2022年11月13日日曜日

生きることです

 


七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」(ルカによる福音書10:17-20

 


 

こうして無事に一日が終わろうとしている。奇跡。

奇跡とはあり得ないことが起こった時に言う言葉である。またポジティブな時に用いる

言葉である。辞書では「人の力や自然法則を超えて起こる出来事の事」と定義している。

今の時代に何もなく、無事に一日が終わるのは奇跡と言えるかもしれない。それだけ安全でない世界で我々は生きている。しかし奇跡という言葉よりは恵みの言葉を用いたい。これはキリスト教的な言葉ではあるが、それを越えての適切な表現である。自分の命を守るために自分がやったことはただ食べて、寝て、少し歩いただけである。数え切れない細胞や問題なく内臓が正しく機能するために直接自分が手をかけたことは何一つないからである。すべては命の持ち主である主なる神様の恵みによってこうして一日一日が守られ、導かれている。これを知った人が人生を迷わずに正しく生きることが出来る。そして与えられた命をより大事にして生きるのである。

 

礼拝の後は、ランチを作った。今日は油うどん。自分の中では一番美味しくできたかもしれない。でも二人はコメントなしに黙々と食べるだけ。これも良し!

ランチの後はいつものように週報発送作業をして投函。それから明日からの娘のお弁当のために近くのお店でササミを買ってきて簡単に揚げて食べられるために下準備をして冷蔵庫に入れた。揚げるのは妻の仕事。夕食はまた野菜スープを作った。現在、家族でダイエットを行っている。(自分だけかもしれないが・・・・)。トレラン大会のためにも必要である。とにかく頑張って歩むべし・・・・・生きる。命がある限り生き続ける。どうせ生きるならば楽しく生きるべし。その楽しい人生は自然に訪れるものではない。自分で造り上げるものである。すべてをポジティブに受け止め、進めて行く。失敗を恐れることはない!失敗したらまたやればいい!命がある限り何度でも挑戦すればいい!明日は多賀城キャンパス礼拝だ。感謝して、元気よく歩いて行こう!そして語ろう!命の言葉を!

0 件のコメント:

コメントを投稿

シャワーラン

  あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。(マルコ 13 : 37 )   今日は雨の中を走り続けた。シャワーラン。 22 キロ完走。 雨にぬれてもまだ気持ち良い時期である。 これが一気に寒く感じるようになる。 それを常に意識...