"The
Priceless Gospel - Missionaries and the True Value of Faith"
『計り知れない福音の価値 - 宣教師たちが示す信仰の真価』
銀二十枚でイシュマエル人に売ったので、彼らはヨセフをエジプトに連れて行ってしまった。(創世記37:28)/ 「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」と言った。そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。(マタイ26:15)
世界の危険地域で活動する救援要員や宣教師たちの身代金が「0円」という事実は、深い象徴的な意味を持っています。この一見矛盾する状況―命を危険にさらしながら、その命に世俗的な価値を置かないという姿勢―は、キリストの福音の本質を鮮やかに表しています。
主イエスの大宣教命令「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」は、
今日も世界中の宣教師たちを動かし続けています。彼らは見知らぬ土地で、言葉も文化も異なる人々に福音を伝えるという困難な使命に身を投じています。その働きの成果は、言葉による説得ではなく、日々の献身的な愛の実践を通して実を結びます。
多くの宣教地で、人々の心が開かれるのは、宣教師たちの語る言葉よりも、その生き方を通して示されるキリストの愛を目撃した時です。この過程には、計り知れない祈りと忍耐が必要とされます。時には命を捧げる覚悟さえ求められ、実際に多くの殉教者を生んできました。
しかし、歴史は彼らの犠牲が決して無駄ではなかったことを証明しています。日本を含む世界各地で流された殉教者の血は、福音の種となって、後の世代に実を結んでいます。この世では「価値なし」と見なされる彼らの働きは、神の国においては最も尊い奉仕として認められ、「命の冠」が約束されているのです。
詩編の言葉「涙と共に種を蒔く人は喜びの歌と共に刈り入れる」は、この働きの本質を美しく表現しています。福音の種を蒔くことは、確かに涙と苦労を伴います。しかし、それは永遠の価値を持つ働きであり、必ず喜びの収穫へとつながるのです。
真のキリスト者の姿勢は、自分の救いに満足することではありません。他者の救いのために自らを捧げ、福音を伝え続けることこそが、キリストの弟子としての本質的な使命なのです。今日も世界中で続けられている命がけの宣教の業は、この永遠の真理を力強く証ししているのです。
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