わたしが心に悪事を見ているなら/主は聞いてくださらないでしょう。しかし、神はわたしの祈る声に耳を傾け/聞き入れてくださいました。(詩編66:18-19)
If I regard
iniquity in my heart, the Lord will not hear me:But verily God hath heard me;
he hath attended to the voice of my prayer.(PSALMS 66:18-19)
生き物の中で祈るのは人間だけである。少なくとも自分はそのように考えている。
しかし大事なのは祈ることができる人間ではなく、その祈りを聞いて下さる神様である。
独り言で終わる祈りではなく、返事があり、応答がある祈り、確かな対象がいて聞き入れられる祈りが重要である。聖書は繰り返して人間に祈ることを勧め、そして祈りの対象となる主なる神様を教えている。
しかし大切なのは聞き入れられるための祈りはどういうものかを正しく知って祈ることである。まるで空を打つような祈りではなく、ピンポン玉のように跳ね返される祈りである。
そのために行うべき最初の段階は悔い改めである。なぜなら神様は罪人の祈りを聞いて下さらないからだ。聖書はそれが重要であると教えている。悔い改めて清められた心で祈ることが大切である。
絶えず私たちは自分の心の状態を確認すべきである。人を憎み、妬み、悪事を働いていないのかを確認することである。絶えず主に向かっているのかを確認することである。主の助けと導きを願い求める心なのかが重要である。神様はご自分を探し求める者にご自分を表す方である。ご自分を切に求める者を主は探しておられる。
この世は神様から私たちの関心を奪い、むなしいものに向けさせようとして働いている。サタンの働きである。私たちは毎朝、目が覚めるとまず神の国と神の義を求めて祈り、主を賛美し、主の栄光のために生きることが出来るように聖霊の助けと導きを祈り続けることである。そのために毎日聖書を読み、祈り続けることである。他の方法はない。これが最善で最高の神様に近づける道であり、私たちが誘惑に陥ることなく、信仰によって生きられるカギである。今日も最後まで主の栄光のために精一杯に生きることである。ハレルヤ!生きる。
今日も21キロを走ることが出来て感謝。25キロも自由に走られるようになるまで走り続ける。諦めずに走り続け、祈り続ける。
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