一人でもいるならば、まだ希望はある
夜中の2時、目が覚めた。昨日、少し早く寝たせいだろうか。こういう生活は良くないな、と考える。規則正しい生活にはリズムが大事だ。リズムに乗って生きることは大切だが、時にはそこから離れた生活もしたくなる。何しろ私は、ロボットではなく人間なのだから。
最近はブログの更新が頻繁になっている。自分にこれほどの時間があったのかと、不思議に思うくらいだ。しかし今日からは、こうした時間もあまり取れなくなるだろう。少なくとも、週に一度は更新していこうと思う。
今日も世界では、様々な出来事が起きている。事件、事故、涙、叫び。その一方で、地球の反対側では喜びと笑顔に満ちた場所がある。だから、この世界は不公平だと考える人がいる。
なぜある人は豊かな国に生まれ、何一つ不自由なく生きられるのか。その一方で、スラムの町に生まれ、一生を貧困の中で生きねばならない人がいる。確かに不公平だと、誰もが思うだろう。
しかし、これは神様が望まれた世界ではないのかもしれない。ただ、人の生き方が間違っているだけなのだ。罪と欲望のために、こういう世界になったのだ。持てる者は、持たざる者のために分け与えよと、聖書は命じている。貧富の差をなくすことはできたはずなのに、人間の欲望が今の世界を作り上げた。互いに分かち合い、助け合う世界を目指したはずなのに、私たちはそれを拒み、欲のままに生きている。
愛のない世界。ただ弱肉強食の世界だけが残る。 この時、「それは間違いだ」と声を上げるのは誰だろうか。それは教会であり、キリスト者であるはずだ。しかし、その理想的な教会やキリスト者がいない現実に、人は嘆く。いや、いるに違いない。いるのだ。自分を犠牲にして生きている人々が、この世界にはまだ存在している。だから、この世界はまだ捨てたものではない。希望があるのだ。まだまだ、この世界には希望がある。だから、生きるのだ。
メスとオスの関係
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。(マタイによる福音書 11:28)
主イエスは、この世を生きる私たちの人生を、くびきを負って畑を耕す牛にたとえられた。 昔、ユダヤ地方では、畑を耕す時にメスとオスの牛を一組にしたという。メスだけでは力不足で、オス二頭では喧嘩をしてしまう。だから、弱い者と強い者、つまりメスとオスを一組にして仕事をさせたのだそうだ。すると、うまくいくらしい。オスはメスに合わせて、引っぱったり緩めたりと、うまく
균형 をとりながら前に進む。
主イエスは、こうした状況をよくご存知の上で、「わたしのくびきは負いやすく、荷は軽い」と言われた。ここで私たちはメスとして、そして主イエスは導くオスとして喩えられている。常に主に導かれる人生は、幸せな人生だ。
Herdpraemie
2007年、日本の一年を象徴する漢字は「偽」だった。ドイツでは、その年の「悪い言葉」に「Herdpraemie」(家事補助金)が選ばれた。 これは、子どもを保育園に預けず家庭で育てる親に対し、育児手当を支給すべきだという主張に関連して生まれた言葉だ。しかし、多くの主婦がこの言葉に屈辱を感じたという。外国人である私たちには、少し分かりにくい感覚かもしれない。誰もが当然のことと考えている育児に対して、国民が払った税金から手当てを欲しがっているかのように聞こえる表現が、気に入らなかったようだ。
ドイツ政府は、親が仕事と育児を両立できるよう、国費で数万の保育園を増設しようと計画した。しかし、保守的な政党であるCSU(キリスト教社会同盟)は、女性はできるだけ家庭で育児をすべきだという伝統的な考えを推し進め、それに伴う補助金の支給を構想している。
これには、バイエルン州に今も少なくない、農業で生計を立てる家庭への配慮という、政治的な思惑もあるのかもしれない。保育園に通わせる家庭に補助金が出るのなら、家で育児に励む親にも手当てが支給されるべきだと考えるのは、自然なことだろう。どちらが良いのかは分からないが、育児のことだけを考えるなら、親が家庭で育てる方が良いのかもしれない。
2008年1月18日(金)
これからは祖父母も育児休暇
ドイツには、子どもが生まれた際に育児休暇と育児手当が支給される制度がある。職業を持つ親の一人が、最長14ヶ月の休暇を取得でき、その間、給料の手取り額の67%(上限月1800ユーロ)が支給される。 最近、ドイツの家族担当大臣は、18歳以下の親や大学生の親が出産した場合、同居する祖父母も育児休暇を取れるようにする法案を提案した。
かつては祖父母が孫の育児を担うことも多かったが、核家族化が進み、親がその役割を担わなければならなくなった。この新しい制度は、未成年や学生である親が、学業や職業教育を諦めることなく子育てができるよう、国が支援しようという考えから来ている。女性が仕事と育児を両立させることが難しい現実や、出産率の低下といった問題に対する、一つの解決策なのだろう。
再会
今日は曇り時々雨の、すっきりしない天気だった。 久しぶりに学生食堂へ行くと、指導教授との再会が待っていた。いつも感じることだが、本当にやさしい先生だ。昨年のクリスマスにご家族で集まった時の写真を見せてくださった。
その後、講義のために教会へ向かった。約30分間、ボンヘッファーがかつてロンドンのドイツ人教会で行った説教が朗読され、皆で讃美歌を歌った。帰りに、生きるための買いものをする。バナナ、りんご、牛乳など……。
さて、先日、日本の医療機関を批判するような文章を書いてしまったが、やはりそれぞれの言い分はあるだろう。病院側にも、受け入れられない事情があったに違いない。私はただ、報道された表面的な情報だけを見て、自分なりの意見を書いてしまった。厳しい状況、人手不足。これからはもっとよく調べた上で、発言すべきだと反省した。何人かの方からのご指摘に、感謝している。勉強になった。
2008年1月20日(日) 家でごろごろ
一日中、外にも出ず、家の中でごろごろしていた。 今日やったことといえば、掃除と洗濯、そして娘の写真を7枚印刷して壁に貼ったことくらいだ。本を読み、勉強もしたが、こういう曇りや雨の日には、家の中で好きなことをして過ごすのも悪くない。
やはり一人だと、ご飯も美味しくない。あまり外食もできないので、家にあるもので済ませている。 久しぶりに知人から便りがあった。しばらく連絡がない間に、色々と大変なことがあったようだ。一人暮らしの彼だが、血の繋がりはなくとも「兄弟姉妹」と呼べる仲間がいる。この世では珍しいその繋がりが、彼にとっての救いになっているのかもしれない。
こちらにいると、まるで別世界にいるような感じがする。もしインターネットがなければ、世の中で何が起きているのか、全く分からなくなってしまうだろう。
最近は考古学の本を興味深く読んでいる。何十年、あるいは一生をかけて一つの謎を解き明かそうとする、その情熱と忍耐強さに感心する。彼らは自分のためだけでなく、何か人の役に立つことを考えていたのだろう。
人に役立つ人生、自分だけに役立つ人生、人に害を与える人生。人は、そのいずれかに属している。果たして自分は、どこに入るのだろうか。一つだけ分かっているのは、自分は神のために、家族のために、そして私を知る人々のために存在している、ということだ。
新年の挨拶
教会へ行くと、先に車で着いていたご婦人の一人が、私に気づいて待っていてくれた。そして、新年の挨拶をしてくれた。彼女は私のことを覚えていてくれたのだ。特に、娘にイチゴをくれたり、自宅のうさぎ小屋を見せてくれたりした、とても親切な方だ。
教会の中にはまだ大きなクリスマスツリーが飾られていた。帰りの道の写真を載せる。おそらく、いつか見たことがあるような、何も変わらない風景だ。
2008年1月21日(月) あるご婦人を偲んで
東京にいた頃、通っていた教会に、当時88歳のあるご婦人がいた。いつも杖を頼りに、日曜の礼拝に来られていた。
ある日、私に中国語が分かるかと尋ねられた。分からないと答えると、今度は大学で中国語を専攻している青年に、雑誌記事の翻訳を頼んでおられた。今思えば、それは私と話すきっかけを作るための、ご婦人なりの気遣いだったのかもしれない。
またある日、礼拝が終わると、高級なカステラをくださった。さらに別の日には、私とその青年を食事に誘ってくれた。向かったのは、ホテルオークラの中にある中華レストラン。店の前では料理長らしき人が私たちを待っており、常連客なのだと知った。席に着くと、次から次へと美味しい料理が運ばれてきた。
ご婦人は、かつて東京帝国大学総長であった南原繁氏の秘書をされていたという。その後、会社も経営されたとか。16歳の頃の写真まで見せてくれた。 私たちは親しくなり、しばらくして、今度は妻も一緒にそのレストランへ連れて行っていただいた。
私が国へ帰ることになり、別れを告げねばならない時が来た。最後の礼拝説教をしたが、その時、ご婦人は入院されていた。お見舞いに伺うと、とても喜んで迎えてくれた。私はその場で祈り、今日の説教をもう一度、彼女の前で話した。説教が終わると、その原稿をほしいと頼まれた。帰り際に、「先生、あの時計を韓国へ持っていってください」と言われた。以前、プレゼントしてくださったセイコーの卓上時計のことだった。
一年後、再び日本に戻り、教会で彼女と再会した。とても喜んでくれた。それから2年が過ぎ、私は静岡へ。その後の消息は聞けずにいたが、2006年に亡くなられたと、後になって知った。 彼女は、南原先生から贈られたという聖書をいつも大切に持っていた。私にとって、とても大切な出会いであり、思い出だ。きっと今は天国で、16歳の写真に写っていた頃のような美しい姿で、幸せに過ごしていることだろう。
バレー教室
二人は元気だ。今日、教会で過去の文集をもらってきたようで、その中に2006年に行われた、あのご婦人の葬儀のことが載っていたという。
今度から、娘は週に一度、バレエ教室に通うそうだ。音楽が流れると自然に体を動かす娘は、きっと喜ぶだろう。妻も久しぶりにバレエをやることで、硬くなった体が少しは柔らかくなるかもしれない。明日は、本当に久しぶりに友人と会うという。大雪でなければいいが。
2008年1月22日(火) 寒い
今日はゼミに参加した。帰りはネッカー川の風が強く、冷たかった。バスを20分ほど待つ間、冷たい風に吹かれていたが、空気が綺麗なせいか、気持ちは良かった。
いつもならゼミの後に皆で行くギリシャレストランが休みだったので、そのまま家に帰ってきた。お腹は空いているし、帰っても誰もいないし、寒いし……。しかし、帰る場所があり、慣れた家でほっとできるのは、ありがたいことだ。
夜のハイデルベルク城も、なかなか良いものだ。お城が赤い光でライトアップされ、綺麗に見える。外は寒くても、家の中はぽかぽかと暖かい。でも、一人はやはり……。
2008年1月24日(木) 家族はやはり
夜明けが早くなったと感じる。朝7時半に森へ行くと、以前はまだ暗かったのに、最近は少し明るい。
静かな森に一人で入っていく。待っているのは、鳥たちの声だ。
今日、東京は雪だという。そのため、二人は外に出なかったそうだ。 そして、予定を早めてこちらへ来ることになった。2月16日に着く予定だ。約1ヶ月、早まったことになる。実は、私が頼んだのだ。二人に会いたくて、仕様がなかったから。
最近は、家を隅々まで磨いている。娘のためにも、部屋を模様替えし、楽しく住めるよう工夫している。何よりも、3人がここで与えられた時を、元気に、感謝と喜びをもって過ごせるよう祈っている。特に、娘が心豊かに育ち、多くの人を愛し、助け、神様の平和を伝える子となることを願うばかりだ。
もう電車の時刻を調べたり、色々と注文したりして待っている私。家族はやはり、一緒に住むのが一番だ。
2008年1月27日(日) 聖餐式と洗礼式
今日は曇り空の、肌寒い朝。10時の礼拝に間に合うよう、急いで教会へ向かった。
礼拝堂の中は暖かい。いつも讃美歌集を配ってくれるおじさんに、「奥さんとお子さんはどうしたの?」と聞かれ、「二人は今、日本にいます」と答える。
今日は幼児洗礼式と、聖餐式が行われるようだ。普段見かけない顔も多い。堅信礼を控えた中学生らしき少年たちが、献金の奉仕をしていた。
そういえば、家を出る時に炊飯器のスイッチを入れ忘れた。肉の糧も大事だからな。今週も礼拝と共に一日を始められたことに感謝し、頑張っていきたい。
今日は義父の納骨式。無事に終わっただろうか。今頃、もう東京に着いた頃だろう。 少し、一人の生活に慣れてきたようだ。この時間を十分に活用し、楽しもう。
2008年1月29日(火) 今日も生きた
今日は二度も町へ行ってきた。往復4時間を、バスと徒歩に費やしたことになる。
午後は大学でゼミ。キルケゴールの「不安の概念」について、先生と13人の学生で話し合う。 帰りのバスは、始発の停留所まで歩いて乗る。そうすれば座れるからだ。思った通りに座れたが、途中でバスは満員になった。
誰もいない家にたどり着く。ご飯を食べよう。寂しさは、少し消えていた。これでいい。人は環境に慣れるものだ。 寝る時間が近づいてきた。22時は、私の就寝時間。安らぎと平和の時だ。誰にも邪魔されず、4時まで眠る。今日も守ってくださった神様に感謝。生きることの大切さを、最近、もっと深く考えるようになった。
2008年1月30日(水) 弱者のための世界はいつ
今日、韓国のインターネットで衝撃的な映像を見た。保育園の2階の非常口の外に、裸の女の子が寒さに震えている姿だった。教師が、言うことを聞かない罰として与えた処置だという。
この映像を見た人々は、怒りを隠せないでいた。私も同じ気持ちだった。理由がどうであれ、あってはならないことだ。
弱い者は、昔も今も変わらず犠牲になる。その弱い者のために、主イエスはこの世に来られたのだ。弱者が、何の心配もなく平和に生きられる時は、いつ来るのだろうか。
2008年1月31日(木) 愛は死のように強く
わたしを刻みつけてください/あなたの心に、印章として。愛は死のように強く/熱情は陰府のように酷い。(雅歌 8:6)
19世紀、イスラム圏への伝道のために命を捧げた人がいた。大学教授であったラモン・リュイは、伝道のためにその国へ渡り、二度も追放され、一年半投獄された。その後、井戸に投げ込まれ、最後は石を投げられて亡くなったという。
彼が死の直前に残した言葉は、「ただイエス・キリストだけ」だったそうだ。そして、「愛する人は決して死ぬことはない。主イエスと共に生きる人は、決して死ぬことはない」と言い残し、目を閉じたという。
雪
昨夜、雪が降った。大雪ではなく、3センチほどだろうか。 今朝、森へ行くと、昨夜の雪と霧が混じり合って、不思議な光景が広がっていた。誰も踏んでいない雪の上を歩くのは、気持ちがいい。
今日も一日、勉強に励もう。何か、鍋料理が食べたくなった。
2008年2月1日(金) 期待の多い2月を迎えて
新しい月が始まる。昨夜から強い風が吹き荒れ、雨も降っている。外は寒いだろう。今朝の散歩は中止にした。 今、日本では毒入り餃子の事件で大騒ぎになっている。もちろん、真相は解明されるべきだが、これが国と国との争いにならないよう祈るばかりだ。
今日は、娘のために注文したおもちゃの車が届く日。車好きの娘が、きっと喜ぶだろう。おもちゃ屋へ行っても、人形より車を選ぶ子なのだ。
あと約2週間で、二人に会える。
昨日は、12月に韓国から船便で送った荷物も届き、だんだんと3人家族の新たな生活が整えられていくのを感じる。ドイツでの再出発。義父の死で、しばらく体も心もここから離れていた。 新たな出発を、主は祝福し、守り、導いてくださるだろう。私たちにできるのは、ただ大きな信頼を置いて、信じていくことだけだ。期待の多い、2月である。
-5℃
冷え込んでいる森へ行ってきた。寒い朝だ。 凍った散策路を、まだ解けていない雪の上を、気をつけながら歩いていく。朝日が昇る。いつかこの森の、もっと奥まで行ってみたい。春か夏になったら、三人で行こう。
また、アメリカで5人の女性が射殺されたというニュースを見た。今日も多くの人が、人を殺し、殺され、この世を去っていく。理由もなく、ただその場にいたというだけで。
どうして、人はそうなってしまうのか。生まれた時は皆、何も持たない赤子なのに。
現代人は病んでいる。理由もなく人を傷つけ、憎しみが溢れている。 しかし、まだこの世は捨てたものではない。命の大切さを知り、他人の痛みを自分のこととして考え、弱きを助け、悪に善をもって立ち向かう。真理が偽りを追い出す世界。そういう世界を目指す社会には、まだ未来があるだろう。
2008年2月5日(火) 自分を充実させる
昨日、久しぶりにギリシャレストランへ行った。ゼミの前に、指導教授がご自身の著書を何冊か持ってきて、学生たちに安く売ってくれたのだ。私も3冊買った。 その後、有志5人でレストランへ。久しぶりに皆とビールを飲む。食事をしながら、キルケゴールの話になり、やがてアメリカの大統領予備選挙の話題に移った。
食事は、先生が皆の分を払ってくれた。「本も売れたからね」と笑っていた。 この食事のお陰か、家に帰ったのは夜11時だった。反省。これでゼミも終わり、3月の試験に向けて励むことになる。
しかし水曜日、また先生から食事に誘われた。今度は奥様もご一緒だという。本当は行きたくない。とにかく、この家から出たくないのが本音だ。外は寒いし、町までは往復2時間。交通費もかかる。何よりも、自分の時間割通りに生活したいのだ。 今のこの生活は、神様からのご褒美だと思っている。だからこそ、一日一日を充実させながら生きなければ、と思うのである。
2008年2月6日(水) 40代は着陸ではない、もう一度離陸する時だ
今日から、「The Third Age」という本の内容を紹介しながら、自分の経験や考えを記していきたいと思う。 21世紀になり、人間の寿命は長くなった。いわば「人生80年」の時代だ。昔と比べて、およそ30年という時間が、私たちに新たに与えられたのだ。しかし、ただ長生きすれば良いというものではない。問題は、どのように生きるか、だ。
ここでは主に、40代以降の人生を迎えた人々にとって、この時期が「着陸準備」ではなく、もう一度「離陸」する時なのだということを紹介したい。
ヨーロッパでは、人生を4つの段階で考える。学習の段階(First age)、仕事と家庭を持つ段階(Second age)、自己実現を追求する段階(Third age)、そして老化の段階(Fourth age)だ。
この中で「Third age」は、人生で最も長く、そして最も大事な意味を持つ旅路なのだという。40代とは人生の下り坂ではなく、新たな、そしてより成熟した成長と挑戦ができる時期なのだ。
2008年2月7日(木) 人生、第二の成長期を迎えて
来る9日は、私たち夫婦にとって大切な日だ。その日があったからこそ、新しい家庭と命が生まれた。結婚6周年。 この日を共に祝えないのは、とても残念だ。まさに私たちは、第二の成長期を互いに迎えている。中年の危機ではなく、共に成長する時期なのだ。
私たちには娘の成長を見守る大きな使命があるが、同時に、私たち自身の人生をより豊かに成長させる責任もある。 まだ、お互いを知ってから日は浅い。それぞれが生きてきた人生の方が、ずっと長い。しかしこれからは、それを超えた、より密で深い関係へと導かれていく。
常に愛し、信頼し合っていく。もっと助け合い、理解し合い、励まし合い、赦し合っていく。そういう夫婦になっていくのだ。それを目指して、二人は頑張る。どんな犠牲であれ、家族のためなら惜しまず払う。この世でたった一つの、かけがえのない家族なのだから。
より豊かな人生を目指して
ある本の結論に、こう書かれていた。 「我々は、古い前提を払い落とし、自分の限界を広げ、創造的に思考し、他の人々とは違う生き方をしなければならない。過去に成し遂げたことだけに依存しては生きられない。我々の前には、これから生きる人生が開かれている。その日々を、我々は思うままに使うことができるのだ。」
人生は、思ったほど長くないと思ってきた。しかしよく考えてみれば、もし許されるなら、これまで生きてきた年月を、もう一度生きることができるのだ。だが、今までと同じ人生を生きたいとは思わない。もちろん、結婚と子どもは別だが。
これから始まる、いや、もう始まっている第二の人生。その成長期を、私は迎えている。より豊かな人生を、新たな挑戦と学びを続けながら生きることを願い、さらに自分だけでなく、周りの人々や社会、世界に少しでも役立つ人生を送りたい。そのために今、何をすべきか、どう生きるべきかを問いながら、歩んでいきたい。
五つのDよりは、五つのRを選びたい
40代以降の人生、そこには未知に近い30年という広大な時間が広がっている。そこは、ものすごい成長の可能性を秘めた、新しい未開拓地なのだ。
中年を迎えた人々に対し、世間はこれまでこう言ってきた。「離陸?その年で?シートベルトを締めて、着陸準備をすればいいんだよ」と。
年を取るということは、五つの致命的な「D」と結びつけられてきた。衰退(decline)、疾病(disease)、依存(dependency)、鬱(depression)、老いぼれ(decrepitude)、そして最後に待つ、死(death)。 しかし、人生の後半期を最大限に活用し、その生き方を身につけるならば、私たちは元気な「R」の言葉と共に、未来を新たに設計できるという。更新(renewal)、更生(rebirth)、刷新(regeneration)、復興(revitalization)、そして若返り(rejuvenation)だ。
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