若いときにも老いた今も、わたしは見ていない/主に従う人が捨てられ/子孫がパンを乞うのを。(詩編37:25)
I have been
young, and now am old; yet have I not seen the righteous forsaken, nor his seed
begging bread.(PSALMS
37:25)
今日は9時前にランニングを実施。21キロのランニングだった。しんどいが達成感が湧いて来る。祈りながら走り続けることは大きな喜びである。そして走れる力と忍耐を与えてくれる。今日は夜中に山形市までの祈りの旅を行う。昨年は少し遠いルートを使って歩いたが今日は70キロのルートを使って歩いて行く。
今朝は娘から無茶なことはしないように、と注意された。家族を養う家長としての責任があるからだ。信仰の薄い者よ、と主イエスから言われる。何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと思い悩むな、これらのものは皆加えて与えられる。何よりもまず神の国と神の義を求めなさい、と先週礼拝説教で話したばかりだったが・・・・・・
今日は速達で手紙が届いた。僕の山形までの祈りの旅のことを心配し、励ますための手紙だった。短歌を添えてくださった。感謝。
今夜、日付が変わる0時に出発。その前にノアちゃんの散歩とゴミ出しを済ませておく。
やることはしっかりやってから自分の道を進むべし・・・・・
来年のサンティアゴ祈りの旅の日程やルートも決まっている。いつもうちでは早すぎると言われるがそれが楽しみとなる。すべてに感謝して、楽しく、喜びをもって歩み続ける。
すべての事柄のベースになるのはイエス・キリストに対する信仰である。これなしの計画や行いや楽しみは無意味である。だから生きるにしても、死ぬにしても主の栄光のために!!
だからこの世のことで惑わされず、急な周りの変化や出来事にも対応できるのである。自分が何で生きるか?何のために生きているのか?誰のために生きるのか?これらの根本的な問いに対してはっきりと答えられるからこそ思い悩まず、不安も抱えず感謝して生きることが出来るのである。この人生の基礎がしっかりできていればすべては問題なし!!!
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