2025年1月4日土曜日

身分をわきまえる

 


Aiming for Beautiful Faith: Part 3

美しい信仰を目指して③

神の創造と人の使命

「主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。」(創世記2:15)この聖句は、神が人間に与えた本来の任務と役割を示しています。この世に存在するすべてのものには、それぞれの役割があります。自分の役割を覚え、一生懸命に働く姿は美しいものです。しかし、多くの人々は自分の持ち場を離れ、さまよい、居るべき場所を離れているため、さまざまな問題が生じています。

 

与えられた使命を全うする

政治家は政治家として、教師は教師として、親は親として、学生は学生として、それぞれの役割を果たすことが大切です。人は最初から働くように創造され、他の被造物を支配し、守ることが使命として与えられています。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」(創世記1:26)この言葉は、私たちが神のかたちに創造されたことを示しています。「耕す」というヘブライ語「アバド」は、主人に仕える行為を意味します。人が神にかたどって造られたのも、そのためです。神はアダムにエデンの園を耕し、守るように命じました。この「耕す」という言葉から「礼拝」という概念が派生しました。つまり、与えられた使命を誠実に励むことが神に仕えることになるのです。アダムが生物たちに名前を付けることは、神の統治権を行使する代表的な例です。名前を付ける行為は、その存在を意味し、実在化させる行為として捉えられていました。名前を付けることは、その対象の運命を守り、導く責任を持つことを意味します。

 

祝福の使命とその延長

アブラハムには「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように」という使命が与えられました。アブラハムは自分のために存在するのではなく、周囲の民族に祝福を与えるために選ばれたのです。古代において、神の祝福を与えるのは祭司長の仕事でした。このため、アブラハムの子孫であるイスラエルが神の祭司長の民として選ばれ、使命が与えられたのです。使命と共に祝福の約束が与えられるのは、神の恵みの配慮です。アダムに他の被造物を支配し、守る使命が与えられる際には、神の祝福が先行していました。そして、その使命を全うする力も与えられています。人は自分の使命を正しく知り、その使命のために生きるとき、真の価値ある人生を感じ、まっすぐに歩むことができるのです。

 

使命を持って生きる

キリスト者は使命のために生き、そして使命のために死ぬ人です。私たちが今いる場所で神に仕え、周りの人々が私たちを通して真の救いに与るように祈りながら生きることが求められています。私たちを通して命の源であるキリストが宣べ伝えられることを願いながら生きることが、真の意味のある人生を形成します。私たちの信仰は、与えられた使命を全うすることによって美しく実を結びます。神の恵みを受け、使命を果たすことで、私たちの人生はより豊かで意味のあるものとなるのです。

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