何事も愛をもって行いなさい。(コリントの信徒への手紙一16章14節)
時は過ぎ去り、また金曜日がやってきた。今週は早かったような気がする。こうして同じ24時間、同じ1週間でありながら季節や周りで起きる出来事によって時の流れの感覚が違ってくる。でもやはり早かったかも。
日曜日-礼拝の日、祈りのランニングでK病院を往復。
月曜日-東北学院榴ケ岡高校の宗教改革記念礼拝、帰りに仙台朝市で買物。
火曜日-11月。S長老との長老会の打合せ。9日と14日の東北学院大学での礼拝説教箇所を決める。
水曜日-妻の新しい仕事がスタート、仙台朝市へ、ノアちゃんのシャンプー、カレーを作った。
木曜日-祭日。ランニング14キロ。今度の礼拝説教とみやぎ霊園での納骨式準備など。
金曜日-今日と明日、娘は学校のテスト。説教準備。今度の礼拝前の受洗準備会のための学びの準備。
今日で122日前。娘と楽しみに待っている韓国訪問。
今日も世の中は変わらず動いている。北朝鮮のミサイルによる威嚇行為。それに伴う周辺の国々からの非難。ソウルでの事故からご遺体の無言の帰国、悲しむ遺族。今日も生きるために重い心と疲れが取れない体で再び仕事場へと向かう人々。心の重荷まで入っている重いバックを背負って学校に向かう学生さんたち。小さな子供たちを背負い、あるいは自転車や乳母車に乗せて保育園や幼稚園に向かう若い親たちの心も決して軽くはない。しかし社会はこうして動いている。
生きる人々の心の叫び声は直接聞こえなくても、高い空に向けて叫ばれる彼らの声は結局自分に落ちてくる。誰一人拾ってくれないからだ。それが自分の人生であるからだ。自分の人生は結局、自分しか生きられないからだ。ならば背負って行こう。どうせ自分しか背負えないのならば背負って行こう。そして生きよう。最後まで諦めずに生き続けよう。許された人生を精一杯に生きることだ。そして結果を見よう。精一杯に生きてきた人生がどうなったのかを見てみよう。決して中途半端な人生は生きることがないようにしよう。最善を尽くして生きることだ。
主よ、今日の一日はあなたが許して下さった大切な時間です。与えられた今日の時間を、力をどうかあなたの栄光のために、家族のために、人々のために、そして自分のためにも用いて生きることが出来ますように知恵と力を与えてください。すべての悪しき者から、突然の事故や事件から守ってください。物事を正しく判断し、行うことができますように導いてください。私たちをあなたが与える平安の内に歩ませてください。今日も信仰と希望と愛と感謝と喜びによる一日でありますように、主の御名によって祈ります。
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