2022年11月7日月曜日

日課と感謝


 

十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。(ルカによる福音書2339-43節)

 


今日も与えられた一日に感謝。

まもなく日付は変わる。



主の日の礼拝、長老会、納骨式が無事に終わり感謝。

納骨式には大勢の人々が参加し、共に賛美し、共に祈り、共に恵みに与った。コロナでお茶の会は中止し、

すべてを外で行い、解散した。今は安全を第一にして行うのが重要な時期である。

 

帰りは東北大の青葉山キャンパスが紅葉で綺麗だったので一枚の写真を二人で撮った。人は撮らず自然だけを撮るようになったのは年のせいかも・・・・・・・

 


努力を積み重ねて真面目に働けば必ず成功するとは言えない時代になっている。努力ではなく、新アイディア、普通、人が考えない発想の転換などが価値あり、主な投資の材料になっている。その意味でも

ラッキーな人生ってあるかも知れない。けれども宝くじのようなラッキーな人生ばかり求める人にはそういうチャンスはめったに来ない。与えられた日々の歩みを真面目に生きることがなぜ大事かというとラッキーな人生はそこから生まれるからだ。そして生きる意味をラッキーな人生に置くのではなく、毎日、地味に行う日課、仕事の中から自分が生かされ、生きていると、それが大事であると信じて歩むことが価値ある人生だと思うことが重要である。決して他人と比べることなく、今の自分を大事にし、大事な自分の人生を人ではなく、自分を創造し、導く創造主に委ね、そして頼って生きることが知恵ある人の人生であることを知って生きることである。

 


只今、日付が変わった。時は待ってくれない。流れるものだ。

 


今日は久々に二人でドライブだ。小安峡、川原毛地獄、鳴子峡などを巡る。教会の温泉仲間とは行ったことがあるが、妻とは行ったことがない。妻は東北に来て旅行は行ってないかも・・・秋保は行ったな・・

水曜日はキャンパス礼拝だ。今週も主の導きと支えを信じて頑張って生きることである。

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