「あなたがたは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」(コリントの信徒への手紙一 10:31)
昨晩は20時頃に就寝。しかし22時55分に目が覚め、そのまま起床。会堂で祈りを捧げた後、ノアちゃんと散歩に出かけました。帰宅後は教会の仕事に取り組み、日付が変わる頃まで作業を続け、2時に再び就寝。そして5時半頃に起床。聖書を朗読し、ランニングへ。今日のランニングは6時29分にスタートしました。まだ夜明け前の暗闇の中、広瀬川沿いを走り、太白大橋までのコースを選びました。距離を伸ばすために自分で設計したコースを走り、結果は28キロ完走。タイムは2時間29分、1キロあたり5分15秒のペース。このペースならフルマラソンを4時間以内で完走できる計算です。大会に出る予定はありませんが、日々のランニングが大会並みの成果を出せていることに満足しています。自己満足でも、それで良し!と心に言い聞かせています。
「わたしは命がけで走るべき道のりを走り終え、主イエスからいただいた務め、すなわち神の恵みの福音を証しする務めを果たすことができるなら、自分の命は少しも惜しいとは思いません。」(使徒言行録 20:24)
この時期、朝起きると室内の気温は9度ほど。暖房は使わず、昔からの習慣で冬は室内でもダウンジャケットを着て過ごしています。そのおかげか、最近話題のヒートショックにはなりにくいのかもしれません。しかし、油断は禁物!と自分に言い聞かせています。足元には小さな電気ストーブがあり、それで十分。寒ければ着込めば良い、という考えです。
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」(ヨハネによる福音書 15:5)
こうして、今日も私の一日が始まりました。
「頑張って生きる」のではなく、「生きているから頑張る」。
「生きるために食べる」のではなく、「生きているから食べる」。
「愛するために生きる」のではなく、「生きているから愛する」。
命そのものが基準にならなければ、人はしばしばつまずきます。本当に大切なことを見失い、迷い続けることも多いでしょう。だからこそ、自分が何を基準に生きるのかが、人生において最も重要な問いとなります。この基準が定まらない限り、人は迷い、揺れ動き続けるのです。
私にとっての基準は明確です。それはまず主の栄光のために、家族のために、教会のために生きること。この基準に従って物事を考え、判断し、進めていくことを心がけています。だからこそ、今日も最後まで主の栄光のために精一杯生きるべきだと自分に言い聞かせています。
「今日も命が与えられている以上、前進あるのみ」。
この思いを胸に、日々を歩んでいきます。もちろん毎日走りながら教会の皆さんのために、そのご家族のためにも祈り続けています。
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