2023年4月7日金曜日

共にいます方

 


万軍の主はわたしたちと共にいます。ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。(詩編46:12

The LORD of hosts is with us; the God of Jacob is our refuge. Selah.PSALMS 46:11

 


誰かと共にいることで評価されることが多い。悪人と共にいると悪人と見られる。けれども善人と共にいると彼が(彼女が)なんで善人と共にいるのかと不思議な目で見られる。決して善人で見えることはない。これがこの世の人々の見方と見解と判断である。

 

しかしキリスト者はそういうこの世の人々の判断に惑わされなくても良い。むしろ無視すべきである。なぜなら彼らの判断基準はあくまでも罪人の判断基準であり、神様の御心とは正反対の価値観からの判断であるからだ。そういう意味でこの世の判断を無視しても良い。

 

しかし無視できないのは聖書の見解、神様の見方、神様の判断基準である。この世の判断基準とはまったく異なる判断基準が提起されるからだ。それは信仰である。行いではなく、

信仰である。人々は人の行動を見て判断するが、神様は心を見て判断なさる方である。その意味では神様の方が100万倍以上の厳しい見方で判断するかもしれない。でもここに福音が隠されている。人間の力では決して善い良い人にはなれない。神様の基準に合格できる人はこの地球上に一人もいない。つまり、自力で救われる人は一人もいないことである。

 


だから別の道を開いて下さった。御子イエス・キリストを信じる信仰によってのみ救いが与えられる道。神様に認められる道。神様の基準に合格する道。それがイエス・キリストを信じる信仰である。ここに本当の福音がある。だから喜び、感謝し、神様の栄光のために生きることが出来るのである。私たちが生きる目的は私たちを救ってくださった主なる神様の栄光のためである。今日も主の栄光のために精一杯に生きる。ハレルヤ!生きる。

0 件のコメント:

コメントを投稿

一日がスタートする時間

  冬の朝の静けさに包まれて、私は大年寺階段への散歩に出かけました。まだ誰もいない早朝、冷たい空気が頬を撫でる中、一段一段、階段を上っていきました。枯れ枝の向こうには、オレンジ色に染まった空が広がり、街並みが徐々に目覚めていく様子が見えました。   大学キャンパスを通り抜...