2007/06/03~07/16

 

200763日(日) 1500km、ルターの足跡を辿る旅

64日、月曜日。日本の静岡から二人のご夫婦が、ドイツへやって来る。宗教改革者であり、真の信仰者、牧師、神学者、そして夫であり6人の子の父親でもあったマルティン・ルターの足跡を辿る、という目的で。私はシュトゥットガルトから夜の便でベルリンへ向かい、お二人と合流することにした。

 

当初は20時発の予定だったが飛行機が1時間遅れ、結局22時過ぎにベルリンの空港へ着いた。空港では、お二人と甥御さんが待っていてくれた。久しぶりの再会が嬉しい。 遅い時間だったので多くを語ることはできなかったが、明日からの旅を楽しみに、その晩はホテルでゆっくりと休んだ。

 

実は土曜日に左足首をくじいてしまい、少し心配していた。しかし、二日間氷で冷やして安静にしていたお陰で、何とか歩けるようになった。これも感謝。ご夫婦に迷惑をかけることになったらどうしようと案じていたが、最後まで全日程を無事に終えることができ、心から感謝した。いよいよ、その旅が始まる。

 


ヴィッテンベルクにて

火曜の朝7時に朝食をとり、予約していたレンタカー会社で手続きを終え、オペルの割と広い車を借りることができた。出発は予定より1時間ほど遅れたが、ナビゲーションのお陰で迷うことなく、約1時間半でヴィッテンベルクに到着した。

 


目の前に現れた大きな教会は、当時の状況を物語るかのように、古い姿のまま建っていた。15171031日、ヴィッテンベルク城教会の扉に貼り出されたという「95ヵ条の論題」は、今では鉄の扉にその全文が刻まれている。

 


教会の中へ入ると、そこにはルターと、彼の最後まで良き友であり支援者であったメランヒトンのお墓があった。広場には二人の大きな銅像が立ち、ルターハウスでは、彼とその家族の当時の暮らしぶりを想像することができた。彼の家には一時、30人もの人々が共に生活したという。学生たちの寮としても使われ、またヨーロッパ各地からルターの噂を聞いて訪れる人々を、彼は快く受け入れたと言われる。

 

大学の教授としての給料だけで生活していたため、妻であるカタリナ・フォン・ボラはそのやりくりのために、さぞ大変だったことだろう。ルター自身の言葉にもあるように、彼女は賢く、よく耐えながらその役割を立派に成し遂げた女性だった。 私たちはここでケーキとコーヒーを昼食代わりにし、次の町トルガウへと向かった。

 


カタリナ・フォン・ボラの故郷、トルガウにて

ルターの妻カタリナは、ヴィッテンベルクで伝染病が流行した際、それを避けてトルガウへ向かう途中、馬車から落ちて負った傷が原因で、1552年にこの世を去ったと言われる。彼女のお墓は今、トルガウのマリア教会に収められている。

 


教会の中は、ヴィッテンベルク城教会とは対照的に、とても明るく感じられた。彼女の墓を見、絵葉書を買い、しばらく静かに座っていた。この教会には、ルターの肖像を数多く描いた画家、ルーカス・クラナッハのオリジナルの絵が一点掛けられており、ルター自身も度々ここで説教をしたという。

 


次はライプチヒへ。私たちは、ローマ教皇との論争の場となった市庁舎や、ニコライ教会、トーマス教会を見て回り、ルターが生まれ、そして亡くなった町、アイスレーベンへと向かった。

 


2007610日(日) ルターの生まれ故郷、そして終焉の地アイスレーベン

夕方6時ごろ、私たちはアイスレーベンに着いた。人口24千人ほどの小さな町だ。ホテルにチェックインし、ゆっくりと休む。 次の日の朝、私は7時ごろに町を一回りして、場所を確かめておいた。ルターが生まれた家は博物館になっており、その近くには彼が洗礼を受けた聖ペテロ・パウロ教会があった。そして、私たちのホテルから歩いて1分もかからない所に、彼が息を引き取った家があったのだ。

 


開館時間が10時からだったので、先にルターが13年間を過ごしたマンスフェルトへ向かった。アイスレーベンよりもさらに小さな、静かな町だった。 観光案内所を訪ねると、係の人がルターの両親の家の鍵を持って、直々に案内してくれた。父ハンスは鉱山を所有する裕福な人物で、ルターはここで基本的な教育を受けたという。その学校や、一家が礼拝を守った聖ゲオルク教会も紹介してもらった。

 

再びアイスレーベンに戻り、ルターの生家や洗礼を受けた教会を訪ねた。彼は1546218日、伯爵たちの法的な論争を仲裁するためにこの地を訪れている最中に、63歳で亡くなった。亡くなる夜、彼はヨハネによる福音書316節を繰り返し暗唱していたという。朝の3時ごろ、友人が「先生は、ご自身が教えた教理とキリストの上に、しっかりと立っておられますか」と問うと、ルターは大きな声で「はい!」と答えたそうだ。

彼の遺体はヴィッテンベルク城教会へ移された。メランヒトンは追悼の言葉の中で、こう言ったという。「彼は亡くなりました。しかし、彼は生きています」と。

 


エルフルト、そしてアイゼナッハへ

エルフルトに着いたのは夕方5時半ごろ。小さな川沿いのレストランで夕食をいただきながら、ゆっくりと楽しい話をした。 次の日の朝、まずドーム(大聖堂)へ向かった。ここはカトリックの教会で、様々な装飾が施されている。エルフルトでルターは法律を学んだが、両親を訪ねた帰り道で雷に遭い、「私は修道士になります」と誓いを立てた。これは一時の感情で決めたのではなく、もともと彼が考えていた道だったという。

 


彼は聖アウグスチノ修道会に入り、そこで徹底的な苦行を行った。私たちはその修道院を訪れたが、時間が合わず、ルターの部屋を見学することはできなかった。 私たちはアイゼナッハへ向かった。ここはルターだけでなく、バッハの生まれ故郷でもあり、多くの観光客で賑わっていた。ルター・ハウスで彼が過ごした3年間の歴史に触れ、次はいよいよヴァルトブルク城へと向かった。

 


ヴァルトブルク城へ

ルターはここで「ゲオルク騎士」という偽名を使い、10ヶ月間身を隠しながら、わずか12週間で新約聖書をドイツ語に訳したと言われる。一日1500単語を訳すほどの、ものすごい熱情と集中力。それは「義人は信仰によって生きる」という、はっきりとした目的があったからだろう。

 


車を停めてから、さらに20分ほど坂を登っていく。ルターが聖書を訳した部屋には、当時の机が残っていた。悪魔にインク瓶を投げつけ、壁にその跡が残っていたという逸話があるが、観光客がその跡を削って持ち帰ってしまったため、今はもう見ることができない。 しかしこの部屋で、彼が自らの病や内的な葛藤と闘いながら、今私たちが聖書を読めるようにと仕事に打ち込んだのかと思うと、一瞬、胸が熱くなった。

感動が冷めやらぬうちに、私たちは最後の目的地、マールブルクへと向かった。

 


マールブルクへ

1529年、この地でルターとスイスの宗教改革者ツヴィングリとの間で、聖餐についての会談が行われた。しかし、結果は決裂。私たちは二人が論争した城を訪れ、ルターの足跡を辿る旅を終え、フランクフルトへと向かった。

 


再び3人の生活が



1週間の留守を経て、再び3人での生活が始まった。感謝。 ルターの旅を終え、今日帰国されるご夫婦の上に、神様の祝福がありますように。無事に日本へ着き、静岡まで安全に帰られることを祈りながら、私たちは今から教会へ行く。今朝の娘の姿だ。今日はこの格好で出かける。今日も、暑くなりそうだ。

 


2007628日(木) 父と母の伝言板

【父から】 サランヘヨ!今日も頑張ります!神様と、愛する二人のために!

【母から】 おかえりなさ〜い!今日は寒かったね。 晴れたので散歩へ行き、お花を摘んできました。4時ごろ、また晴れ間が出たのでベランダで過ごしたよ。 子どもたちの声がすると、「オッパ?(お兄ちゃん)オンニ?(お姉ちゃん)」と言い、前の家の人が出ると「ハロー」と言っています。 夕食は魚とごはん。その前にパンを半分かじり、ごはんもおかわりして、カムジャ(じゃがいも)も食べました。「カムジャ」と言えるようになったよ。 冷蔵庫のヨーグルトを発見し、2個ペロリ。夕食前にも欲しがったけど、ダメ!と言うと床に突っ伏して泣きました。でも、あげずにおいたお陰で、ごはんをたくさん食べました。 9時半ごろには、すやすやと眠っていたよ。 「ヒムネセ!(頑張って)」の歌を歌いながら、お祈りも一緒にしているからね!私たち3人は、どこまでも一緒だよ!


最近、朝7時に家を出て夜11時に帰る生活になったため、妻や娘の顔を見ることができない。日曜日だけが、3人で話し、遊ぶための大切な安息日だ。


【父から】 おはよう!昨日は寒かったね。 お昼は学生食堂で食べたけど、少しお腹を壊してしまった。でも、もう大丈夫。 昨日は、生まれたばかりの娘を抱いている君の写真や、昔の写真を勉強仲間(シモーネさん)に見せたら、とても喜んでいたよ。彼女は「美しい家庭を築くのが一番の夢だ」と言っていた。 夕食は、図書館の近くにある簡易レストランで。君の作るカレーにはかなわないけれど、まあまあだった。 今日はバナナと果物を買っていくね。パンも。今日も頑張ります。神様が一番良い道へと導いてくださると信じて、感謝して、共に生きていこう。愛する二人を、毎日毎瞬間、思いながら祈っています。

【母から】 今日も寒かったね〜。今朝は娘が早く起きたので、お父さんに会えてよかったよ。 でも午前中は機嫌が悪くて。眠かったんだね、10時からお昼まで寝てしまいました。 午後は光が差してきたからベランダへ。でも寒い。娘はそれでも平気で、パンを2個ペロリ。 寝る前は、ぬいぐるみを投げて遊ぶのがお気に入り。「オンマ(お母さん)、拾って」と何度もせがむから、「もう、くまちゃんが痛いって言ってるよ」と言ってやめさせました。 9時には、ねんねしたよ。今週は寒い一週間だね。お父さんも風邪を引かないように気をつけてね。サランヘヨ。

 


2007629日(金)

【父から】 昨日も雨と曇りの一日だったね。 夕食は昨日と同じ店で、チキンカレー。味をゆっくり味わう余裕もなく、ただお腹に入れるだけ。図書館から店まで往復15分。ちょうど良い時間だ。 今日も雨模様のようだけど、心はいつも晴れやかに、今日一日を過ごしたい。娘の好きないちごと、バナナ、卵、いつものパンを買ったよ。 何か食べたいものがあったら、言ってね。

【母から】 お帰り〜、お疲れ様〜。 今日はベランダに少し出たけど、寒くてすぐに家に入ったよ。 明日、甘いパンかビスケットが欲しいな。ドーナツじゃなくていいよ。サランヘ!

 


2007630日(土)

【父から】 おはよう!昨日はあちこちでパーティーがあったらしく、この村でも帰りに大きな音楽が聞こえてきたよ。 夕食は、また例のレストラン。食べ終わったら、店の人がマンゴジュースをサービスしてくれた。美味しかったよ。 毎日同じことの繰り返しのようだけど、昨日とは違う今日なのだと感じながら、感謝して今週を歩んできたと思う。 今朝の森は、強い風に木々が踊りながら私を迎えてくれた。誰もいない森を一人で歩くのは、なかなか良い気分だ。今日一日も頑張ります。 p.s- アップルパン、買ってきたよ!

 

200772日(月)

【父から】 昨日は1時間早く帰れたので、まだ起きていた娘の顔を見ることができて嬉しかったよ。 6月もこれで終わり。新たな月、新たな半年が始まる。常に希望と信仰をもって歩んでいこう。明日は一緒に教会へ行き、一日を共に過ごせるのが嬉しい。7月も頑張ります。すべては神様のために!

 

200774日(水)

【母から】 お帰りなさい! 今日、電話しましたか? 2時ごろ、私もウトウトしていました。今日は娘は昼寝を3時間もして、朝もゆっくり起きました。昨日10時過ぎに寝たからでしょうね。 甘いパンをよく食べて、歯磨きもちゃんとしたよ。でも昨日からパンばかり。 明日も頑張ってね! ごはんを炊いているので、朝食べるならスイッチを入れてね。

 

200775日(木)

【父から】 今週も雨ばかりだね。ドイツの梅雨かな。 昨日も相変わらずの一日だったけど、守られ、勉強ができたことに感謝。 夕食はバナナ2本とフルーツジュースでした。

【母から】 お帰りなさ〜い。クイズです。 さて、今日の娘は朝、何時に起きたでしょう? 正解は……9時でした! お昼寝は1時間半。明日も頑張ってね!

 

79日(月)

【母から】 お帰り! 今日はどうでしたか? 娘と4時から1時間外へ。猫がいると、じーっと見ていたけど、歩き出すと怖がって私にしがみついてきました。 寝る前、昨日と同じくすごい泣き方。お菓子を欲しがって、「寝る前はダメ!」と言ったら、もう大変。眠かったんだね。最後は9時に寝ました。 明日も頑張ってね!サランヘヨ!

 

2007710日(火)

【母から】 お父さん、サランヘヨ! 昨日は、帰ってきた時、娘はちょうど寝始めたところでした。 この頃、夜更かしなので、朝は8時過ぎまで寝ています。毎日雨で外にも出られないから、運動不足かな。 でも元気なので感謝です。「シンデレラ」のDVDを見て、歌の場面を自分でリモコン操作しては、「一緒に踊ろう」と誘ってきます。 今日もヨーグルトばかり。チーズも3枚食べました。他はご飯だけ。今日も10時に寝ました。

 

2007716日(月)

今朝、久しぶりに森へ行った。ちょうど日の出の時刻で、良かったと思いながら歩く。 この2週間、一人での散歩という大切な時間を忘れていたな、としみじみ感じた。

真夏の始まり。昨日は35度まで上がったそうだが、家の中にいると、それほどの暑さは感じない。扇風機もクーラーもなしで過ごせる家に感謝。 これからは、この暑さとの戦いだ。一人での勉強も大変だが、さらにこの暑さが加わり、精神的、肉体的な戦いが始まる。新しい週を、こうして再び祈りと散歩から始められることに感謝。これからは毎日、森へ散歩に出かけたい。 今日も娘と、頑張って遊んでください。 では、行ってきます。愛を込めて。主に感謝して。

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