【灯をともす:四旬節の旅路】母を託す愛 ―― 十字架の下で生まれた新しい家族
1. 聖書の場面:絶望の只中で紡がれた「絆」
「イエスは、母とそのそばに立っている愛する弟子とを見て、母に言われた。 『婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。』 それから、弟子に言われた。
『御覧なさい。あなたの母です。』」 (ヨハネ 19:26–27)
十字架の苦しみが極みに達しようとするその時、主イエスのまなざしは、足元で涙に暮れる母マリアと、沈痛な面持ちで立つ愛する弟子ヨハネに向けられました。
呼吸することさえ困難な状況の中で、主はご自分の痛みよりも、残される母の悲しみとこれからの歩みを思い、最後の力を振り絞って言葉を発せられました。
血縁を超え、主は母を弟子に託し、弟子を母に託されました。 最も残酷な場所で、主は「新しい家族」という愛の形を完成させようとされたのです。
2. キリスト者への教訓:教会の本質は「家族」であること
私たちは時に、教会を組織や集団として捉えてしまいます。 しかし、十字架の足元で生まれた「母と子」の関係は、教会の本質が「キリストの血によって結ばれた家族」であることを示しています。
主がマリアとヨハネを結び合わせられたように、私たちもまた、主の十字架を通して出会う人々に対して、実の家族以上の思いやりと責任をもって生きるよう招かれています。
それは単なる好意や友情ではなく、互いの人生を「引き受ける」という覚悟です。 四旬節の旅路の中で、私たちは隣人を「他人」としてではなく、主から託された「家族」として見ているか、自らに問いかけたいと思います。
3. 現代へのメッセージ:孤立の時代に「託し、託される」勇気
2026年の今、社会は効率と自立を重んじるあまり、人間関係はしばしば「契約」や「利害」で測られがちです。 家族の形も多様化し、多くの人が「迷惑をかけたくない」という思いから、孤独という十字架を一人で背負っています。
しかし、主イエスは死の直前まで、誰かを誰かに託されました。 自分一人で生き抜くことだけが強さではありません。
「あなたが必要です」 「あなたを家族として受け入れます」
そう言い合える弱さの中にこそ、神の国の温もりが宿ります。 あなたが誰かを支えるとき、あるいは誰かに助けを求めるとき、そこには十字架の主が意図された「新しい絆」が生まれています。
黙想のひととき
今日、あなたの周りで「主から託されている」と感じる人は誰でしょう。 あるいは、あなたが心を開き、「家族」として寄り添うべき人は誰でしょう。
主が十字架の下で結び合わせてくださった新しい家族のように、 私たちもまた、主にあって互いを受け入れ、支え合いながら歩む者でありたいと願います。
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