2008年1月8日(火) 無事に韓国へ
昨日、無事に日本から韓国へ帰ってきた。しかし霧のため、予定していた空港には着陸できず、仁川国際空港へ。その後の道のりも長く、途中乗ったリムジンバスが事故を起こすなどして、家に着いたのは結局、夜10時過ぎだった。
約16日間の日本滞在は、とても充実した日々であったと思う。義父の葬儀、その後の家の整理、韓国から来た二人の姉妹の案内(これは妻の方がよくやってくれた)。そして、静岡での愛する方々との再会。それぞれが、たくさんの重荷を背負いながら生きている。もっと多くの人と話し、一人ひとりの話に耳を傾けたかった。未練と寂しさは残るが、とても感謝の日々だった。
娘と妻とは約二ヶ月間離れることになる。寂しい気持ちは隠せないが、これも神様が必要とされて与えてくださった状況なのだと思い、感謝する。すべてを御手に委ね、与えられた日々を生きよう。明日、私は一人でハイデルベルクへ帰る。主が共にいてくださることに感謝。すべては主の栄光のために。
2008年1月10日(木) ドイツより
昨日、こちらの時間で夜10時ごろ、ドイツの家に着いた。12時間の飛行機旅は、さすがに少し疲れた。 しかし何よりも、娘と妻と再び離れたことが、大きな心の負担になっている。今朝目覚めて、自分の中にぽっかりと空いた穴の大きさを感じた。
昨日も雨だったが、今日も曇り空から雨が降っている。幸い、インターネット電話で安く日本へ電話をかけることができ、感謝している。二人は元気だった。日に日に言葉を覚えていく娘が愛おしい。早く二人に会いたい。それが何よりの願いだ。
今日は荷物を整理し、家を掃除して、このブログを書いている。明日からはまた、本格的な勉強といつもの生活が始まる。森での散歩と祈り、買い物……。時差ぼけだろうか、今とても眠い。少し昼寝をした方がいいかもしれない。 これからもドイツでの話を書いていくので、楽しみにしていてほしい。韓国にいる父の体の具合が良くないのが、少し気がかりだが……。
2008年1月11日(金) 暗い森
夜中の1時に目が覚めた。これは確実に時差ぼけだ。昨夜は夕食もとらずに寝たので、お腹が空いている。起きてご飯を食べ、日本に電話をし、今後の計画を立てて勉強する。
まだ暗い中、ごみを出して散歩へ向かったが、森は真っ暗だった。夏なら入ったかもしれないが、冬の闇に包まれた森はさすがにためらわれ、道を変えて短い時間だけ歩いた。
家の前に停まる、子どもたちの登校を迎える小さなバン。向かいの家の旦那さんが犬の散歩に出てきた時、ちょうど私も玄関のドアを開けていた。何も変わらない、相変わらずの光景だ。
地下室にスーツケースを下ろし、朝食を食べる頃には、少し外が明るくなってきた。今日は晴れだ。
日本で新しいデジカメを買ったのだが、撮った写真のサイズが大きすぎてブログに載せられない。少し調べてみなければ。日本で撮った娘の写真も、載せたいのだが……。
二人は元気です
毎朝起きると日本へ電話をかけるのが日課になった。学校から帰ってからも電話をする。二人が起きている時間と寝る前の時間を選んでいるので、無理なく話すことができて感謝だ。
最近、娘がお風呂嫌いになったようで、少し心配だ。電話のたびに「お風呂で綺麗綺麗しようね」と話しているが、効果はあるだろうか。明日、聞いてみよう。
今日は二人で保健所へ行き、今月末に2歳半の検診を受けることになったそうだ。近くの公園で遊び、友達もできたらしい。家(世田谷の義姉の所)では、大好きなイチゴやプリンを毎日食べているという。ご飯もちゃんと食べるようになったようで、これもまた感謝だ。ドイツではパンばかりだったので、少しはお米を食べてくれたらと思っていたのだ。
私は今日、町へ買い物に出かけた。相変わらずの町並みで、何も変わっていない。10キロの日本米と、韓国のラーメンや焼きそば、パン、印刷用紙などを買ったが、とにかく重かった。
少し風邪気味で、鼻水が出て頭も少し痛い。日本の風邪薬を飲んで、少し休むことにする。早く元気になるよう祈りながら、ベッドに入る。
やはり一人は寂しいものだ。こういう時、主が共にいてくださることが、何よりの慰めと大きな力になる。すべてはうまくいく。感謝。
写真も、無事に載せられるようになった。解決できて、本当に感謝だ。
2008年1月12日(土) 父母を敬いなさい
「父と母を敬いなさい。」これは約束を伴う最初の掟です。「そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きることができる」という約束です。
アメリカのテキサス州に、妻と子どもたちを棄て、カリフォルニアで30年間自分のためだけに生きた男性がいた。その後、彼はそこで一文無しで亡くなった。死ぬ前に、彼は「故郷テキサスに葬ってほしい」という一つの遺言を残した。
故郷に住む子どもたちは、実の父親の死とその遺言を聞いて憤慨した。「自分たちとは何のかかわりもない。そんなことはできない」と。
しかし、キリスト者であった長男は、兄弟たちの愚痴を静かに聞いていた。彼は一人でカリフォルニアへ行き、亡くなった父親を故郷へ連れ帰ってきた。その費用を捻出するために、自分の農機具やトラックを売ったという。
葬儀を終えた後、彼は弟たちにこう言った。 「聖書には『父と母を敬いなさい』と書いてあるだけで、『こういう親を』とは書いていないんだ。ただ、自分たちを生んでくれた親のことを言っている。裕福な暮らしをさせてくれたからでも、財産を残してくれたからでもない。ただ一つ、自分を生んでくれた親だからという、その単純な理由で敬うのだ。これが、聖書が教えていることだよ。」
神を見る
いまだかつて神を見たものはいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。(ヨハネの手紙一 4:12)
ある日の夕方、一人の老人と小学生の孫が、湖に沈む夕日を眺めながら語り合っていた。孫は色々なことを祖父に尋ねた。最後に、男の子はこう聞いた。「おじいちゃんは、神様を見たことがあるの?」
その時、老人は湖を眺めながらこう答えた。「坊や、わしはもう神様しか見えなくなったよ。神様以外には、何も見えないんだ。」
私たちの日々も、この老人のようになってほしい。ただ神様のみを見上げながら生きる日々。どんなに素晴らしいことだろうか。 毎日、暗い出来事が私たちの心を乱す。こういう時にこそ、教会が希望の箱舟となり、様々な傷を癒し、生きる勇気を与える家とならなければならない。
森は相変わらず
たった今、森へ行ってきた。今日は曇りで肌寒い、典型的なドイツの天気だ。 森には誰もいない。一人で祈りながら歩いてきた。雪はもうすっかり解けたようだ。今日はお昼に、娘も大好きな韓国式の焼きそば(チャジャン麺)を作る。
今朝電話をすると、東京は雨で寒いと言っていた。日本のニュースサイトで、病院に受け入れを拒否された人が、治療を受けられずに亡くなったという記事を読んだ。悲しいことだ。
時々、アフリカの密林へ行き、ありのままの姿で受け入れられ、共に生きる共同体の中へ入ってみたい、などと考えることがある。しかし、このまま諦めてはいけない。まだこの世には正義が生きている。神の義を待ち望む人々がいるからこそ、希望があるのだ。私たちの教会が、この世の塩となり光となって、弱き人々を受け入れ、暗闇の中で正しい道を照らす灯台となるのだ。
2008年1月13日(日) 主と共に生きる人生
わたしを愛する人をわたしも愛し、わたしを捜し求める人はわたしを見いだす。(箴言8:17)
ある伝道者が、店の隅にいた一人の老人に尋ねた。「おじいさん、主イエスを信じていますか。」 老人は答えた。「もちろん。イエス様を信じて救われることは、本当にすごいことだよ。」
伝道者は言った。「まったくその通りです。しかし、それよりもっとすごいことがあるのです。」 老人が驚いて尋ねると、彼はこう続けた。 「それは、あなたを救ってくださった方と、いつも共に歩む人生です。」
私たちは、ただ救われるために教会へ通うのではない。主は、私たちが日々の生活の中で、家庭で、職場で、キリスト者として主と共に生きることを願っておられるのだ。
なぜ、お風呂が嫌いになったのか
これまで好きだったお風呂が、なぜ嫌いになったのか。今、東京にいる妻の悩みのひとつだ。 たまに入りたがらないことはあったが、最近は「やだ、やだ」と泣き叫ぶという。私がいた頃はよく風呂場で遊んだものだが、ぱったり入らなくなったのは、私のせいかもしれないと一人で考えている。私と離れているからだろうか。
最近、電話をすると娘が受話器を握りしめて離さない。妻とはあまり話せないが、娘が妻の言葉をそのまま伝えてくれるので、大体の様子は分かる。「今日はお風呂に入らなかったよ。だからくさいよ」……。 私が黙っていると、聞いているか確かめるように、突然大きな声で「アッパ!(お父さん)」と叫ぶ。すると私も、「はい、娘よ」と大きな声で返すのだ。
早く娘が、再びお風呂好きになりますように。何しろ女の子なのだから。
主の御前で誠実に歩みたい
わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛するものである。(ヨハネによる福音書
14:21)
一生懸命に働いても、期待したほどの結果が出ないと、人は落ち込んでしまう。 スコットランドに、ある牧師がいた。彼は主のために、教会のために、自分なりに懸命に働いていた。しかし、一年で新しく教会に来たのは、たった一人の少年だけだった。教会の中では「問題は牧師の牧会にある」と噂が広がり始めた。
そんな中、ある日、その少年が牧師を訪ねてきて、こう言った。「先生、僕は一生懸命勉強して、伝道者になります。」 その言葉に、牧師は新たな勇気を得た。その後、少年は本当に伝道者となり、アフリカの宣教師として多くの人々を主へと導いたという。
問われるべきは、自分に与えられた神様からの使命を、100%全うしたかどうかだ。羊たちの霊的な健康を真剣に考え、時には命がけで尽くしたか。その誠実さ、真面目さなのだと思う。自分も、恐れながら神様の御前で誠実に歩みたい。
写真の説明
12月31日、東京の野方教会を訪ねた。いつも親しくさせていただいている、日本の私たちにとっての親のような方々だ。そこでお昼をご馳走になった。お餅も作り、娘は初めてお茶を点てる経験をし、とても楽しいひと時だった。
冬はやはり寒い
今日は霧が出て、運転する人は大変だろうと思った。 日曜日なのでゆっくりと一日を始める。とはいっても、起きたのは3時。時差ぼけのせいだ。いつもより一時間早かったが、目が覚めてしまったのでそのまま起き、一日を始めた。
散歩は7時半にならないと暗くてできないので、その時間に森へ。静かな森で、犬の散歩をさせている中年のご夫婦と「ハロー」と挨拶を交わした。気持ちがいい。
今日は町にある聖霊教会の礼拝に出た。バスが1時間に1本しかないので、いつもぎりぎりになってしまう。面白かったのは、交読文を司式者と会衆が交互に読むのではなく、前半分を女性が、後ろ半分を男性が読んだことだ。ドイツの教会は、日本の教会より形式に縛られず、自由なのかもしれない。
天気は晴れていたが、やはり冬。冷え込んで寒い一日だ。 帰ってきて日本に電話すると、娘が「お父さん、転んだ」と言った。外で転んだらしい。今日はお風呂にも入ったそうなので、褒めてあげた。頭を洗うのは大変だったと、後で妻が言っていたが……。それでも、感謝。今日も二人が守られ、私も無事に帰ってこられたことに感謝する。
背負い切れる重荷
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。(マタイ 11:30)
ラクダは一日の仕事を始める時と終える時、飼い主の前にひざまずくそうだ。 飼い主は、自分のラクダが背負える重さをよく知っている。だから、そのラクダが背負い切れるだけの荷物を載せる。ラクダもそれを分かっているので、快くその荷を背負うのだ。
神様は誰よりも、私たち一人ひとりの事情をよく分かっておられる。そして、私たちが背負い切れるだけの重荷しか載せられない。その時、私たちはどういう姿勢でそれを受け取るだろうか。ラクダのように謙遜にだろうか。それとも、不平不満を言いながらだろうか。
愛の神様は、決して私たちが背負いきれないほどの重荷は与えられない。今あなたが背負っている重荷は、あなたが十分に耐えられるものなのだ。感謝して、この時を過ごそう。
2008年1月14日(月) 真っ先に神の助けを
しかし、わたしは主を仰ぎ、わが救いの神を待つ。わが神は、わたしの願いを聞かれる。(ミカ
7:7)
森の中で暮らす、ある家族。ある日、嵐で大木が倒れ、家の入口を塞いでしまった。 家の少年は、一人でその木を片付けようとしたが、びくともしない。物音に気づいて出てきた父親が、息子に尋ねた。「お前のできることは、全部やったのか?」
「うん、お父さん。でも全然動かないんだ。」 「いや、お前にはまだ、やらなければならない大切なことが一つ残っている。気づいたかい?」 「分からないよ。」 「お前は、お父さんに『手を貸して』と言わなかったじゃないか。それが一番大事なことだよ。」
そうだ。私たちは様々な問題の前で、真っ先に神様に「助けてください」と祈るべきなのだ。しかし残念ながら、多くの人は一番最後になってから、神様を呼ぶ。
日本は本当に世界第二の経済大国なのか
また、12もの病院から治療を断られて亡くなったという事件が起きた。 厳しい病院の現実。これは今日だけの問題だったのか、それとも以前から重なっていた深刻な問題だったのか。早く、より良い医療サービスを誰もが受けられるようにはならないのか。
二度とこのような事件が起きないよう祈る。そして、過酷な状況で働く人々の苦労を多くの人が知り、改善のために何が必要かを皆で考える社会になってほしい。
家族にもっと思いやりを
最近、日本へ電話をすると、ほとんど娘が受話器を独り占めしてしまうので、妻とゆっくり話すことができない。 ある知人から助言を受けた。「あなたは勉強で外へ出て、色々な人に会うから孤独を感じないかもしれないけれど、家に一人でいる奥さんは、孤独を感じるものよ」と。
できるだけ、学校であったことや町の様子などを彼女に伝えることが大事なのだと思った。特に、あまり話さない私には、意識的にそうすることが必要なのだろう。 ある意味で、この二ヶ月間の彼女の日本での生活は、良かったのかもしれない。感謝。私は、寂しいけれど。
夢をみる家庭
命のある限り、恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り、生涯、そこにとどまるであろう。(詩篇 23:6)
自動車王ヘンリー・フォードは、成功してから故郷に小さな家を建てた。 側近が「少し不便では」と心配すると、フォードはこう答えたという。「家庭とは、物ではない。小さく、不便であったとしても、そこに主イエスの愛があるならば、それこそが立派な家ではないだろうか。」
デトロイトにある記念館には、今も次の言葉が記されている。「ヘンリーは夢を見る人であった。そして彼の妻は、祈りの人であった。」
またもや、日本で家庭内での殺人事件が起きた。今の日本の家庭に大きく欠けているのは、やはり愛だろう。罪を赦す愛、欠点を覆う愛、犠牲の愛……。
2008年1月15日(火) 永遠の命の旅
主の庭を慕って、わたしの魂は絶え入りそうです。命の神に向かって、わたしの身も心も叫びます。(詩篇 84:3)
ある日、教会学校で、一人の少年が神の国についての話を聞いた。 家に帰り、少年は母親に言った。「ママ、イエス様が私たちのために、ものすごくいい所を準備してくれているって知ってる?そこへ行くために、私たちは今ここで準備をするんだって。」
母親は言った。「そうなのよ。私もぜひ行きたいわ。」 すると少年は尋ねた。「ママはいつも旅行の準備は何日も前からするのに、その素晴らしい神の国へ行くための準備は、どうしてしないの?」私たちの人生は、この世で終わるのではない。この世での生涯が終わり、永遠の命の旅が始まるのだ。
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