主がシオンの捕われ人を連れ帰られると聞いて/わたしたちは夢を見ている人のようになった。そのときには、わたしたちの口に笑いが/舌に喜びの歌が満ちるであろう。そのときには、国々も言うであろう/「主はこの人々に、大きな業を成し遂げられた」と。主よ、わたしたちのために/大きな業を成し遂げてください。わたしたちは喜び祝うでしょう。(詩編126:1-3)
2時半起床。祈り、掃除、散歩。
今日の日課が始まる。
日課を楽しむことが重要である。
変化のないことで不満をもち、つまらない人生だと考えるのではなく、どれだけこれが恵みの時で、祝福の時であるかをよく考えて感謝し、その感謝を神様に対して、そして周りの人々の対する愛と奉仕で現すことである。
今も戦場の中で一日一日が奇跡のように考えながら生きている人々がいる。あるいは食べ物がなく、最後の食事を終えて涙を流す人々いる。医師から告知を受けて残り僅かな日を大事にして生きている人々がいる。生きる希望を失い、死を考える人々がいる。この世界には実に多くの人がそれぞれ異なる考えをもって今日という新しい日を迎え、過ごすことになる。
生きると考える人は生きる道が開かれる。
死ぬと考える人は死ぬ道が開かれる。
生きるか死ぬか、自分次第だが・・・・生きて後悔することはない。しかし死んだら後悔するだろう(?)本人は分からなくても周りはそういうに違いない。案外この世界は壊れたと思いがちだが、しかし生きる価値はある世界である。なぜならこの世界を造ったのは他ではなく、主なる神様であるからだ。人間の不従順によって壊れたけれども主なる神様は回復をなさる方である。決して見捨てず、回復なさるだろう。それを地上の教会を通して行うことをお決めになったのである。どれだけ光栄なことだろう。しかし多くのキリスト者はその事実を知らない。繰り返して聖書が教えていてもきかない。どうしようもない。気づいた者が行うしかない。神様は大勢の人々を求めない。一人の正しい人を通しても世界を回復することは出来るからだ。今日も生きよう。主のために、人々のために精一杯に生きるのだ。
ハレルヤ!
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