兄弟たち、あなたがたに勧めます。怠けている者たちを戒めなさい。気落ちしている者たちを励ましなさい。弱い者たちを助けなさい。すべての人に対して忍耐強く接しなさい。だれも、悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい。いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。(テサロニケの信徒への手紙一5:14-18)
昨日は三者面談。
今日は終業式。
無事に終わり感謝。
そして雨。
今日のランチと夕食のために先ほどまでインドカレーを作った。
起床して約10時間となる。
世界は変わりなく動いている。
絶えず悲しみと喜びが交差し、涙と微笑みが繰り返している。
苦しむ人は苦しみ続け、喜ぶ人は喜び続ける。
・・・・でも終わりがある。
いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝する人生を送りたい。
そういう環境や状況が訪れたら、とのことではない。
どんな場合でもそうすることを命じている。
神様の命令には従うしかない。
さらに、それが命の源である神様が望んでおられることだと言う。
つまり、それは私たちの幸せになるからだということでしょう。
この神様の御心が理解できず、わからないとすべての言葉が無意味であり、夢の話しのように聞こえてしまう。これが信頼関係の大切さである。相手を信頼しているがゆえにその言葉を快く受け入れられる。
そしてその言葉に従って生きることが喜びとなる。しかし関係がねじれてしまうとすべての言葉がとげのように聞こえ、また不信感を抱き、耳を塞いでしまう。
だから言葉は耳ではなく、まず心で聞くべきである。つまり、集中して聞こうとする姿勢が大事である。
すると相手の言葉がちゃんと聞こえるようになり、理解できるようになり、受け入れることが出来るようになる。これは家族や友達の間でも適用できる重要な話である。まず自分のことを言うより、相手の言葉を聞くことを優先すれば会話が楽しくなり、最後まで有意義な時間になることが多い。もちろん100%とは言わないが、大体、そのようになることは事実である。
今日は学校から持って帰って来る荷物が多いと言うことで終業式にはいつも学校まで迎いに行く。
妻は仕事、ノアちゃんは寝ている。こうしてそれぞれ自分の居場所で今日の歩みを歩んでいることに感謝。何よりも精一杯に生きることだ。
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