先の見えない時代、心が折れそうになっていませんか?

 


1【指揮者によって。ダビデの詩。】主を、わたしは避けどころとしている。どうしてあなたたちはわたしの魂に言うのか/「鳥のように山へ逃れよ。2見よ、主に逆らう者が弓を張り、弦に矢をつがえ/闇の中から心のまっすぐな人を射ようとしている。3世の秩序が覆っているのに/主に従う人に何ができようか」と。4主は聖なる宮にいます。主は天に御座を置かれる。御目は人の子らを見渡し/そのまぶたは人の子らを調べる。5主は、主に従う人と逆らう者を調べ/不法を愛する者を憎み6逆らう者に災いの火を降らせ、熱風を送り/燃える硫黄をその杯に注がれる。・・・・・・(詩編11編)

 


仕事や人間関係、予期せぬ出来事…。現代社会はストレスや不安でいっぱいで、時に自分の立ち位置さえ見失いそうになります。

 

そんな時、旧約聖書の「詩編11編」が、私たちに大切なヒントをくれます。この詩を書いたダビデもまた、敵に囲まれ「もう逃げるしかない」と思えるほどの絶体絶命のピンチに立たされていました。

 

しかし彼は、不安に飲み込まれることなく、こう宣言します。「主は、天の御座におられる」と。

 

これは、どんなに地上が混乱していても、天にはすべてを見通し、世界を治めている絶対的な方がいる、という揺るぎない信頼の言葉です。私たちの悩みや苦しみをすべてご存知で、いつも見守っていてくれる存在がいる。だから、大丈夫なのだと。

 

自分の力だけではどうにもならないと感じた時、この詩は「視点を天に向けてごらん」と語りかけます。神様は、私たちが試練を乗り越えられることを知っており、一番良いタイミングで助けの手を差し伸べてくださる方です。

 

信仰とは、人生の嵐の中で心の平安を保つための「錨(いかり)」のようなものかもしれません。ダビデがそうしたように、神様の正義と愛を信じて、目の前の一歩を踏み出してみる。困難な時こそ、祈りを通して神様とつながることで、私たちは本当の希望と、前に進む力を見つけることができるのです。

 

詩編11編は、いつの時代も変わらない、私たちへの力強い応援歌と言えるでしょう。

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