"Beyond
Survival - The Ethics of Community in Crisis"
『生存を超えて - 危機における共同体のあり方』
私たちが愛するのは、神がまず私たちを愛して下さったからです。「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です。
(ヨハネ一4:19-21)
地球の運命を賭けた究極の選択という仮想シナリオは、私たちの社会が持つ価値観を鮮明に映し出す
鏡となります。10人だけが生き残れるカプセルに11人が集まったという設定は、現代社会が直面する根本的な倫理的ジレンマを象徴しています。
子どもたちの反応は、私たちの社会の希望を示すものでした。特に注目すべきは、どのグループも障がい者を除外しなかったという事実です。これは、現代社会で往々にして見られる「強者のみが生き残る」という考え方に対する、無意識の抵抗を示しています。子どもたちは直感的に、真の共同体とは弱者を中心に据え、互いに支え合う社会であることを理解していたのです。
しかし、この理想を人間の力のみで実現しようとする試みには重大な問題が潜んでいます。歴史は、
神なき理想郷の建設が必ず失敗に終わることを繰り返し示してきました。今日も続く戦争、差別、暴力、家族の崩壊は、人間の力だけでは真の平和を築けないことの証です。
真の解決は、イエス・キリストの十字架が示す道にあります。それは単なる理想や理論ではなく、具体的な犠牲を伴う愛(アガペー)の実践です。この愛は、強者が弱者を支配する関係ではなく、互いに仕え合う関係を創り出します。
教会共同体は、このような犠牲的愛に基づく新しい社会の雛形となるべきです。それは、効率や能力だけを基準とする世界の価値観とは異なる、神の国の価値観を体現する場となるのです。この8月は、平和について深く考える機会となりますが、それは単なる戦争の不在ではなく、キリストの十字架によって示された真の平和、すなわち神と人、人と人との真の和解を意味することを覚えたいのです。
この視点から見るとき、生存ゲームの答えは、誰を除外するかではなく、いかにして全員を包摂する新しい方法を見出すかという創造的な問いへと変わります。それこそが、キリストの教会が世界に示すべき答えなのです。
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