わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。(エフェソの信徒への手紙6:12)
For we wrestle not against flesh and blood,
but against principalities, against powers, against the rulers of the darkness
of this world, against spiritual wickedness in high places.(EPHESIANS 6:12)
Denn wir haben
nicht mit Fleisch und Blut zu kämpfen, sondern mit Fürsten und Gewaltigen,
nämlich mit den Herren der Welt, die in der Finsternis dieser Welt herrschen,
mit den bösen Geistern unter dem Himmel.(EPHESER 6:12)
ロシアとウクライナとの戦争は1年を過ぎている。
戦争と紛争は絶えずこの地球上で行われいる。昔も今も、平和な時はなかった。これが神様の前に罪を犯して神様から離れた罪ある人間の姿である。だからいくら平和を叫んでも平和は訪れて来ない。これが現実である。だからといって平和を止めるか。そうではない。力のある限り平和を訴え、そして平和の道をしめし、さらに人々が平和の道へと進んで行くべきである。しかし人々はその平和の道へと進んで行かない。なぜなら平和の道へと進むためには自己犠牲が要求されるからだ。人々は犠牲を払わない。仮にリスクがあるとしても人々のための犠牲なしの自己満足の道へと進むことを好む。これが我々人間の神様から離れた姿である。
この世の中で一番恐ろしい生き物は獅子やオオカミやクマやサメなどではなく、人間である。人間は一番残酷で、恐ろしい存在である。親が子を殺す。子が親を殺す。夫が妻を殺す。妻が夫を殺す。叔父が、叔母が孫を殺す、孫が叔父や叔母を殺す。友達が友達を殺す。人が人を殺す。こういった生き物の世界はまれである。野生の世界でもめったに見られない現象である。すべては神様から離れた時から始まったのである。だから解決策は簡単である。神様に立ち帰ることである。でも立ち帰らない。それで平和は来ることなく、今のまま人間は生きて死ぬ。その意味でもイエス・キリストの到来はどれだけありがたいことか?本当に感謝である。イエス・キリストがこういう罪深い人間のために受けられた侮辱、苦しみ、痛みを覚えながら今の受難節を過ごしている。感謝でしかない。感謝、感謝、そして感謝である。
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