私は今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。(ルカによる福音書13:33)
冷え込んだ今朝もノアちゃんと散歩の道を歩き続ける。しかし大年寺の階段を上ると体が熱くなる。だから厚着はせず寒くても適当な服装で散歩に出かける。今日もノアちゃんとの散歩、ランニング、サイクリングをクリアして与えられた日を生きている。
今、戦場では生きるか死ぬかという緊迫した状況の中で過ごしている人々がいる反面、今日の夕食は何を食べようかな?と考える人々がいる。不条理な世界だと考える人もいれば、仕方ないと考える人もいる。今日、新しい命の誕生で喜ぶ人々がいる反面、家族を亡くして悲しむ人々もいる。ある意味、これが人間に与えられた人生の回し車で、繰り返される人生の姿である。すると虚無感が襲ってくる。
このまったく希望のない回し車で誰が楽しむだろうか?誰が幸せを感じるだろうか?しかし不思議なことにそれを楽しみ、そこで幸せを感じる人々が多いのである。我々が生きている世界は回し車である。
同じことが繰り返される。生と死、幸福と不幸、涙と笑い、喜びと怒りが繰り返される世界で人々は生きている。同時に人間は特別なことを求める願望を持っている。ありきたりの生活から離れて新鮮な出来事、まったく経験したことのない出来事を求めるときがある。しかしその出来事のためには勇気がいる。覚悟が必要である。結局、何もできず平凡な、いつもの人生を生きることになる。これも人生である。
自分の人生がつまらないと考えるので多くの人は他人の人生をのぞき込む。それでアイドルや人気者の目に見える表面だけの姿に憧れて彼らの人生をお金で買い取るのである。でも最後に残るのは虚しさである。自分の人生を生きることが重要である。他人の人生にお金をかけず、自分の人生にお金をかけるべきである。しかし言ってもわからない。それも人生である。結局、自分はどういう人生を選んで生きるかである。この選びが重要である。だから自分は信仰の道を選んで悔いのない人生を生きている。感謝。
妻は来月からの新しい仕事のための研修会も無事に終えて残り3回の仕事に励んでいる。感謝。今日の夕食はバターカレーにすることにした。この二日間はかぼちゃグラタンを作ったので別の新メニューにすることに・・・
特別なことはないけれどもこうして家族のために夕食を作ることもありがたいことである。11月も外部の説教依頼がはいっていて忙しくなるが、これも感謝である。命がある限り、生き続ける。頑張って生き続ける。楽しく生き続ける。笑って生き続ける。できれば美味しい人生を生き続ける。これらは造り上げることである。決して自然に訪れるものではない。ならば造り上げよう!今日も、明日も、そして次の日も・・・・
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