どうか、主の栄光がとこしえに続くように。主が御自分の業を喜び祝われるように。
主が地を見渡されれば地は震え/山に触れられれば山は煙を上げる。
命ある限り、わたしは主に向かって歌い/長らえる限り、わたしの神にほめ歌をうたおう。
どうか、わたしの歌が御心にかなうように。わたしは主によって喜び祝う。
どうか、罪ある者がこの地からすべてうせ/主に逆らう者がもはや跡を絶つように。わたしの魂よ、主をたたえよ。ハレルヤ。(詩編104編31-35節)
人は人生の目的を探す旅をする。
なかには死ぬまでそれを見つけずこの世を去る人々もいる。
あるいは早くも人生の目的を知ったのにそれを無視して生きる人々もいる。
それがキリスト者である。
人生の目的が明確に示されたにもかかわらずそれを目指して生きるのではなく、別の目的を探し求めながら生きるのである。多くの場合、それはこの世の人々が求めている目的である。
長寿、富、権力、地位、健康・・・・
これらの共通点はこの中で一つも永遠に続くものはないことである。死と共に消え去る。
流れる時と共に過ぎ去るものばかりである。
それでも人々はそれらを追い求めて生きている。答えが分かっているのにも関わらず手に入れようとして必死に頑張っている。さらに命までかけて獲得しようとする。人間の愚かさはここにある。その欲が人生を駄目にするのである。これが肉の人の有様である。しかしキリスト者は霊的な存在である。霊的な人は霊の糧で生きる人である。常にみ言葉と祈りの中で生きるのである。私たちが目指すのはただ一つのみ、それは神様の栄光である。命ある限り神様の栄光のために生きる存在である。
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