目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る/天地を造られた主のもとから。どうか、主があなたを助けて/足がよろめかないようにし/まどろむことなく見守ってくださるように。見よ、イスラエルを見守る方は/まどろむことなく、眠ることもない。主はあなたを見守る方/あなたを覆う陰、あなたの右にいます方。昼、太陽はあなたを撃つことがなく/夜、月もあなたを撃つことがない。主がすべての災いを遠ざけて/あなたを見守り/あなたの魂を見守ってくださるように。あなたの出で立つのも帰るのも/主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。(詩編121編)
人間は助けが必要な存在である。
人は一人では生きられない存在である。
だから神様はアダムにエバを与えてくださった。
人が人を助けることは当たり前のことであり、自然なことである。
しかし人はそれを拒み、利己的な存在へと変わってしまった。
神様の前で罪を犯した後、人が人に対して犯した最初の罪は自分の過ちを相手のせいにしたことである。自分を守るために相手を犠牲にするようになったのである。人間の不幸はそこから始まったと言える。利己的な人間の姿はちっとも変わらない。変わるところかますますひどくなっている。聖書は繰り返して相手のための犠牲を要求する。アガペーの愛を要求する。それが神様の御心であるならばあれこれ考える必要はない。それは絶対的なことであるので従うべきである。神様を愛し、隣人を自分自身のように愛することだ。
毎日のように変わる世界である。それも急速に変わる。昨日の真理がもはや真理でなくなる。新たな研究によって昨日までの論理がゴミ箱入りになる。次々と新しいものが出てくる。それに追いつかない人々が多い。その変化の中で唯一変わらないことがある。神様の愛である。わたしたちに対する神様の愛は天地創造以来変わることなく未だに注がれている。いつも見守る神様の恵みに感謝して今日の人生を生きるべきである。主が共にいるインマヌエルの信仰こそが私たちを守られるカギとなる。そして思い悩むことなく、真の平安の中で過ごせる道である。主の助けによって今日も与えられた道を歩み続ける。
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