だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。(コリント二4:16)
今日も暑い一日であった。
午前中は仙台朝市へ。255段の大年寺階段を上りきったら汗が・・・・・夏だ!!!
約1時間後には仙台市内。選挙活動の人々、買物客、仕事先に向かう人々、ぶらぶら歩く人々、お店の開店準備に励む人々・・・・・・いろいろな理由で人々は動いている。生きるために・・・・
1日24時間、誰にでも与えられる時間である。しかしこの時間の使い方によって結果は大きく異なる。
もし幸せを願うのであれば、与えられた時間をそれにふさわしく用いるべきである。しかし多くは時間をそれほど大事にしない。なぜなら今日の日が過ぎ去ったとしても、また明日がやってくると考えるからだ。それで結局、年を取り、悔いながら最後を迎える。これが愚かな人間の循環構造である。時をよく用いるために必要なのは、その時が誰から、どこから与えられたかを知ることである。でもそのように考える人はほとんどいない。時が訪れるのは自然だと考えるからだ。当たり前だと考えるからだ。
そうだ、難しい事はやめよう!でも自分の人生を大事にすべきである。それは自分に与えられた時を大事にすることだ。今日も悔いのないように精一杯に生きることだ。
僕は主のために、そして人々のために生きる。
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