2025年7月21日月曜日

朝ランから見えた真の指導力:歴史が教える支配の本質

 


朝ランから見えた真の指導力:歴史が教える支配の本質

 

海の日の山道で

今朝、海の日にも関わらず私の足は山の方向を向いていました。20キロ走った翌日は休息日と決めていたはずなのに、体が自然と外へと押し出してくれる。この感覚は不思議なもので、まるで何かに導かれるようです。

 


坂道2キロを含む11キロを完走。汗と共に、清々しい達成感が心を満たしました。

 

静寂の中で気づいたこと

いつもより少ない朝の散歩者たち。選挙結果を気にして家にいるのでしょうか。この光景が、私たちがいかに政治に影響されているかを物語っています。

 

投票率の上昇は、国民の政治への関心の高まりを示しています。これは希望的な兆候です。なぜなら、一国の運命は確実に指導者の質に左右されるからです。

 

歴史が証明する指導力の重要性

過去を振り返れば、一人の指導者がいかに国民の運命を左右してきたかは明らかです。

 

破壊的な指導者たち

ヒトラーのドイツ

スターリンのソ連

ポル・ポトのカンボジア

これらの例は、権力の濫用がいかに悲惨な結果をもたらすかを教えています。

 

建設的な指導者たち

一方で、国民を真に愛し、自らを犠牲にして国を導いた指導者たちもいました。

リンカーンの奴隷解放

ガンディーの非暴力抵抗

マンデラの和解政策

真の指導力とは何か

 

朝ランで考えながら、真の指導者の条件が見えてきました:

自己犠牲の精神

民への深い愛

道徳的勇気

長期的視野

権力を自分のために使うのではなく、人々の幸福のために献身する。これこそが真の指導力の本質です。

 

現代日本への思い

この国も、今まさに指導者の質が問われています。経済の停滞、少子高齢化、国際情勢の複雑化...これらの課題に立ち向かうには、真の指導力が必要です。

 

選挙への関心の高まりは、国民が「誰の支配の下で生きるか」の重要性を理解し始めた証拠かもしれません。

 

究極の指導者:十字架の愛

しかし、人類史上最も偉大な指導者について考える時、私たちはイエス・キリストを思わずにはいられません。

 

権力を求めず、むしろ最も低い位置に降りてこられた方。

王として生まれながら、馬小屋で誕生し、十字架で死なれた方。

「仕える者になりなさい」と教え、自らその模範を示された方。

 

キリストの指導力は、この世の価値観とは正反対でした:

支配するのではなく仕える

奪うのではなく与える

自分を救うのではなく他者を救う

十字架こそが、真の指導力の究極の表現です。全人類の罪を背負い、自らの命を捧げて私たちを救ってくださった。これほどの愛と犠牲は、人間の指導者には決して真似できません。

 

希望への招き

今朝の11キロの道のりで、私は改めて気づかされました。私たちが真に従うべき指導者は、十字架で示された愛の主です。この方の支配の下でこそ、真の平安と希望を見出すことができるのです。

 

政治的指導者の重要性を認識しつつも、究極的には神の国の王であるキリストにこそ、私たちの希望があることを忘れてはなりません。

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