2022年10月3日月曜日

希望によって生きる

 


1主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。

2主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い

3魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく/わたしを正しい道に導かれる。

4死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける。

5わたしを苦しめる者を前にしても/あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ/わたしの杯を溢れさせてくださる。

6命のある限り/恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り/生涯、そこにとどまるであろう。(詩編23編)

 


希望、楽しみ、喜び、平和、休息、幸福感などこういった人生にプラスになる要素はそれほど長く続かないことが多い。これらの間に予告なしに急に入り込んでくる不幸なこと、苦しみ、悲しみ、怒り、病気などによって晴れた人生が曇りの人生へと一転してしまう。けれどもこれもやはり人生であるに違いない。

この世における人生はこれらのことをすべて経験し、耐えながら生きる時に本当の人生として形造られ、完成されるのである。少なくとも信仰なしの世界ではこれらのことが言えるのである。

 


永遠に続く希望、楽しみ、平和、喜び、休息、幸福感はある意味、人生を駄目にする要素になる。つまり毒になるかも知れない。希望とは絶望の中で生まれてくる光である。楽しみは苦しみの中から生まれてくるものである。喜びも悲しみの中から咲いて来る花である。不幸を経験したからこそ幸福のありがたさが分かるのである。こうして人間の世界には正反対の相互関係によって成り立っている。つまり、良い事ばかりではなく、喜怒哀楽をすべて味わいながら生きることが我々の人生である。すべてを真正面から受け止めることである。決して逃げずに、受け入れることである。するとなかなか難しいと考える。それも人生である。複雑に考えず、単純に考えて生きることが案外楽になることが多い。選ぶのは自分自身である。

 


変わりなく、ノアちゃんとの散歩、ランニング、買物、掃除、料理、勉強、牧会・・・・・・生きているからこそ出来ることであり、続けることである。感謝して生き続け、やり続け、祈り続ける。

10月は毎週のように大学と高校のチャペルでの礼拝説教が続く。これも感謝。こうして頑張ることが出来るのは3年ぶりの来年の3月の休暇があるからである。後5か月だ。生き続け、歩き続け、走り続け、祈り続ける。愛し続けることも忘れなく。

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