2025年1月15日水曜日

神の計画を知って生きる

 


"Through Light and Darkness - God's Purpose in Life's Seasons"

『昼と夜を通して - 人生の季節における神の目的』

 炎の蛇とさそりのいる、水のない乾いた、広くて恐ろしい荒れ野を行かせ、硬い岩から水を湧き出させ、あなたの先祖が味わったことのないマナを荒れ野で食べさせてくださった。それは、あなたを苦しめて試し、ついには幸福にするためであった。(申命記8:15-16)

 

昼と夜を創造された神は、私たちの人生にも明暗両面の季節を与えられました。人生には、純粋な幸福という永遠の昼も、絶え間ない苦難という永続的な夜も存在しません。この両方の経験が人生という織物を紡ぎ出すのです。しかし、人間の性質として、私たちは往々にして自分の人生を「永遠の夜」として捉えがちです。それは、私たちが持っているものよりも欠けているものに、喜びよりも苦しみに目を向けやすい傾向があるためです。

 

聖書に登場する信仰者たちの生涯を見ると、彼らもまた様々な苦難を経験しています。しかし、私たちと彼らとの決定的な違いは、その苦難に明確な目的が存在したことです。使徒ヤコブは、この真理について次のように述べています。「いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。信仰が試されることで忍耐が生じ...完全で申し分なく、何一つ欠けたところのない人になります。」

 

このように、神が私たちの人生における様々な苦難を許されるのは、究極的には私たちの益となるためです。それは私たちを真の幸福へと導き、救いの道から逸れることなく、本物の信仰をもって人生を全うできるようにするためなのです。苦難そのものが目的なのではなく、より深い喜びと信仰を育むための手段として許されているのです。

 

ヨセフの物語は、この真理を見事に例証しています。彼の受けた苦難は、最終的にイスラエルの民の救済という大きな目的のために用いられました。同様に、私たちの経験する試練にも神の深い目的が込められているのです。イエスは「あなたがたには世で苦難がある。しかし勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」と約束されました。

 

人生における最も本質的な問いは、救いに関するものです。永遠の命を持っているか、天の御国に導かれるのか―これらが最も重要な課題です。イエス・キリストの十字架の死と復活は、まさにこれらの問いに対する神の決定的な答えとなりました。

 

主は「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」と約束されています。この約束に信頼して、昼も夜も、喜びも試練も、すべてを神の計画の一部として受け止め、歩んでいくことが求められているのです。

 

 

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