2022年11月16日水曜日

口がなかったら

 


悪口を言い歩く者は秘密をもらす。誠実な人は事を秘めておく。(箴言11:13

 


人間に言葉がなかったら、口や舌のように話す機能がなかったらどうなっただろうか?おそらく今よりは半分は静かになっただろう。少なくとも、偽証、デマ、批判、非難、誹謗、中傷謀略などはなかったかも。あるいはその代わりに他の機能が発達し、または発明してもっとひどくなったかもしれない。人間はそういう存在であるからだ。誉め言葉よりは悪口のほうを好み、それを自然に言いふらすからだ。そのために平和は来ない。人間が生きている内には来ないだろう。また維持も出来ない。すぐ壊れてしまう。そもそも人間はそう存在である。この罪深い人間の実態を知った上で自分を変えて行くことが重要である。

だから毎日のように罪深い自分の存在を悔いて、主に助けを求めて祈り、そして与えられる恵みによって生かされている。ここに希望があり、だから勇気を得て元気よく生きることができる。

 


いつか自分にも死を迎える日がやって来る。日々の生活の中でよく考えるテーマである。だからつまらない事で苛立たず、怒らず、妬まず、憎まず、欲張らず感謝して生きることにしている。家族を愛し、大事にし、精一杯に応援し、出来る限りサービスを行う。少し疲れても家族のために、彼女たちが喜ぶことを行いながら生きている。でもそれらのことが決して重荷にはならない。自分も楽しんでいるからだ。

 


こうして今日も自分の一日が終わろうとしている。ランチは油うどんを作って一緒に食べた。日曜日には何にも言われなかったけど、今日は美味しいと言われた。自分も美味しいと思った。自分が美味しいと思ったら絶対に美味しいことになる。それだけ自己評価が厳しいからだ。昼過ぎに軽く2時間ほど歩いて来た。秋がだんだん深まっている。遠くに見える船形山。いつかトレラン練習で走りたいと思っているところだ。その日が来るまでまずここで練習に励むことに。そしてピレネー山脈だ。

 


御坊はこぶね教会の教会員たちからの便りも相変わらず届いている。返事を書こう。主の御名によって勇気と希望を与えよう。明日、手術を予定している御坊の兄弟のためにも祈ろう。そして共に生きよう。

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