この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。(ガラテヤの信徒への手紙5:1)
この国で生まれ、生きている人は自由人である。
しかし、それは自由な国で生きているからではない。いくら自由人であるとしても、もし罪を犯すと即罪人になるからである。大切な自由が失われるとのことだ。いつまでも自由人になれるためには様々な規定、国が定めた法を守らなければならない。つまり、条件付きの自由であるとの意味である。
しかし多くの人は真の自由を味わうことなく、様々なことで不自由な人生を送っている。毎日のように思い悩み、不安を抱え、不透明な明日のために苦しみながら眠れぬ夜を過ごす。仕事や子育てや家族などの人間関係に苦しみ、まだ起きてない出来事、不安を想像し、現実化させて自ら苦しみ、心の牢屋に閉じ込める場合も多い。
自由な人でありながら、その自由を自ら捨ててしまい、物事の虜になって不自由な人生を生きている。誠にあわれな人生である。これが我々人間の姿であり、おかれている現実である。それを知った神様は御子イエス・キリストを遣わして自由を得させてくださったのである。それがイエス・キリストがこの世に来られた理由である。今、私たちにはその真の自由を得て生きることが重要である。自由人になることだ。今日も自由人になって生きることだ。
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