2025年1月1日水曜日

聞くことにより始まる信仰

 


The Gift of Salvation: Hearing and Believing

救いの贈り物:聞き、信じること

 

信仰の始まり

「実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」(ローマ10:17)この言葉は、私たちの信仰がどのように育まれるかを示しています。口でイエスを主と告白し、心で神がイエスを死者の中から復活させたと信じるなら、私たちは救われるのです(ローマ10:9)。この信仰の力を実感した出来事があります。

 

病床での求道と救い

末期がんでホスピス病棟にいた70代の女性に対して、約1か月間病室で求道者会を持ちました。最後に伝えた御言葉がローマの信徒への手紙109節でした。彼女は「信じて、口で告白していいですね?」と尋ねました。それが私が聞いた最後の言葉でした。一週間後、彼女は病床洗礼を受けて天に召されました。約70年間キリストなしの人生を生きてきた彼女が、最後の一か月で天国の市民となったのです。彼女は、数億円の宝くじ当選者よりもはるかに幸運な人でした。

 

このような救いの瞬間は、聖書にも見られます。主イエスと一緒に十字架に付けられていた右側の強盗は、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言いました。するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と答えました。彼は人類史上、最も短い時間で救いを得た人でした。

 

信仰の選択と神の恵み

右側の強盗は、十字架の上で主イエスに対する侮辱の言葉を聞いていたと思います。その中で、彼はユダヤ人の王、メシアとしてのイエスに耳を傾けました。彼は自分の命の灯が消えそうになる中で、最後の賭けをしました。それは、隣にいるイエスを真の救い主として信じ受け入れることでした。彼は救いを求め、結果として天国の市民権を得たのです。

 

この場面を読んで、多くの人は「最後に救われればいい」と考えがちですが、聖書は救いが自分で選ぶものではないと教えています。十字架の強盗も自分で選んで救いを得たのではなく、彼は以前から主イエスに関する噂を聞いていたはずです。彼は奇跡を起こすイエスに出会うタイミングがなかったか、必要性を感じなかったのかもしれません。しかし、彼が主イエスに出会ったのは人生の最後の時でした。

 

神の恵みと救いの訪れ

まったく思いもつかない時や方法で救いは訪れます。それは神の恵みによって与えられるものだからです。右側の強盗は、聞いて信じ、永遠の命を得た幸運な人です。この出来事は、私たちにとっても希望のメッセージです。どんな状況にあっても、神は私たちを招き、救いを与えてくださるのです。私たちもまた、信仰を持って神の言葉に耳を傾け、救いを求める者でありたいと思います。

 

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