道は、すでに照らされている。平凡な一日を走り続けるということ

 

ヘッドライトのスイッチを切る。

午前3時。まだ深い眠りについている仙台の街を、オレンジ色の街灯がどこまでも照らし出し、静かな光の川を作っていました。

 


車の音も、人々の喧騒もない。聞こえるのは自分の息遣いと、地面を蹴るシューズの音だけ。この光のおかげで、私は道の凹凸や暗闇に惑わされることなく、ただ「走る」という一つの行為に、心を集中することができます。

 


走りながら、ふと思いました。

この街灯は、まるで社会が、国が、私たちに与えてくれる「安心」という環境のようだ、と。人々が心穏やかに生きるための土台が整っていれば、私たちはもっと自分の仕事や学びに集中し、それぞれの花を咲かせることができるのかもしれません。

 


しかし、現実の世界は、いつも完璧な光で満たされているわけではありません。

足りないもの、理不尽なこと。私たちの周りには、不平や不満の種が、暗がりとなって口を開けています。

 


けれども、その暗がりを見つめて文句を言っても、道が明るくなることはありません。

それならば、今、自分の足元を照らしてくれているこの確かな光に感謝し、その中で最善を尽くす。それが、私たちが選ぶことのできる、知恵ある生き方なのではないでしょうか。

 


その光の中を、私はただ走り続けました。32キロ。

長い長い道のりです。

 


これまで何度も長い距離を走ってきましたが、いつも思うことがあります。

ロングランに、特別な「コツ」などない、と。

あるのは、ただ一つ。「立ち止まらず、走り続けること」だけです。

 


大切なのは、スピードではありません。誰かと競うことでもない。

無理のないペースで、自分自身の歩みを、どれだけ長く、地道に続けられるか。今日の私の目的も、ただそれだけでした。

 

私たちの人生も、きっとこれとよく似ています。

何か大きな変化や、劇的な成功ばかりが重要なのではありません。昨日と同じような今日を、今日と同じような明日を、腐らず、諦めず、自分の足で着実に歩み続けること。その平凡に見える日々の連なりこそが、私たちの人生を、誰にも真似できない尊い物語にしていくのだと信じています。

 

そして、明日はランニングの休日。

酷使した心と体をゆっくりと休ませ、また新しい朝を走り出すための力を、静かに蓄える日です。

 

光の中を走り、そして、時には静かに休む。

私たちの人生も、きっとその繰り返し。

 

あなたの足元にも、今日を生きるための、確かな光が灯されていることを信じて。

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