロテスタント勢力が制圧した町なので、すべてがプロテスタント教会。礼拝堂に足を踏み入れると、歴史を感じさせる空気が漂い、静かにパイプオルガンの音が流れていました。
その後、ヘルマン・ヘッセの書店へ。かつてヘッセがここにいたという写真が飾られ、彼の書籍がずらりと並んでいます。町を通り抜け、先輩が住んでいる寮へ向かいました。とても静かな町です。寮は7階建ての素敵な建物で、眺めも素晴らしい。そこで先輩自慢のカレーライスを三人でご馳走になりました。水を使わないカレーだそうで、本当に美味しかったです。(でも、私にとっては妻が作ってくれるカレーが一番美味しいのですが。)
これまでのことや今後のことなど、色々と話し、良い交わりの時を持つことができました。その日は月に一度のアジア食品の移動販売が来る日だそうで、私も同行させてもらいました。バスで15分ほど行くと、大勢のアジア系の人々が集まっています。先輩のお目当ては納豆で、その場で10個ほど買っていました。お米もここで買うのだそうです。
すべてを済ませ、私は帰る時間に。5時37分発の電車に乗り、3回乗り換えてボンへ。
9時半にボンに着くと、雨が降っていました。肌寒く感じながらベンチでバスを待ちました。こちらでは夜9時以降に乗車する際は、チケットを運転手に見せます。普段は検札はありませんが、突然私服の職員が乗り込んできて検査をすることがあり、もし無賃乗車が見つかると、その場で40ユーロの罰金が課せられます。片道1.30ユーロのところを40ユーロも払ったら、眠れなくなってしまうかもしれませんね。
以前、私は一ヶ月乗り放題のチケットを50ユーロで買いましたが、もっと安いチケットもあると知りました。色々と知らないと損をすると分かりました。そのためには情報を集め、積極的に人に聞き、言葉を覚えることが何より優先されるのでしょう。
2006年5月16日(火) ドイツ福音教会の堅信礼と礼拝
主の御名を賛美いたします。 日曜の朝、ゆっくり8時まで眠ることができました。感謝。昨夜、チュービンゲンから家に戻ったのが10時半ごろだったので、床に就いたのは11時ごろだったと思います。ボンに着く頃には雨が降り、雷も鳴っていました。傘はいつも持っているので濡れはしませんでしたが、肌寒い夜でした。バス停に着くと、バスは出たばかり。30分後のバスを待つ間、ベンチに腰掛けてリンゴを食べました。夜ご飯を食べる時間がなかったので、持っていたリンゴでお腹を満たしたのです。
今日の礼拝は、堅信礼の礼拝でした。朝、教会へ行くと座る席がありません。各長椅子には、家族の名前が書かれた紙が貼ってありました。私は二階へ上がりましたが、そちらもほとんどの席が埋まっています。今日の堅信礼を受ける学生は32名。その分、礼拝も長くなり、10時に始まって終わったのは12時過ぎでした。
落ち着いて祈ることもできないほど、市場のように人々はしゃべっています。今日は特別にオーケストラも来ていました。礼拝が始まっても私語は止まず、子どもたちは落ち着きがありません。しかし、今日来ている人たちの多くは普段礼拝に出席しない人々なので、それも仕方ないかと思いました。
堅信礼を受ける生徒たちも、特に緊張したり、自分が特別な存在になると受け止めたりしている様子はありませんでした。いわば、こちらの行事の一つなのでしょう。
堅信礼を受けた学生たちが、最初に聖餐にあずかります。前の講壇に出て輪になると、司式の先生が薄いパンを一人ひとりの手に乗せていきます。その後、こちらの教会の牧師が銀色の杯を持ち、一人ひとりの口にぶどう酒を近づけて飲ませます。しかし中には(私は二階にいたので、彼らの様子がよく見えました)パンを食べずに「君が食べてよ」と友達に渡す女の子もいました。皆、聖餐が何であるかを分からぬまま受けているようです。
彼らの番が終わると、今度は大人たちが進み出て、順番に聖餐にあずかります。私も受けることができました。今日の礼拝は、真に神様を礼拝するためというより、各家庭の一つの行事に参加しに来た人々の集まりでした。おそらく次週の礼拝には、今日の5分の1も来ないでしょう。今日は300人ほど来ていました。
真に福音が語られ、純粋にその神の言葉を受け入れる人々になってほしい。人間は本当に主イエスなしには生きられないのだと、彼らに気づいてほしいと強く感じた礼拝でした。そのためにも祈りが必要でしょう。その祈りに神様は必ず応えてくださると信じて、教会を後にしました。
2006年5月22日(月) バーゼル旅行
こんにちは、お元気ですか。 こちらの天気は再び寒くなり、いわゆる典型的なドイツの天気が続いています。雨が降ったかと思えば晴れ間が差し、また曇って雨が降る。ようやく、傘をいつも携帯するようになりました。
この前の土曜日は、日帰りでスイスのバーゼルへ行ってきました。ボンからは乗り換えなしで片道4時間26分。少し遠いなと思いながら、本を読んだり、過ぎ去る風景を眺めたりして、ゆっくりとバーゼルへ向かいました。
ドイツ最後の停車駅を過ぎ、バーゼルに入るとスイスの警官が二人乗り込んできて、パスポートの検査を始めました。ドイツ語を話せるかと聞かれ、「話せます」と答えると、特に何も言わずに通り過ぎていきました。
バーゼル中央駅に着くと、小雨が降っていました。地図を見て、まず目指したのはガイドブックに載っていたシュパーレン門。スイスで一番美しい門だそうです。道を尋ねながら歩くとすぐに見つかりましたが、期待が大きかった分、失望も大きいということを改めて学びました。小さな門で、内側の天井は鳩の糞だらけ。一言で言えば、汚い!
一時間ほど町を歩き、大きな教会にも入ってみましたが、イベントの準備中なのか、静けさや敬虔な雰囲気は少しも感じられず、がっかりしました。もう見て回る気にもなれず、駅へ。駅の時刻表を見ると、1時12分発のケルン行きICEがあることが分かりました。時計を見ると3分前。慌てて列車に乗り込み、席に座りました。
これでよかったのだ、と一人で思いました。別に何かを見に来たわけではない。ただ、あのバーゼルに来たということが、私にとっては大きな意味があるのです。かつて宗教改革の激しい戦いの地となった場所。もっと勉強して、もう一度来たいと思いました。今度は、娘と妻と一緒に。
バーゼルはスイス、ドイツ、フランスが接する国際都市ですが、私の目にはそういった雰囲気は感じられませんでした。同じく4時間ほどかけて列車は走り、ボンに到着。昼食を我慢したお陰で(というより、スイスはユーロではないことに気づかず、両替ができませんでした)、中華の軽食店でご飯を食べることができました。感謝!
今度の26日に引っ越すことになったので、今の家の近くの教会での礼拝は最後になります。これからは、より快適な家で暮らせるようになりました。近くにはもっと大きな教会があるので、そちらに出席する予定です。今度の住まいは4階建ての最上階。隣にはカナダ人が住んでいるようです。各階二部屋なので、これまでより静かで綺麗なところです。大家のおばあさんも、とても親切な方でした。
来週の土曜日は、オーストリアのザルツブルクへ行きます。モーツァルトの生家がある、モーツァルト一色の町だそうです。今度はゆっくり見てきたいと思います。(バーゼルでは1時間歩いて帰ってきましたからね。)
では、お元気で。主の平和と喜びが、常に皆さんと共にありますようお祈りいたします。
2006年5月24日(水) ドイツ生活記
こんにちは。こちらは曇り、雨、晴れが続く毎日です。 明後日の木曜日は、キリストの昇天日でドイツでは祝日です。同時に父の日でもありますが、日本と同じであまり人気はないようです。
最近は本当に晴れる日が少なく、曇りの日々が続いています。そこで、今度の土曜日に予定していたザルツブルクへの旅を、木曜日に前倒しすることにしました。金曜の午後から引っ越しがあるので、できれば今週中にすべてを終え、来週からは落ち着いて勉強に集中したいからです。(本当かな?)
もう一つの理由は、今度の旅はバーゼルと違って片道8時間以上かかるため、夜行列車に乗ることにしたからです。ボンを22時14分に出発し、フランクフルト空港駅で乗り換え、ミュンヘンには翌朝5時2分に着きます。そこからさらに乗り換えて、ザルツブルクに着くのは8時41分。いわば10時間27分の片道列車の旅です。(旅というより、ただ暗い夜中を走るだけですが。)ザルツブルクでは4時間ほど観光し、その日の22時20分にボンへ戻る予定です。
私にとっても初めてのハードな列車の旅ですが、初めての場所なので、きっと楽しくなると思います。ミュンヘンも初めてなので、駅に降りて写真でも撮りたいです。
今度の引っ越し先には、約3ヶ月間住むことになります。来月、論文の指導教授に会いにハイデルベルクへ行くので、帰ってきたら今後の予定が大体決まるでしょう。またハイデルベルクへ引っ越すことになるかもしれません。これから何回引っ越すことになるのか、今からちゃんと数えています。すべては主に委ねて行きますので、大丈夫です。
最近、静岡にいた頃に妻と登った山々の写真をよく見ています。過去の思い出を通して、今の自分を見つめ直しながら頑張ろうと思うのです。まだ富士山の頂上に近づいた時のような苦しみは味わっていません。いつかそういう時がこちらでも訪れるかもしれませんが、必ず頂上はあると、そして登りきれると信じて、すべての苦難を信仰をもって乗り越えたいと思います。
では、旅から帰ってきたら、またご報告します。お楽しみに!
2006年5月26日(金) ザルツブルクの旅
こんにちは、お元気ですか。ザルツブルクの旅から無事に帰ってきました。 夜行列車で、乗り換えの待ち時間も含めて約10時間。ミュンヘンでは乗り換えまで1時間40分ほど時間があったので、町を歩いてみました。「歩きまくった」という表現が正しいかもしれません。中心部には圧倒されるような教会の建物がいくつも並んでいました。朝早かったので(5時20分くらいでしょうか)、人影はまばらで、静かな町でした。
ミュンヘンからは約2時間。いよいよ列車は走り出しました。初めて見るザルツブルクとミュンヘンの風景に、心を躍らせながら外を眺めました。まるで北海道を走っているような(二年前の夏休みに妻と北海道を旅した時のことを思い出しました)感じです。羊や馬、牛の姿が見えました。小さな村にも必ず教会があり、綺麗な塔が天を指して立っています。こちらの古い建物の塔には、必ず巨大な時計がついています。「時を見なさい、考えなさい。時は過ぎ、主が約束したその日が来るのだ」と語りかけているのでしょうか。
列車はザルツブルク中央駅に着きました。まず駅を出て、モーツァルトが生まれた家、そしてザルツブルク城を目指します。初めての旅先では、地元の人に聞くのが一番。ただし、一人だけでは不十分です。必ず二、三人に聞いてください。意地悪な人もいますからね!(昔ベルリンで経験しました。)
ザルツブルク川が静かに流れ、天気も良かったので観光客も結構いました。とはいえ、私が着いたのは早かったため、それほどの人混みには会いませんでしたが、帰りには大勢の人が出ていました。必ず見かけるのは、日本から来た団体客の皆さんです。
特に今年は、彼(まるで自分の友達を呼ぶようですが)が生まれて250年ということで、町はいわばモーツァルトのお陰で潤っているようです。歴史ある建物だけでなく、素晴らしい先人がいるお陰で、数百年、そしてこれからも生計を立てていけるとは、ありがたい話です。
お城に向かって、結構な坂を歩きました。お城から眺めるザルツブルクの町の風景も、なかなかのものです。(どういうものかと聞かれると答えられませんが、とにかく。)川沿いを歩き、町の姿を写真に収めました。昔の姿を保存することは、とても良いことだと思います。(急に静岡の病院のことを思い出しました。病院拡張のために歴史的な建物を壊すという考えは、一体どこから来たのでしょうか。)
さて、やはりモーツァルトの生家は人気がありました。お店や狭い道の様子が、とても可愛らしい感じです。それに、岩を掘ってトンネルにしてあるのには驚きました。自然そのものがトンネルになっているのです。中はとても涼しかったです。(冬は寒いだろうな、と考えながら歩きました。)
3時間の観光を終え、駅へ向かう途中、広いミラベル庭園に寄りました。ここもツアーのコースになっているようで、多くの人が訪れ、中では音楽隊が演奏していました。ある子供連れの女性に写真を撮ってほしいと頼むと、「どこから来たの?」と聞かれ、「韓国からです」と答えたら、いきなり「アンニョンハセヨ!」と韓国語で挨拶されました。友達に韓国人がいるそうです。
庭園の観光も終え、駅へ。ボン行きの列車に乗り、まず感じたのは足の痛みです。まるで二度と来ないかのように歩き回ったからでしょう。途中で、今度から家族3人で住むことになるハイデルベルクにも停車したので、駅から一枚写真を撮りました。
ボンに着くと、ちょうどバス停に家に向かうバスが待っていました。ラッキー!でなければ30分は待つところです。無事に家に着いて、神様に感謝。
明日は引っ越しです。準備はあまりしていないので、明日起きたら始めようと思います。大家さんとは18時に会う約束です。一回では荷物が運びきれないので、3往復はすることになるでしょう。しばらくはライン川を見ない生活になります。
では、また新しい部屋、新しい町の様子をお伝えします。お元気で。
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