「Journey
to God's Table: From Wilderness to Welcome」
「神の食卓への旅路 ―― 荒野から歓待の場へ」
わたしを苦しめる者を前にしても、あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ、わたしの杯を溢れさせてくださる。(詩編23:5)
詩編23編5節は、荒野の遊牧文化に根ざした深い歓待の精神を通して、神様の愛を鮮やかに描き出しています。荒野という過酷な環境の中で、旅人を迎え入れることは単なるもてなしを超えた、いのちを守る神聖な行為でした。
古代中東の歓待の作法には、深い意味が込められています。まず頭に香油を注ぐ行為は、単なる歓迎の印以上の意味がありました。それは旅の疲れを癒し、新しい命の象徴としての役割を果たしました。次いで差し出されるぶどう酒は、神の祝福と喜びの象徴であり、荒野の旅路で疲れ果てた魂への慰めとなりました。
そして最後に整えられる食卓は、特別な意味を持っています。古代イスラエルにおいて、共に食事をすることは単なる栄養補給以上の、深い契約的な意味を持っていました。それは主イエスが最後の晩餐で示されたように、深い絆と約束の表現だったのです。
さらに注目すべきは、「わたしを苦しめる者を前にして」という状況です。遊牧民の文化では、一度客として迎え入れた者への全責任をホストが負うことになります。つまり、客の敵はホストの敵となるのです。これは神様が私たちの守り主となってくださることの力強い宣言なのです。
現代を生きる私たちも、様々な「敵」―困難や不安、孤独や失望―に囲まれています。時にこの世界は、まるで罠が仕掛けられた荒野のように感じられます。しかし、主イエス・キリストの十字架によって贖われた私たちは、神様という最高のホストの保護の下に生きることができるのです。
この真理は、今まさに私がサンティアゴの道を歩みながら、より深く実感している現実です。地上の生活が全てではないという聖書の教えは、永遠の命への希望を私たちに与えます。この希望は、荒野のような人生の旅路において、私たちを支える力となるのです。
天の御国に望みを置いて生きること―それは単なる来世への期待ではなく、今この瞬間から始まる神様との深い交わりの始まりなのです。神様が私たちのために整えてくださる食卓で、共に命のパンにあずかりながら、この地上の旅路を歩み続けていきましょう。
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