2025年1月19日日曜日

救いを第一に

 


"The Priority of Salvation - Examining Our Christian Focus"

『救いを第一に - キリスト者の優先順位を問う』

 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。(ヨハネ3:16-17

 

真のキリスト者としての生き方を問う時、私たちは往々にして本質的な問いを見失いがちです。多くの人々は、知人の困難な状況に心を痛め、その環境の改善を願って祈ることはあっても、その人の永遠の魂の救いのために真摯に執り成すことは稀です。この現実は、現代のキリスト教会が直面する深刻な課題を浮き彫りにしています。

 イエス・キリストの十字架上の祈りは、私たちに重要な視点を示しています。主は、人々の物質的な豊かさや健康のためではなく、魂の救いのために祈られました。これは、永遠の命に関わる事柄が、一時的な地上の幸せよりも比較にならないほど重要だからです。たとえこの世のすべてを手に入れたとしても、救いを欠く人生には究極的な意味が見出せないのです。

 使徒ペトロは「愛する人たち、あなたがたに勧めます。いわば旅人であり、仮住まいの身なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい」と私たちに呼びかけています。この言葉は、私たちがこの世での一時的な生活に過度に執着することへの警告であり、永遠の視点を持って生きることの重要性を強調しています。

 イエスの「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」という言葉は、キリスト者の生きる優先順位を明確に示しています。これは日常生活の必要を軽視するものではなく、むしろそれらを適切な文脈の中に位置づける知恵を与えているのです。

 真のキリスト者性は、イエス・キリストを救い主として受け入れ、永遠の命と復活の希望を心から喜び、感謝できるかどうかにかかっています。それは単なる教会出席や宗教的な行為ではなく、魂の深い次元での確信と応答を意味します。

 この問いかけは、私たち一人一人の信仰の本質を吟味する機会となります。私たちは、この世的な成功や快適さを追求することに重点を置いているでしょうか、それとも神の国の価値観に基づいて生きているでしょうか。真のキリスト者としての私たちの立ち位置が、今、問われているのです。

 

 

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