2023年6月24日土曜日

ベテルに上ろう

 


さあ、これからベテルに上ろう。わたしはその地に、苦難の時わたしに答え、旅の間わたしと共にいてくださった神のために祭壇を造る。」(創世記35:3

And let us arise, and go up to Bethel; and I will make there an altar unto God, who answered me in the day of my distress, and was with me in the way which I went.(GENESIS 35:3)

 


辛かった過去は早く忘れ去り、幸せを望みながら明日だけを考えて生きるのが賢明であると人々は言う。しかし、聖書は過去を忘れるな!と繰り返して教えている。そして実際に聖書の信仰者たちは過去の恵みを覚えて生き続ける。過去の恵みは決して忘れてはならないためである。しかし人々は過去の恵みをすぐ忘れて今の現状況だけに捉えられて生きる場合が多い。詩編の中の多くのダビデの詩はすべてが過去の苦難と恵みを思い出して書かれた言葉である。なぜなら過去の神様は、今の神様であり、将来の神様であるからだ。苦しみの中から救って下さった神は、これからも助け、導いてくださることを信じているという信仰告白である。神様は昨日も、今日も、そして明日も変わらない方であると聖書は教えている。変わるのは人間だけである。

 


変わることの多い人間であるが、出来るだけ変わらないルーティンワークを行いながら生きようとしている。ほぼ毎日のように行うのは聖書と祈りの生活、ノアちゃんとの散歩、ランニング、料理、掃除、説教準備、読書、勉強など・・・・・生きている限り休まないルーティンワークである。

 


この世はいつか必ず離れる場所である。だから未練なしの人生を生きるべし。残しこともないようにしよう。常に神の国に希望をおいて歩み続ける。人に頼らず、主に頼って生きる。

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