大年寺255の階段に上りと「前進」という大きな石に刻まれた言葉が目に入る。
大好きな言葉である。
男と女に創造された。創造の日に、彼らを祝福されて、人と名付けられた。(創世記5:2)
Male and female
created he them; and blessed them, and called their name Adam, in the day when
they were created.(GENESIS 5:2)
今日も新しい命が与えられた。感謝。生きるための命である。
神様が天地を創造された後、生き物に与えたのは祝福である。
最初に語られた言葉は繁栄と成長である。
しかしそれが呪いと衰退と絶望へ変わってしまったのである。
人間の罪が原因である。
人間の高慢さと欲望が招いた不幸である。
そして、今、人々は満足しない人生を生きている。
肉の欲を満足させることは不可能である。
なぜなら肉の欲は本来満足できないものであるからだ。
穴が空いているバケツに水を灌ぐようなものだ。
その穴は主によってのみ埋めることが出来ない穴である。
満足できない人生のために人々は朝早くから頑張って生きている。
それらの姿を見ている主は立ち帰れ!と教会を通して、キリスト者を通して叫んでいる。
しかし教会も、キリスト者もその神様の御声のための役割を忘れてこの世の人々と同じく肉のために生きている。誰一人その御心を語る人がいない・・・・まさしく絶望な状況の中で生きている人々、教会、キリスト者・・・・・・・
目覚めよう!その神の御声に耳を傾けよう!そして語り続けよう!そして生きよう!
希望がある限り、人は生きることが出来る。
死ぬのは希望がないからである。
生きるための希望を主は与えて下さった。
信じて生きよう!
そして自分の道を歩こう!
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