神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。(コヘレトの言葉3:11)
調子がよくないことで、昨日は一日絶食をさせたが、しかしまるで自分は元気であることを示すかのように、今朝の散歩で大年寺階段からの散歩道を自分が選び、本当に元気に上って行った。それでも今朝の食を抜きして三人で11時に予約した病院へ。ここでは二度目の診察となる。今朝、娘は自分も行きたいと言い出したことが思い出す。夏休みが終わると学校に行きたがらない生徒は多いようだ。娘のクラスでも朝から登校したばかりなのに今日は早退しようかな、と周りから言いだすと言う。するとうつや!鬱!と言っているようだ。病院で写真を撮って送ってね、と言われた。
診察をして薬ももらって来た。元気なのでそれほど心配はないと言う。感謝。こうして我家の大行事(?)の一つが無事に終わった。大型犬を病院に連れて行くのは簡単ではない。でも割とおとなしいノアちゃんだから大丈夫だったけど、でも病院に入ったら興味津々!開いている部屋のあちこちへ行こうとしていた。こうして一つの仕事が無事に終わった。感謝。
今日の夕方から天気は下り坂!適当な雨は必要である。問題は降り過ぎることだ。なんでも過ぎはよくない。ただ一つだけ、愛する事だけは過ぎても良い。それぞれの家庭には物語がある。しかし一人だけが出演する物語はつまらない。全員が出演する家族物語が良い。それぞれ違う立場を理解し、相手を配慮し、補い、かばってあげ、時には失敗も快く受け止めてあげる。そしてもう一度挑戦できるように励まし合う家族の物語が必要な時である。今は本当に家族が一つになることが求められる。しかし上からの権威や力ではなく、愛によって一つになることが重要である。結局、人間が最後に悔いるのはもっと愛せなかったことになるからだ。命が与えられるのは愛するためである。まず目の前にいる家族からその愛を実践することだ。その時の愛は無条件の愛が光り輝き、自分に心の豊かさ、人生の真の意味を運んでくれることを忘れてはならない。愛し続けることだ。愛は必ず勝つ。愛に対抗できるものはこの世にはいない。それを信じて最後まで愛によって生きる。
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